ボヘミアの海岸線

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『酸っぱいブドウ/はりねずみ』ザカリーヤー・ターミル|シリアを生き抜く鬼火

ファーリス・マウワーズは頭なしで生まれた。彼の母は泣き、医者は恐怖のあまり息を呑んだ。彼の父は恥じ入って壁際に身を寄せ、看護師たちは病院のベランダへと散り散りになった。

だが医師たちの予想に反してファーリスは死なず、長生きした。何も見ず、何も聞かず、何も喋らず、不平を漏らすことも働くこともなく。多くの人は彼を羨み、あれは損より得することのほうが多いだろうと言った。ファーリスは飽くことなく待っているのだ。頭なしで生まれる女を。巡り合って新しい人類を生み出すために、長く待たずにすめばいいと思いながら。

――ザカリーヤー・ターミル『酸っぱいブドウ/はりねずみ』

 

ぱっと現れては消える鬼火を集めたような小説だ。

シリアの作家による超短編小説である。超短編小説といえば、バリー・ユアグローやダニイル・ハルムスといった作家を想起するが、本書はむしろそれら超短編よりも『遠野物語』などの伝承を思わせる。

ある土地にまつわる出来事が、現実と奇想を織り交ぜて語られる。どれも数ページあるいは数行で終わる物語の断片で、現れては消えていく。印象に残る話、読んだ端から忘れる話、なにもわからず途方にくれる話とさまざまだ。断片を拾い集めていくと、やがて土地、土地に住む人間たちの感情、土地を守り縛る規範が見えてくる。

酸っぱいブドウ/はりねずみ (エクス・リブリス)

酸っぱいブドウ/はりねずみ (エクス・リブリス)

 

 

「酸っぱいブドウ」では、シリアのどこかにある架空の町、クワイク地区で起きる出来事が語られる。クワイク地区はいわゆる修羅の町で、「金が入るとなれば自分の母親でも殺す金持ち連中」と「窓ガラスを見ればもれなく医師を投げて割ったりするガキども」で悪名高い。

クワイク地区の人々は暴言、暴力、死、殺人、強盗、強姦をつうじて他者と関わり、愛や喜び、信頼といった感情はほとんど語られない。

頭なしで生まれる男、空を飛ぶ馬、男が精力的になる魔法の錠剤、発言のたびに殴ってくる不可視の手など、さまざまな奇想が登場するが、その背後には巨躯の不穏が見え隠れする。

この不穏はボラーニョの作品を思い出させるもので、おそらく独裁政権による抑圧を示唆しているのだろう。 『酸っぱいブドウ』『はりねずみ』どちらもシリア内戦前の作品だが、内戦前から不穏が渦巻いていたと思われる。

するといきなり痛烈な平手打ちを首筋に食らった。彼は辺りを見回したが、殴った人を見なかった。

次に殴られたのは、おあるお金持ちに「あなたは我が国が生んだ最大の人物ですね」といったときだった。彼は殴った人を見なかった。 

その次は、長いもじゃもじゃひげを蓄えた男の手にうやうやしく接吻し、祈ってもらおうとしたときだった。彼は殴った人を見なかった。 

 

「酸っぱいブドウ」は大人たちの物語で誰もが物言わず抑圧のルールに従っている。「はりねずみ」は6歳の少年による物語のためか、より率直に「見てはいけない」「語ってはいけない」現実を直視している。

僕たちは広場についた。…処刑された男がぶら下がっている。…処刑された男は真っ青な顔で、口から舌を垂らしていた。みんなは満面の笑みでそのまわりにいた。僕は目を瞑った。

歩いている途中、僕は小さな男の子が泣きながら歩道に立っているのを見た。誰もなぜ泣くのか尋ねない。僕は目を瞑った。

歩いている途中、僕は十歳くらいの女の子が気を失って学校の鞄も持たずに病院に運ばれていくのを見た。僕は目を瞑った。

 

訳者によれば本書は寓話的で、言論統制が厳しいシリアでも出版できるよう、メタファーを駆使して描かれているという。それゆえ、なにを書いているのか想像できるものもあるし、できないものもある。執筆することで命の危険にさらされる環境に、私は生きていたことがないから、たくさん見落としているものがあるのだろう。それでも、言論統制をくぐり抜け書こう、わかる人にはわかるように書こうとする著者の意思は伝わってくる。

内戦によって、本書に描かれたシリア、オレンジの木とレモンの木が香りスーク(市場)がにぎわうシリアは破壊された。友人の家族が住んでいたため、いつか訪れたいと思っていた国だった。いい国だ、ほんとうにいい国だよ、と彼は言っていた。友人が写真で見せてくれたあのシリアの土を踏みしめたかったが、もうそれはかなわない。本書を読んでいるあいだにボルタンスキー展を訪れたからだろうか、鬼火のような物語群はまるで失われた町で明滅する影絵のように思えた。

 

Recommend

個人的にはハルムスのようなバカバカしいユーモアが炸裂する作家が好きなので、ターミルの作品は笑いの要素が少なかった。

 

 イラクの作家が描く、幻想が飛び交う殺戮のヴィジョン。『死体展覧会』のほうがより奇想度と臓物度が高い。

ピノチェトの独裁政権下で沈黙を守り、抑圧に従った詩人の独白。「自分は悪くない」と言い続け、抑圧についてはなにひとつ語らずに沈黙を守ろうとする。「饒舌な沈黙」文学。

独裁の抑圧下で「なにが語られないのか」をかいま見れる本。チリのピノチェト政権から亡命した作家が、言論統制の外から抑圧を語る。ボラーニョが周囲を描くことで悪を浮かび上がらせるのにたいして、ドルフマンはまっすぐな言葉でピノチェトの悪を語る。