ボヘミアの海岸線 - 海外文学の感想

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『居心地の悪い部屋』岸本佐知子編|日常が揺れて異界になる

  Hにつねにつきまとっていた、あの奇妙な無効の感じを、どう言葉にすればわかってもらえるだろう。 

――岸本佐知子編『居心地の悪い部屋』

言葉は、未知の世界を切り開いて照らす光であり、既知の世界を異界に揺り戻す闇でもある。『居心地の悪い部屋』は、日常に闇をしたたらせる言葉、日常を異界に突き落とす言葉だけを集めた闇アンソロジーだ。

収録された12の短編どれから読んでも、もれなくそわそわして、背後を振り返りたくなる。編者は腕によりをかけて不安になる物語を集めたらしいから、「いやな後味」「具合が悪くなる」はきっと褒め言葉になるだろう。

居心地の悪い部屋 (河出文庫 キ 4-1)

居心地の悪い部屋 (河出文庫 キ 4-1)

 

 

収録作品はそれぞれ趣が異なるが、いくつかの共通点がある。

まず、暴力や死が練りこまれている話が多い。これはわかりやすい。身体的な安全が脅かされれば、心的安全が揺らいで不安になる。「ヘベはジャリを殺す」「チャメトラ」「あざ」「父、まばたきもせず」「潜水夫」「やあ!やってるかい!」では、殺人や事故や監禁などの暴力と、その結果としての死が背後にうごめいている。

ジャリのまぶたを縫い合わせてしまうと、ヘベはそこから先どうしていいかわからなくなった。

暴力がなくても、想定外のものや事象に対峙すれば不安になる。「あざ」「どう眠った?」「潜水夫」「ささやき」「オリエンテーション」「喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ」は、日常に想定外の異物がぬるりと入りこむ不安、自分の知っているルールや常識とは異なるものに対峙する不安を描いている。

そして、「理由がまったく分からない」状態を描いた作品たち。「ヘベはジャリを殺す」「父、まばたきもせず」「ケーキ」では奇怪な行動や暴力が描かれているが、彼らがなぜそのような行動をするのかがわからない。だから怖い。

わたしは丸々となりたかった、とても丸々と、なぜならわたしは丸々としていなかったから、だからわたしは何か手だてを、計画をたてようと思った。

「ヘベはジャリを殺す」「チャメトラ」「あざ」「分身」「ケーキ」など、幻影や悪夢めいたヴィジョンを描いた作品も多い。

 

限りなく自分の見知っているものに近いはずなのに、なにかがずれている。自分が知っている日常とよくわからない「それ」との落差が、不安と恐怖をうむ。

その感情は、部屋の床にあらわれた巨大な亀裂をのぞきこむ時みたいなものだ。隙間から落ちないとわかってるから楽しめるものの、うっかりすると落下しかねないので、摂取時にはお気をつけを。

 

 収録作品

気に入った作品には*。

  •  「ヘベはジャリを殺す」ブライアン・エヴンソン***
    最初の作品にこれを持ってくるところがすごい。タイトルどおりの話なのだが、親密な友情の話でもある。温かい友情の言葉と暴力は、ふつうなら相容れない。なのに一緒になっている。最後までほんとうに怖い。

  • 「チャメトラ」ルイス・アルベルト・ウレア***
    幻想の風味が強い作品。最後のシーンがすばらしく映像的でありながら映像化できないもので、まさに悪夢のヴィジョンと呼ぶにふさわしい。

  • 「あざ」アンナ・カヴァン*
    影のある同級生は、秘密を抱えているらしい。世の中でうごめいている暴力のルールに一瞬だけ触れてしまった恐怖をあざやかなヴィジョンとともに描く。

  • 「どう眠った?」ポール・グレノン*
    眠りを建築で表現する、奇想系。命が脅かされる不安はないので、本書のなかでは平和に読める。語っている内容は異様だが、マウンティングしあうあたりはものすごくリアルで、その落差がおもしろい。

  • 「父、まばたきもせず」ブライアン・エヴンソン*
    父がなぜこのような行動をするのか、その心が見えない恐ろしさ。乾いた心が、乾いた大地の描写と重なっていて、フアン・ルルフォのような読後感を与える。

  • 「分身」リッキー・デュコーネイ
    部屋に分身がいた話。掌編とも言える短さなうえ、奇想といえるほどではなかった。

  • 「オリエンテーション」ダニエル・オロズコ**
    入社オリエンテーションのテンプレート文章にのせて、いかれた企業の暴露話が続く。まったく仕事の話をしていないので笑った。しかし、オリエンテーションをきっちり受けていないと、この会社ではすぐに命が危なくなりそうだ。

  • 「潜水夫」ルイス・ロビンソン**
    ずうずうしい潜水夫に頼み事をせざるをえなくなったレストランオーナーの男が、潜水夫につられてどんどん逸脱していく「日常地すべり」系。暴力の衝動がおさえられなくなるあたりがリアル。

  • 「やあ!やってるかい!」ジョイス・キャロル・オーツ*
    一息でつないでいく文章が奇妙だが、「やあ!やってるかい!」と会う人会う人に声を掛ける男もそうとうにいかれている。しかし、世の中を見てみれば、こういう事件はありそうで、それもまた恐ろしい。

  • 「ささやき」レイ・ヴクサヴィッチ**
    本書のなかではいちばんの王道ホラー。王道だがやはり怖い。最後の1行で、ぎゃーとなった。

  • 「ケーキ」ステイシー・レヴィーン**
    ケーキを大量に並べるヴィジョン、パラノイア的な思考が、まったく理解できなくていい。

  • 「喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ」ケン・カルファス
    えんえんとファールを打ち続ける選手の話など、普通ぽく見えて普通のルールからはかけ離れた野球の話が続く。野球をよく知っている人ならもっと楽しめるのかもしれない。

 

Recommend

暴力、死、不可解なルール、幻視、これらすべてを練りこんだイラク生まれの作家による短編集。脳髄が色とりどりの布とともに飛んでいく圧倒的なヴィジョンは、今も脳裏に残っている。

 

遁走状態 (新潮クレスト・ブックス)

遁走状態 (新潮クレスト・ブックス)

 

 『居心地の悪い部屋』で唯一、2作品が掲載されている作家の短編集。「へべはジャリを殺す」がすごかったのでこちらも読んでみたい。

 

収録されている「あざ」のひんやり感を極北までつきつめて、永久凍土に突っ込んだような小説。私は不可解かつ圧倒的な幻視をする小説が好きなのかもしれない。