『アフター・クロード』アイリス・オーウェンス|世界に負け戦を仕掛ける
「あなた絶望的よ、防戦一方で。恐れていたよりビョーキだわ。」
――アイリス・オーウェンス『アフター・クロード』
文学にはしばしば、孤軍奮闘で世界に抵抗し、戦いを挑む人間が登場する。カミュが描いたカリギュラは不可能に抗って理不尽をきわめ、リチャード・パワーズ『囚人のジレンマ』の父親は、ひとりで世界の潮流に抵抗しようとした。
ひとりの人間が世界に抵抗することは、海の色を絵の具で変えようとするようなもの、不可能であり、負け戦だとわかりきっているのに、なぜ、と人は言い、彼らを「狂人」と呼ぶ。
それでも、世界に抗い、降伏を拒み、罵倒せずには生きられない人間がいる。『アフター・クロード』の語り手ハリエットも、そういう人間のひとりだ。
続きを読む『断絶』リン・マー|疫病世界で追憶するゴーストたち
『消失の惑星』ジュリア・フィリップス │閉ざされた土地、痛みの波紋
『丸い地球のどこかの曲がり角で』ローレン・グロフ|フロリダ、ワニと亡霊が蠢く異形の土地
ためしに一度、フロリダで戸外を歩いてみるといい。あなたは始終、蛇に見はられていることになる。植物の根を覆う敷き藁の下に蛇がいる。灌木林に蛇がいる。
――ローレン・グロフ 『丸い地球のどこかの曲がり角で』
フォークナーのヨクナパトーファや、ル・クレジオのマルティニーク、中上健次の路地のように、愛憎まじえた執念に近い迫力で、ある土地について書き連ねる作品群が好きだ。
だから「フロリダ」(原題)という直球のタイトルで、フロリダについて描くこの短編集は、もうその佇まいだけで好きになってしまう。
"サンシャイン・ステート"フロリダは、太陽光に満ちた明るい土地、リタイア後の保養地としてアメリカ人が好む土地、ディズニー・ワールドなどがたくさんある人気の観光地という印象がある。
しかしグロフが描くフロリダは、湿地の影に蛇とワニがうごめき、ハリケーンと亡霊が跋扈する、闇と湿度と耐えがたい暑さに満ちた、異様な土地だ。
不穏な異形の土地となったフロリダについて、著者は、愛憎が入り交じった語り口で語る。 続きを読む
『見えない人間』ラルフ・エリスン|僕を見てくれ、人間として扱ってくれ
「僕を見てください! 僕を見てくださいよ!」
ーーラルフ・エリスン『見えない人間』
感情と尊厳を持つひとりの人間として扱われたい。おそらく誰もが持つであろう願いだが、実現は思いのほか難しい。人種、性別、特徴、そのほかさまざまな理由で、人や社会は、自分とは異なる人を「人間ではないなにか」としてぞんざいに扱う。
「僕は見えない人間である。僕の姿が見えないのは、単に人が僕を見ないだけのことなのだ」
「見えない人間」とは、無視されるか、都合のいい道具として利用されるかして、ひとりの人間としては扱われないことだ。
1930年代、ニューヨークの地下どこかにいる黒人青年が、怒りをあらわにしながら、都合のいい道具として扱われてきた過去を饒舌に語る。
続きを読む『ニッケル・ボーイズ』コルソン・ホワイトヘッド|どこまでも追ってくる、悪霊としての暴力
僕がされた仕打ちを見てくれよ。どんな目に遭ったのか見てくれよ。
――コルソン・ホワイトヘッド『ニッケル・ボーイズ』
運悪く、暴力や差別がはびこる劣悪な環境に生きることになってしまったら、とる手段は限られている。戦うか、逃げるか、屈服するか。
コルソン・ホワイトヘッドの小説では、暴力と差別に苦しむ黒人の少年少女たちは、つねに「屈服」以外の選択肢を選ぶ。
舞台は1960年代フロリダ州、キング牧師による公民権運動が巻き起こった時代である。
黒人の地位向上と大学進学を目指す黒人少年エルウッドが、無実の罪で少年矯正院ニッケル校に送られる。
「少年を教育して社会復帰させる」とのうたい文句は名ばかりで、ニッケル校は苛烈な暴力と虐待がふきすさぶ無法地帯だった。鞭打ち、強制労働、性的虐待だけでなく、学校側による殺人と隠ぺいも横行していた。
このおぞましい閉鎖世界で、エルウッドとターナーふたりの少年は友情を育み、ニッケルの暴力にさらされながらサバイブしようとする。
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アメリカ文学のフェア選書して、ポップを書いて、青山ブックセンターで開催中
青山ブックセンター本店で、2020年秋に書いた「アメリカ大統領選挙の支持地盤で読むアメリカ文学フェア」を開催してもらっている。
1月末まで開催予定で、その後のフェア開催予定によってはもうすこし伸びる、あるいは場所を移動して続行とのこと。
35冊ぐらい選書して、30冊分ぐらいポップ文章を書いた。
ブログ記事に書いた紹介文は長いので、文字数制限をつけて、ぜんぶ書き直した。
