ボヘミアの海岸線

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『大都会の愛し方』パク・サンヨン|泣き笑いで軽く語る、軽くない愛

ーーじゃあ今日から僕のことメバルって呼んでください。

酔った俺は、たったいま俺何て言ったんだ、マジ終わってる、と思ってる途中に男がまたまじめな顔で答えた。

ーーいや、ヒラメって呼ぶつもりです。中身が丸見えだから。

――パク・サンヨン『大都会の愛し方』

 

悲しみや痛みを、明るい口調でユーモアをまじえて語る作家がいる。

ボフミル・フラバルは、チェコで第二次大戦時の抑圧、ジョージ・ソーンダースはアメリカでの生活の余裕のなさと足掻きを、それぞれユーモアまじりで描いた。韓国人作家のパク・サンヨンが泣き笑いの口調で語るのは、大都会ソウルでの失恋の痛みや友人関係、家族関係だ。

 

大都会ソウルに生きる若者の感情を語る連作短編集だ。語り手ヨンはゲイで、友人とクラブに行っては踊ったり、倒れるまで酒を飲んだり、いろいろな男性と寝たり、同時並行で付き合ったりと、都会で派手に楽しく遊ぶ。一方、ゲイだとの噂で大学で浮いたり、折り合いが悪い病気の母を介護したり、企業勤めがあわなくて辞めたり、最低賃金で働きながら小説を書いたりと、生きづらさを抱えている。

 

 同時並行でつきあったり別れたりを繰り返すヨンの人間関係は、ふわふわと軽い。そんな彼にも、”軽くない“人間関係がある。女友達、恋人、母親など、軽くない人間関係への軽くない感情を、ヨンは悲哀とユーモアがいりまじった泣き笑いの口調で語りまくる。

 

本書の中心は、恋愛関係だ。ヨンはふたりの男に恋をする。ひとりは、何を考えているかわからない男。もうひとりは、さらけ出して丸出しの男。

泣き笑いの恋心語りは、心のやわらかいところを直撃してくる。合わない相手だからこそ執着し、どっぷりとはまって傷ついてしまう恋のとち狂いぶりに、思わずつられてうめいてしまう。心がざわつくことと恋は、似て非なるものだけど、見分けがつかないことがある。

 

彼が、俺の知らない未知の世界だということを知れば知るほど、俺はもっと彼を知りたくなったし、彼を自分のものにしたくなった。生きもできないくらいに彼を締めつけたくなった。彼を、彼の人生を思い通りにして揺るがしてやりたかった。

なんだよ、渓谷の水かなにか? 何、この透明感。俺がまた複雑な家庭環境の話に弱いのをどこで聞いて、こんなに突然がっつり入ってくんだよ。なんで全部見せるんだ。短くない時間、こっち側の人間として生きてきて、自分自身について飾り立てることなくどこまでも真実に近く、赤裸々に恥部までさらすのはギュホが初めてだった。

 

笑えるのに泣けてくる、軽いのに重い、痛いのに救われる、複雑な味わいの小説だ。

ヨンは、「なんで俺は笑ってるんだ」と自問しながらも、ユーモアを交えた語りをやめない。こういう語りは一見すると自己防衛のように見えるのだが、彼の語りはあくまで悲しみを隠すための笑いではなく、つらいことがあっても生きていくためには笑いが必要だから笑う、といった諦念を感じる笑いだ。

カイリー・ミノーグがスパイスになっていて、時代と都会の象徴、ヨンの語りの集大成として登場する。あそこでああいう語りをするのが、まさにヨンのスタイルだと思う。

 

ーーじゃあ今日から僕のことメバルって呼んでください。

酔った俺は、たったいま俺何て言ったんだ、マジ終わってる、と思ってる途中に男がまたまじめな顔で答えた。

ーーいや、ヒラメって呼ぶつもりです。中身が丸見えだから。

 

悲しみや痛みにユーモアを交えて饒舌に語るのは、塩に砂糖と旨味を混ぜるようなもので、ハッピーターンの粉みたいな独特の中毒症状を引き起こす。

本書は、韓国で「これは自分の物語だ」と受けとめられたという。泣き笑いで生きるしんどさを語る作家が、同世代の読者に愛されているのは、彼らの語りが、いちど読み始めたら癖になって抜け出せない、ハッピーターンみたいな味わいだからかもしれない。

 

宇宙に僕らふたりが残ってる気分。

 なんで俺は笑ってるんだ。

大都会の愛し方 (となりの国のものがたり7)

大都会の愛し方 (となりの国のものがたり7)

 

 

収録作品

ジェヒ

メバル一切れ宇宙の味

大都会の愛し方

遅い雨季のバカンス

 

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 泣き笑いのポップでエモな饒舌といえば、アメリカ文学のソーンダース。ソーンダースは、貧困で選択肢がなく苦しい人たちのいちかばちかの選択を描く。読んだ上記2冊の中では『パスとラリア』の「シーオーク」がいちばん好き。

 

ェコ人に最も愛される作家と呼ばれるフラバルもハッピーターン作家で、本を愛する人間にとっての地獄である言論弾圧と本の破壊を、ユーモラスな口調で語る。