ボヘミアの海岸線

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『私はすでに死んでいる』アニル・アナンサスワーミー|自分の体を「異物」と感じる人たち

「コタール症候群は、地球に立ちはだかる巨大な黒い壁みたいなもの。そこから土星をのぞこうとしても、見えるはずがないのです」

――アニル・アナンサスワーミー『私はすでに死んでいる』

 

「私は自分にとって永遠の異邦人である」と、アルベール・カミュは書いた。

自分が自分でないように思える、自分が別の“なにか”だと思える、自分の精神と体が分離している、自分はすでに死んでいる――こうした「自分がぶれている」感覚と体験はしばしば文学の中に描かれてきた。

これらの一部は作家が想像力を飛翔させてつくりだしたものだろうが、実在する症例もある。本書は、これまで私が「幻想」として読んでいたものを、驚くべき症例、信じがたい証言とともに、「神経学」の視点から切り拓いていく。

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

 

 

サイエンス誌の編集者である著者は、「自分が自分だと思えない」さまざまな症例を紹介している。

たとえば「コタール症候群」は「自分はすでに死んでいる」と思い込む現象だ。コタール症候群の人たちは、医者から医学的な証拠を突きつけられても「脳みそが腐っている」「自分は死んでいる」と思い込む。医者との会話はどれもシュールきわまりない。

「つまりきみの精神は生きているというわけだね」ゼーマンは言う。

「そうです。精神は生きています」

「精神と脳は密接に結びついているのだから、脳も生きているのでは?」ゼーマンは核心に迫った。

だがグレアムはその手には乗らない。「いやいや、精神は生きていても脳は死んでいます。自殺未遂をしたあの浴槽で死んだんです」

 コタール症候群はめずらしいため研究が進んでいないが、患者の多くは重度のうつ病にあること、そして「自分は存在してはいけない」といった強い罪悪感があるという。

 

「脳が死んでいる」と同じぐらい驚いたのが、「自分の足は自分のものではない、切断したい」と考える人たちだ。自分の四肢を自分のものではないと思いこむ症状は、身体完全同一性障害(BIID)と名がついていて、患者の何割かは実際に足を切断する。 著者は、あるBIDDの男性が闇医者に依頼して足を切断しようとする話を紹介している。「足を切断する」ことへの感情が、あまりにも自分のものと違いすぎて、呆然としてしまう。

「この足とおさらばするためにはどんな方法がある? 何を、どうすればいい? でもそのために命を落とすのはいやだ」切断者の写真を見たり、道で切断者を見かけたりすると、衝動が高ぶってしかたがない。「そのことで頭がいっぱいになる。数日間は、どうやって足をなくすかということしか考えられない」

 

アルツハイマーや多重人格、ドッペルゲンガー、幽体離脱といった、おなじみの話もある。

ポーやスティーブンスンなど多くの小説で目にする「ダブル(分身)」は、「自己像幻視」で、神経学の観点から見れば「感覚の統合が脳でつまづいた状態」だ。

ドストエフスキー作品おなじみの症状も登場する(へ!へ!へ!ではない)。ドストエフスキーは『白痴』のムイシュキン公爵など、恍惚の発作を起こす人物を描いていて、その描写は「恍惚」の症状をきわめて的確にとらえているという。しかもドスト風「世界と自分が一体化した幸福感」は、医学的な刺激によって再現できるらしい。つまり、実験に協力すれば、誰もがドストエフスキーになって、へ!へ!へ!できるということか。なんていい時代になったんだ。

 

著者は、自分が自分だと感じられない人々の症例をとおして、「なぜ人は自分を自分だと認識するのか」を探りだそうとする。

身体と脳は密接に結びついていて、全身を「所有している感覚」が「自分は自分である」と感じる自己につながっている。身体から受ける情報を脳内でうまく統合できれば「自己」感覚が満たされるが、統合がうまくいかないと「自己」からはぐれて「自分が自分でない」と感じるようになる。

自己や精神は「確固としたもの」でも「身体より優れたもの」でもなく、「脳が刺激に反応してうまれる感覚」にすぎない。「身体と精神」といった西洋的な二元論ではない、もっと混然としてあいまいな「自己」を著者は提示する。

 

幻想文学の領域を、科学のランタンを手にして歩き、最後には「私はなぜ私なのか」という哲学の問いにもぐりこむ、じつに刺激的な読書だった。著者が文学好きなのか、ときおり文学話が出てくるところもよい。「自分が自分でない」と感じる文学を読む視点が多彩になりそうで、楽しみだ。

 

 

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「驚異的な言動をする人たちのノンフィクション」といえばオリヴァー・サックス。2人ともとても興味深い事例を紹介してくれる点は同じだが、アナンサスワーミーはもっと相対した人たちへの感情をよく描いているように思う(サックスは医者で、アナンサスワーミーは編集者だからかもしれないが)

 

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 善良なるムイシュキン公爵の恍惚シーンは、神経学の観点から見ても「現実の症状によく似ている」らしい。帝政ロシアはみんなへ!へ!へ!なのかと思っていたら、別にそうでもなかったようで。

 

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