『黒人小屋通り』ジョゼフ・ゾベル|過酷で美しい少年時代
大人の黒人たちが裸になって立派な馬の隣に立つ姿が湖の水に映っているのほど、素朴で美しいものを見たことがなかった。
――ジョゼフ・ゾベル『黒人小屋通り』
今年の夏は、例年どおり八月の光に誘われて、アメリカ南部の小説をぐるぐるとめぐっていた。南部から立ち昇る蒸気にすっかりのぼせて、さらに南下してカリブン(カリブ海文学)へと移動してきた。
アメリカ南部とカリブ海は、ともに黒人がアフリカから奴隷として連れてこられた歴史を持つ。どちらも同じ大陸から連れてこられた人の末裔たちだが、土地と人によって、こうも語る物語が違うのか、と驚いた。
黒人小屋通りとは、カリブ海マルティニーク島に存在した黒人街だ。
かつてコロンブスが「世界で最も美しい場所」と称賛し、現在は「カリブ海の花」としてリゾート地になっているマルティニーク島の斜面には、一面のサトウキビ畑があった。丘の頂上には白人農場主(ベケ)の屋敷、その下には混血(ムラート)が住む農園監督者の家、その下に黒人小屋通りがあり、さらに下は一面のサトウキビ畑が続いた。
この住居の位置は、そのままマルティニーク社会における階級を示していた。肌の色によって階級が決まっていて、黒人は最下層に位置づけられていた。
奴隷制度が終わってまもない1930年代、この黒人小屋通りから、ひとりの黒人少年が声を上げた。その声は、黒人たちが苦しむ貧富と差別の過酷さを語り、そして黒人たちが生きる世界の美しさを語った。
黒人小屋通りは、トタン屋根のバラックでできた狭い住宅で、語り手の少年ジョゼは祖母とともに黒人小屋通りで育った。黒人小屋通りの子どもたちはそろってわんぱくで、いたずらし放題、盗み食いし放題で、とにかく生命力がすごい。
着ているものはぼろ布だけでほぼ裸、食事だってけっして豪華とは言えないのだが、それでも皆がおいしそうに食べるものだから、こちらもつい食欲を刺激されてしまう(干しダラの料理はどれもおいしそうだ)。
とくにサトウキビ収穫時期のシーンは、祝祭めいた雰囲気に満ちている。背後にはもちろん白人農場主による搾取問題があるのだが、それでも語り手はこの瞬間を祝福する。
そして刈り入れになった。
僕ら子供たちは一日じゅう、サトウキビの切れ端を吸うことができた。僕らは畑にサトウキビの切れ端を探しに行った。親たちも切れ端を持ってきてくれたものだ。口から汁がこぼれるほど吸って、服をべたべたにして、仲間たちのむき出しになったお腹はてかてかになるのだった。
差別や労働についてなにも知らない子供だからのんきなのかといえば、そうでもない。ジョゼはきちんと黒人たちが苦しむ貧困や差別を見ている。だが、彼にとって、苦しい生活と構造を知ることと、黒人の美しさを賛美することは両立する。
すでにそのころ、僕は直感から、悪魔と貧乏と死というのは疫病神みたいなもので、特に黒人にとりつくのだと知っていた。無理だとは知りながらも、僕は黒人たちが悪魔やベケに仕返しするために、何ができるのだろうかと考えるのだった。
大人の黒人たちが裸になって立派な馬の隣に立つ姿が湖の水に映っているのほど、素朴で美しいものを見たことがなかった。
本書は「過酷だが美しい」「美しいが過酷だ」「貧しいが幸福に生きている」「富があるが苦しんでいる」といった複雑な声に満ちている。この語りを支えるのは、語り手の素直さと観察眼、そして彼の多様な立ち位置だ。
ジョゼは教育を受け、黒人小屋通りからただひとりバカロレア(フランスにおける大学入学資格を得る教育機関)に合格して、黒人少年としては例外的に「黒人小屋通り」以外の世界を目撃した。
ジョゼ少年は、自分が住んでいた世界以外を知ったうえで、黒人小屋通りとそこに住む人たちに親愛の情を向ける。彩り豊かな語りには、「誰も語らなかった黒人小屋通りについて自分が語ろう」とする意思がうかがえる。
著者はジョゼ少年と同じように高等教育を受けた後にフランスにわたり、第二次世界大戦中に本書を書いた。自分の土地を離れ、宗主国の言語で語ることについて、著者がどのような心境だったのかはわからない。だが、著者のように、フランス語で書くマルティニーク人がいなければ、世界はマルティニークに住む黒人たちの声を知る機会が遅れただろう。一方で、自分たちの言葉で語らずに外国語を使う文学者たち(総じて彼らはエリートだ)への批判があるのもわかる。
この白黒つけられない微妙さもまた、マルティニーク文学らしい。
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アメリカ南部の黒人少女小説。『黒人小屋通り』が祝祭的な黒人社会だったのにたいして、『地下鉄道』は地獄としか言いようのない奴隷社会から少女が逃げ出す物語だ。過酷な物語だが、少女が誇り高い逃亡者なので、最後まであっというまに読んでしまう。
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同じくマルティニーク島生まれの作家による小説。『レザルド川』でももちろんマルティニークに住むムラートと黒人たちの世界は描かれるが、こちらではむしろマルティニークの美しい自然を賛美することに主眼が置かれている。思念で対話しながら川をくだるシーンは、ハンター×ハンター感があってよかった。
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