ボヘミアの海岸線

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割り切れない愛を描いた海外文学・短編リスト

 「安心できる人とつきあいたいんですよね」と、隣の青年はつぶやいた。相手が自分を好いていて、裏切らないという確信がなければ誰かとつきあう意味がないと。だが、はたして人の心はそれほど単純だろうか?

 もうこれっきりだと思ってメールをしながらこのマフラーはあの子に似合いそうだと考えたり、おたがいに好きだと知りながらも口には出さなかったり、恋人とつきあいながらも心は過去に置き去りにしたままだったり、どんなに長い付き合いでもたったひとつのすれ違いが決定打で離れたりすることだってある。

 割り切れない愛、ひび割れた愛、戻らぬ心、それでもなお手を伸ばす情念、そうした名づけえぬ心に満ちているのが世界ではないだろうか。そんなわけで、隣の青年のために「割り切れない愛を描いた短編小説」リストをつくってみたら、思った以上に心をえぐるラインナップになった。

 ヘビーなものとライトなものが混在しているので、読む順番を間違えると大変なことになるかもしれない。ご利用の際はお気をつけください。

密会 (新潮クレスト・ブックス)

密会 (新潮クレスト・ブックス)

ウィリアム・トレヴァー「密会」:「彼らは愛を抱きつつ、離れてゆき、お互いから立ち去った。未来は、今2人が思っているほど暗いものではないと気づかずに」。暗黙のルールの上に成り立つ密会という関係。未来に自信を持てなかった彼らだが、じつはそれほど未来は暗くなかった。


停電の夜に (新潮クレスト・ブックス)

停電の夜に (新潮クレスト・ブックス)

ジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」:かすかな光の中でさらされる、男と女の苦い心。一緒に食事をとらなくなって久しい夫婦が、停電をきっかけに告白ゲームをはじめる。緊張感あるれる会話がひりつく。光が明るすぎないから、逆説的に心はさらけだされる。

 

可笑しい愛 (集英社文庫)

可笑しい愛 (集英社文庫)

ミラン・クンデラ「「ヒッチハイクごっこ」:冗談で始めたヒッチハイクごっこで、浮き上がってしまった男と女の心のずれ。恋人に他の男にいい寄る演技をすすめたのに、いざそれを見ると衝撃を受けてしまう男は、きっと想像力が足りなかった。


アイルランド・ストーリーズ

アイルランド・ストーリーズ

ウィリアム・トレヴァー「第三者」:男は女より別れた相手との未練を引きずる、という世の共通見解。「浮気などするあんな女など願い下げだ」とののしりながらも「あんな男に妻のことなど分かるか。あれは面倒くさい女だぞ」と言ってしまうあたりが生々しい。


可笑しい愛 (集英社文庫)

可笑しい愛 (集英社文庫)

ミラン・クンデラ「老いた死者は若い死者に場所を譲れ」:年月の残酷さが男女に与える打撃。15年ぶりに会ったかつての女、しかし彼女を脱がすところを想像「できない」。老いること、精力がそがれることの悲しみ。


アイルランド・ストーリーズ

アイルランド・ストーリーズ

ウィリアム・トレヴァー「パラダイスラウンジ」:言葉などひとこともなくても、たしかにそこに愛はあった。沈黙のうちに、愛はかくも劇的に立ちのぼる。初読時はしばらく動けなかった。


聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)

聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)

ウィリアム・トレヴァー「イエスタデイの恋人たち」:不倫というロマンと現実の落差を描く。いつか一緒に暮らせたら、という甘い夢と、苦い現実の対比がリアル。実家に戻るあたりのくだりとかがもうね。


老首長の国――ドリス・レッシング アフリカ小説集

老首長の国――ドリス・レッシング アフリカ小説集

ドリス・レッシング「七月の冬」:あなたは私を通して誰を見ていたのか? ひとつ屋根の下で暮らす2人兄弟と女ひとり。予想どおり三角関係になるのだが、実際のところ、誰が誰を愛しているのかを考えるとめまいがする。


青い野を歩く (エクス・リブリス)

青い野を歩く (エクス・リブリス)

クレア・キーガン「青い野を歩く」:言葉にならぬ愛、そして別れ。あの時の選択がまちがっていたとは思わないが、この孤独は、その代償なのか? 花嫁と神父の、言葉をまじわさない沈黙のせめぎあいが、実らなかった愛の重さを示していて肋骨の奥が痛む。「人生のある時点で、ふたりの人間が同じことを望むことはまずない。人として生きるなかで、ときにそれはなによりもつらい」


長距離走者の孤独 (新潮文庫)

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

アラン・シリトー「漁船の絵」:見返りを求めない愛について。家を出た妻に求められるがまま、金とものを与える夫。最後の一文がすさまじい。これだけは、いちばん最後に読んでほしい。


途中でもし眩暈、息切れを感じたら

鰐 ドストエフスキー ユーモア小説集 (講談社文芸文庫)

鰐 ドストエフスキー ユーモア小説集 (講談社文芸文庫)

ドストエフスキー「他人の妻とベッドの下の夫」:タイトルはあれだが、「浮気」をテーマに描いたドストエフスキー全開の爆笑コント。息抜きにどうぞ。