書店フェア向けのポップ文章を書いたのは、2015年の「はじめての海外文学」フェア第1回以来なので、じつに5年ぶり。
文字数制限があるぶん難しくなるけれど、私は昔からわりと文字数制限がある紹介が好きだったことを思い出した。30冊一気にポップをつくる体験ははじめてで楽しかった。
青山ブックセンターのフェア担当の人が、フェア棚を組んでくれて、フェアタイトルなどを作って飾ってくれた。しかも、ブルーステート、レッドステート、スウィングステート、それぞれに色シールを貼って見やすくしてくれている。
ブログ記事が、物理化するとこうなるのがすごい。
なんというか、こう、次元移動のすごみを感じる。
まるまる1棚分どかーんとフェアをやらせてくれた、青山ブックセンター本店と担当者の人にはすごく感謝している。まさか本当にできるとは思ってなかったので。
ブログ記事を読んでくれた人は、ふだんあまりアメリカ文学を読んだことがない人が多かったので、今回のフェアでも、あまりアメリカ文学を読んだことがない人が、沼にちょっとでも足をひたしてくれたらいいなーと思っている。こっちの沼は楽しいよ。
詳細情報
- 場所:青山ブックセンター本店
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オープン時間:10時~20時
ほかのお仕事
『掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン|彼女はあっけらかんと笑っている
ブルーム夫妻は大量に、膨大に、薬を持っている。彼女はアッパー、彼はダウナー。男ドクターは"ベラドンナ"の錠剤も持っている。何に効くのか知らないけれど、自分の名前だったら素敵だと思う。
ーールシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』
私がコインランドリーを偏愛するようになったのは、フィルムカメラを持って町をうろついている時だった。
コインランドリーは、とりたてて美しいわけではない家事をやる場所なのに、写真で撮ると不思議と美しい場所になる。整然と並ぶ洗濯機の丸い扉、ぐるぐると回るカラフルな衣類、洗剤のにおい、自分の服を待つ人たちが座る姿、家でおこなわれる家事が公共の場でおこなわれている空間は、家にも学校にも町にも他のどこにもない、特別な雰囲気があった。
その不思議さが好きで、私はコインランドリーを偏愛していて、コインランドリーが出てくる作品は好感度があがる。
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『心は孤独な狩人』カーソン・マッカラーズ|われら人類は皆すごくさびしい
「あんたただ一人だ」と彼は夢見るように言った。「あんただけだ」
ーーカーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』
マッカラーズ『心は孤独な狩人』を知ったのは7〜8年ぐらい前、評論かエッセイかなにかを読んでいた時だった。『心は孤独な狩人』”The Heart Is A Lonely Hunter"というタイトルの響きに惹かれた。ただ日本ではもう長らく絶版で、当時は電子書籍版もなかったので、原書で少しずつ読んでいた。
マッカラーズが描くさびしさがつくづく胸に迫るので、なんでこんないい小説が絶版のままなのだろうと思っていたら、なんと村上春樹訳で復刊した。しかも出なかった理由が「村上春樹の最後のとっておき」だからだなんて! ぜんぜん予想と違っていて、びっくりした。
そんなわけで、マッカラーズ『心は孤独な狩人』新訳での復刊は、私にとってはけっこうな慶事なのである。
こんなに混み合った家の中で、人がこんなにも寂しい気持ちになれるというのも、考えてみればおかしなことだった。
『心は孤独な狩人』は、さびしい人間たちの小説だ。
物語の舞台は1930年代、アメリカ南部の小さな町。聾唖者シンガーは、聾唖のアントナプーロスと住んでいた。ふたりはともに言葉を話せなかったが、手話で会話して暮らしていた。しかしアントナプーロスが精神病院に送られたことで、2人の共同生活は終わりを告げる。
続きを読むアメリカ大統領選挙の支持地盤で読む、アメリカ文学リスト
2020年アメリカ大統領選挙は激戦だった。2016年大統領選挙以降、世界中で、共和党と民主党それぞれを支持する「支持州」と「支持層」に注目が集まったように思う。
アメリカの大統領選挙は、人口ごとに選挙人数が割り振られ、州ごとにどちらかの政党を選ぶ「勝者総取り方式」が大半だ。そして州ごとにどちらかの政党を選ぶ傾向があり、この傾向は「土地」と「社会構成」を反映するため、多くのニュースやエッセイが問いを投げかける。
各政党の支持地盤はどんな地域か、どんな歴史があるのか、どんな人たちが住んでいるのか?
