『ホール』ピョン・ヘヨン|人生の真ん中にあいた大穴
ずっと前から、ひょっとすると人生というものがわかりかけた気がした頃から、生を営んできたと同時に、失ってきたのかもしれない。時々こんな気分になった。何事も充実しているが、しきりに何かを失っているような。
ーーピョン・ヘヨン『ホール』
「穴」のことを考える時、穴の先にあるものを想像する。風穴やトンネルのようなどこかへつながる道としての穴、洞穴や落とし穴のような行きどまりの穴、心の穴やドーナツの穴のような道も終着点もない空白の穴。この穴の小説には、これらすべての穴がある。
地図学の大学教授オギは、妻とのドライブ中に事故を起こす。妻は死亡し、オギはほとんど体が動かない状態(目と左手だけがすこし動かせるだけ)になってしまう。
自分の世話をできないオギのもとに、妻の母である義母がやってくる。義母は、娘だけを生きがいとしていたが(この時点でやばい)、娘が死んでしまってからは、娘婿のオギを生きがいとばかりに、オギの世話をしようと家の中に入りこんで、オギのパーソナルスペース、家、人生に侵入してくる。
本書のうたい文句は「韓国版ミザリー」だ。たしかに舞台設定や登場人物の関係は『ミザリー』に似ているが、本書はもっと複雑で割り切れず曖昧で、『ミザリー』より後味も悪く、底なし度も深い。
『ホール』は、「身体能力も社会的地位も高い人が、自分よりもそれらが低い人に加害される立場になる」ミザリー的恐怖からはじまるため、「なるほどミザリー」と最初は思う。
しかしやがて、加害者と被害者の立場がはっきりわかれている『ミザリー』とは異なり、オギがわかりやすい被害者ではないことがわかってくる。義母は穴が擬人化したような存在でわかりやすい恐ろしさがあるが、やがて読んでいくうちに、義母がこのような行動をとる理由がじわじわと明かされる。
そして「穴」だ。この小説では、道としての穴、行きどまりとしての穴、空白としての穴のモチーフが、幾層にも積み重なり、それぞれの穴がせめぎあっている。
人生は、穴だらけの地平を目隠しをしながら歩いているようなものだが、穴に気づかない人、穴を見ようとしない人はいる。
事故に遭う前のオギはおそらく、自分の足元は安定していて穴などない、と信じていたタイプの人間だっただろう。
しかし、穴はあくのだ。みずから掘る穴もあるし、誰かに掘られる穴もあるし、陥没穴のように突然にあく穴もある。不幸にも目隠しがとれてしまったら、目隠しをしようとあがくか、観念して受けいれるしかない。
本書は、そういう穴のことを書いている。
読んでいる間ずっと、大穴の淵に寝転がされて、つんつんと棒でつつかれ続けているような心地がした。
ピョン・ヘヨン作品の感想
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元祖。 若い頃に見た時はほんとうに怖かった。
『ホール』はシャーリイ・ジャクスン賞を受賞した。悪意にまみれた世界の不穏は、シャーリイ・ジャクスン作品につうじるものがある。
日常にぽっかりと空く陥没穴のような不穏まみれの小説。いちど読んだら忘れられない作家だ。大好き。
自分以外のなにかに日常を侵入される恐ろしさを味わう短編集。『ウインドアイ』は身体的に侵入される話が多いので、皮膚の裏がもぞもぞする嫌な感じがある。