かんがえる力をつかってじぶんをどこかよその場所につれていくやり方はクリオミーとジニアから教わったのだった。……
「よその場所って?」とわたしは訊いた。
「そこでない場所どこでも」とジニアは言った。
「きれいな場所」とクリオミーが言った。
「あんたが踊ってみたい場所」
――レアード・ハント『優しい鬼』
傷つけられ続けて鬼になる
人が鬼になる瞬間を見たことがある。その家には怒りに取り憑かれた鬼がいて、何年も家族を攻撃し続けていた。ある者は逃げ、ある者は倒れ、ある者は怒りを爆発させて鬼になった。新しくうまれた鬼は若くて強く、老いた鬼が攻撃すれば何倍もの火力でやり返したので、やがて老いた鬼は小さくなっていった。新しい鬼は怒り続け、やがて古い鬼と同じように他者を攻撃するようになった。その時、鬼は古くから生き続けていて、人から人へと受け継がれていくのだと知った。
むかしわたしは鬼たちの住む場所にくらしていた。わたしも鬼のひとりだった。
舞台は南北戦争前のアメリカ中部。ケンタッキー州の人里離れた田舎に、鬼たちの住む場所があった。鬼の住む場所は楽園(パラダイス)と呼ばれていて、農場主である男性とその妻ジニー、奴隷男たちと奴隷女たちが住んでいた。
この楽園という名の閉鎖空間で、鬼が生まれては消えていく。
奴隷制の世界において最も権力のある農場主ライナス・ランカスターは、最初の鬼としてふさわしく、一緒に暮らす人たちをあらゆる暴力で虐げる。
「鬼は恐ろしい、鬼でない者は優しい」といったわかりやすい二項対立の物語かと思わせておいて、『優しい鬼』というタイトルが示唆するとおり、白黒つけられない濃灰色の領域を進んでいく。
「ものごと、起きると決まったら泣いてもムダなのよ」
文体はひらがなと平易な言葉の連なりで、ほとんどイノセントと言ってもいいぐらいなのだが、語られるのは、淡い夢心地の地獄である。
雲の上の王国、ヒナギクの王冠、祭りのキャンディゼリー、淡い陽光といった、悪に染まらないものたちが輝く世界で、悪がひたひたと水位を上げていく。目玉とキャンディゼリーが一緒くたに入ったガラス瓶のように、本書では甘い夢と悲惨が同居している。
夢心地の地獄を支えるのは、女たちの「声」だ。難しい言葉を知らない女たち(そういう時代だった)が、己の地獄を己の言葉で語る。弱い立場の者たちの重層的な語りが、本書を形づくる。
かんがえる力をつかってじぶんをどこかよその場所につれていくやり方はクリオミーとジニアから教わったのだった。……
「よその場所って?」とわたしは訊いた。
「そこでない場所どこでも」とジニアは言った。
「きれいな場所」とクリオミーが言った。
「あんたが踊ってみたい場所」
鬼がいる場所に不幸にも居合わせてしまった時に人間がどうなっていくかを、本書は描いている。
誰だって大事にされたいし、愛されたい。しかし、その願いがかなわず、他者から傷つけられ、自尊心を踏みにじられ続ければ、人は怒りと失望を抱えて鬼になる。鬼になりたくないなら、鬼のいる場所から逃げるか、鬼につぶされるしかない。
被害者と加害者の境界は思ったよりも曖昧で、かつての被害者が加害者になることも、かつての加害者が被害者になることもある。かつて優しかった人が鬼になることもあるし、鬼だった人が優しさを見せることもある。
人間は、優しさと悪のあいだで揺らぐ、曖昧で筆舌に尽くしがたい生き物だ。
だから本書は過去の歴史物語なんかではない。たしかに奴隷制度は終わった。でも、鬼をうむ制度は形を変えて生き延びていて、鬼は今もそこらじゅうにいる。
「世界のありようですよ、かあさま。世界のありようですよ、ミス・ジニー」
でも目たちはいまもここにある――それぞれがそれぞれのガラス瓶に浮かぶキャンディゼリー。
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鬼につぶされるか、鬼になるか、鬼から逃げるか。この選択肢のうち「逃げる」を選んだ黒人奴隷少女の物語。『優しい鬼』で語られる「玉ねぎの物語」にもつうじる。現代と違い、当時は「逃げる」ことはすなわち「死」であった。
鬼がいる場所に住んでいた少年たちの物語。少年たちは、逃げるか、鬼になるか、鬼につぶされるかの選択を迫られる。
小説世界で最もおぞましい「楽園」といえば「夜みだ」だろう。『優しい鬼』はほんわか夢心地の悲惨だが、『夜みだ』は夢と悲惨がぐるぐるどろどろに溶け合っていて、ほんとうに心をなぎ倒してくる。
黒人たちが黒人のための「楽園」を作ろうとしたら、殺意が育って開花した。もしかしたら文学において、「楽園」と呼ばれる土地でほんとうに楽園ぽいものなんて、ないのではないか。