この問いにたいする論考やエッセイ、書籍はすでにたくさんあるが、「アメリカ文学」もこの問いにたいして答えのひとつを持っている、と思う。
文学は、土地と社会と人によって育まれる。「どんな人たちなのか」「その人たちが生きる土地はどんな場所か」「その土地はどんな歴史を持っているのか」を知るには、うってつけだ。
そんなわけで、各政党それぞれの支持地盤ごとに「アメリカ文学リスト」をつくってみた。
方法
アメリカを下記3つに分類し、それぞれの地域を舞台とした小説をまとめた。作者の出身地ではなく、小説の舞台で選んでいる。「出身地=小説の舞台」もある。
- レッド・ステート:共和党を支持する傾向の州
- ブルー・ステート:民主党を支持する傾向の州
- スウィング・ステート:両方の支持が拮抗している州、激戦州、パープル・ステート
政治傾向は、21世紀以降の傾向で分類している。「州」で分類したのは、重複なくわけられるためだ。(社会構成は、性別、人種、経済、教育などいくつも要素があるので分類しづらい)。
州の中でも都市(民主党)と地方(共和党)では投票傾向に差がでるが、これまた分類が難しくなるし、州ごとに投票傾向があること、ニュースが州ごとに報道していること、多くの人が州単位の色分け地図を見慣れていることから、州単位でまとめている。
なお、このリストで紹介する文学は、あくまで「風土、文化、住む人々の声」を知るためのもので、作者の政治思想とは関係ないし、政治について語っている小説でもない。
また、明確な場所がわからないアメリカ文学、ちょっと出てくるけれどメイン舞台でない小説(メルヴィル『白鯨』におけるマサチューセッツ州ナンタケットなど)は対象外にしている。
レッド・ステート(共和党の支持地盤)
レッド・ステートは、地方、内陸側に多い。面積が広いため、地図で見るとレッド・ステートが圧倒的多数に見えるが、人口密度が少ないため、選挙人の数は少なめだ。
「南部」は、綿花栽培と奴隷制度の歴史を持ち、湿地帯が広がっている。また熱心なキリスト教地域で、聖書を読み、教会に行く人が都市部より多い。現在では聖書アプリを携帯電話にいれている人を多数見かけるという。
- 小説の舞台:南部ヨクナパトーファ郡(ミシシッピ州)
南部といえば、みんな大好きフォークナーである。8月になると、私のTwitterタイムラインではみんなが『八月の光』を読み始める。舞台のほとんどが、南部にある架空の郡「ヨクナパトーファ郡」。ヨクナパトーファ郡は、彼が住んでいたミシシッピ州ラファイエット郡がモデルと言われている。奴隷制度、綿花畑、白人と黒人の血が混ざっていく、血が燃えたぎる土地のサーガを「ヨクナパトーファ・サーガ」として連作で書いている。中でも『アブサロム、アブサロム!』は何回も読み返したい傑作。
- 小説の舞台:南部(ジョージア州)
恩寵作家ことフラナリー・オコナーはジョージア州出身で、自身が南部小説家であることを強く意識していて、「私の書物に性格を与えた環境上の事実は、南部人であることと、カトリック教徒であることの2つである」と言い切っている。オコナーの小説は南部を舞台とした「恩寵系・劇薬小説」で、「自分はいい人」と思っている人間にたいして激烈な「恩寵」を与えて、目の中に入っている丸太を叩き落とす。どれも弾丸のように撃ち抜いてきて忘れがたい。
- 小説の舞台:ミシシッピ州
「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」とアーネスト・ヘミングウェイは書いた。舞台はミシシッピ州。『ハックルベリー・フィンの冒険』は、白人少年ハックと黒人の逃亡奴隷ジムがともに生きづらい故郷を脱出するために、ミシシッピ川流域をわたる冒険ものだ。川流域の風景、食事、霧など、ミシシッピ川流域の雰囲気にどっぷりひたれる。ハックが決断するシーンは何度読んでもすばらしい。
