ボヘミアの海岸線

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『聖母の贈り物』ウィリアム・トレヴァー

 雨だってたくさん降る土地柄なのだが、この土地をこの土地らしくしていたのは、雨よりも霜よりも、とにかく風だった。 ーーウィリアム・トレヴァー「丘を耕す独り身の男たち」

受け継がれる

 トレヴァーは「過去の重さ」を描く作家だと思う。人がなにかを思い、行動する瞬間には、これまで積み上げたその人自身の過去だけではなく、彼らを育んだ土地の過去が深くかかわっている。それは文化、民族性、土地柄という単純なくくりでは表現しきれないなにかで、むしろ思念の遺産、あるいは呪い、空気や水のように人の心にしみこみ、脈々と受け継がれてゆくものだ。

聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)

聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)

 トレヴァーの短編では、なにげない日常の中に重い過去の影がふとよぎる。それは、登場人物たちの「なぜそんなことを?」と思うような行動という形であらわれる。「トリッジ」は、同窓の友人たちの集まりにおいて過去にあったスキャンダルをぶちまけ、「エルサレムに死す」の神父は母の死を弟に隠し、「マティルダのイングランド」のマティルダはホームパーティで作られた料理をめちゃめちゃにして客を追い出す。その場にいあわせた人たちは、ただ驚くしかない。
 だが、私たち読者は、もう少し大きな視点からその場面をのぞくことができる。トレヴァーは登場人物たちの過去、心の“水源”をほのめかす。読み進めるうちに、なぜ彼らがそのような行動をしたのか、あるいはせざるをえなかったのかが見えてくる。

 「マティルダのイングランド」は「逃れられない過去」を描いた作品で、派手さはないがすさまじい印象を残す。戦争という異常事態が人の心に残した傷、そしてそれを忘れることができた人とできなかった人のどうしようもない“ズレ”を、数十年単位の時間軸で丹念に編み上げていく。家族や友人よりも、あわれな老婦人アッシュバートンと心をかよわせ、その悲しみを受け継ぎ、歴史の重みにひきずりこまれたマティルダの運命は、まるでアイルランドという国そのものを描いているように思える。

 「君はどうして戦争にいつまでもこだわり続けるんだ?」
 「世の中には後始末をするのに時間がかかるひとだっているのよ。そういうふうにできているんだからしかたがないの」 ——「マティルダのイングランド」

 アイルランドはもうずっと長い間、プロテスタントとカトリック、アイルランドとイングランド、マジョリティとマイノリティという、対立の歴史が続いている。よそ者である私などとうてい図り知れないほどの憎しみや悲しみが、もう何百年ものあいだふり積もっているのだろう。トレヴァーはあくまでほのめかすだけだが、深く重い、人ひとりの心ではどうしようもない「なにか」の存在が、文章のすきまから風のように吹き抜けてくるようだ。


 「アイルランド便り」において、イングランド人の家庭教師(よそ者)と土地を持つ裕福な一族(移住者であるよそ者)、貧困にあえぐ土地の人々の意識のずれは、スープと残飯で描き出される。イングランド人の家庭教師はまやかしの事前活動を行う雇い主一家を苦々しく思い、農民階級に同情をよせて飢饉を嘆きながらも、自分は夕食を残す。いくら心を寄せても、距離はあまりにも遠い。

 「少し前に先生は、こんなに病んだ場所に住み続けることはできない、とおっしゃいました。そう、独り言をおっしゃいましたね、先生。ことわざにもございますように、アイルランド人よりもアイルランド人らしくなることはできないということなのですよ」 ——「アイルランド便り」


 他、無邪気な善意は悪意に似ていると思わざるをえない「こわれた家庭」、不倫のロマンと苦い現実を描いた「イエスタデイの恋人たち」、正反対の性格を持つ兄弟のずれを描いた「エルサレムに死す」、おそらく本書の中ではいちばん読後がさわやかな「聖母の贈り物」などがよかった。「丘を耕す独り身の男たち」は、本書でも地味な方だが、とくに私の気にいった。最後の一文が、アイルランドという土地とそこに住む人々の関係を端的にあらわしているような気がする。男は、アイルランドの“なにか”を受け継いだのだ。


ウィリアム・トレヴァーの著作レビュー:

William Trevor The Virgins Gift,1979-2001.

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