- 小説の舞台:南部
南部小説の名作と名高いが、長らく絶版で、今年にめでたく新訳で復刊した。ありがとうハルキ・ムラカミ。『心は孤独な狩人』は、「個人の孤独」に焦点をあてている。「自分を理解してくれる人が欲しい、認められたい」という誰もが持つ願いと、人の心はどこまでいっても交わらない悲哀を描いている。聴覚障害を持つ白人は、ほほえみ、うなづき、自分の意見を口にしない。だから南部の多様な人たちが「理想の理解者」として彼に心を打ち明ける。しかし、彼の理解者は? 誰かに認めてほしくて、理想の理解者像を作り上げる。人はそういう悲しくて孤独な生き物なのだ。
- 小説の舞台:深南部(サウスカロライナ州)、ノースカロライナ州
奴隷制度時代のディープ・サウス(深南部)から北部に向かって逃亡する、逃亡奴隷少女のサバイバル脱走小説。「地下鉄道」とは、実際に存在した、逃亡を助ける秘密組織である。逃亡奴隷は地図も情報もないから、彼らの助けなしには逃亡できなかった。主人公は、南北を横断する逃走を続けるので、風景と人々がどんどん変わっていって、アメリカを旅行する(それにしてはあまりにも過酷だが)ロード・ノベルでもある。
- 小説の舞台:テキサス州
イラク戦争から一時帰還した米兵が、「英雄」としてアメフトのスタジアムで、熱狂的な愛国者に歓迎される1日を描いた小説。舞台は、共和党が長年勝ち続けてきたテキサス州。英雄、愛国、アメフト、米軍、お祭り騒ぎといったアメリカてんこ盛り要素と、イラク戦争のフラッシュバックが入り乱れる、21世紀アメリカらしい小説。
- 小説の舞台:中西部
おそらく中西部と思われるアメリカの田舎町で、麻薬を打ち、刑務所を出入りしている「破滅的に生きているアメリカ人」を描く。彼らはたいてい貧しく無職で、空き家にはいって金属を盗んだり、ひたすら飲んだくれたり、麻薬にふけったりする。目にナイフが突き刺さっている人が緊急治療室にくるなど、タフでユーモアがある物語が、電撃のような文章で描かれる。目にナイフが刺さっている人の話は、YouTubeでショート・ムービーが見られる。著者が目にナイフが突き刺さった男役で、真顔ギャグで大変よい。
- 小説の舞台:中西部
中西部に広がる原生林を舞台とした「アメリカン・樹木小説」。中西部に木を植えた一族の末裔が、アメリカ最後の原生林に呼び寄せられて西へ向かう。アメリカの中西部といえば、開拓し尽された赤い土を想像しがちだったが、原生林が残されていると、『オーバーストーリー』ではじめて知った。
- 小説の舞台:オクラホマ州、中西部
アメリカのど真ん中、中西部にあるオクラホマ州と西部、カルフォルニアを横断する「貧困一族の不屈の上京小説」。干ばつ、砂嵐で所有地が使えなくなってしまった農家一族が、仕事を求めて西の都市カリフォルニアへ向かう。同じ家族でも、土地を捨てて土地から離れることで、塞ぎこむ人と、強くなる人がいる。赤い土のオクラホマ州、カリフォルニアに向かう途中の西部州を移動するロード・ノベルであると同時に、資本家によって土地を奪われる経済構造のえぐさを描いている。
ブルー・ステート(民主党の支持地盤)
ブルー・ステートは、都市部、海岸沿いが中心だ。代表的なのがニューヨークがあるニューヨーク州、サンフランシスコやシリコンバレーがあるカリフォルニア州だ。都市部のため、面積は狭いが人口密度が高く、ニューヨーク州とカリフォルニア州は、トップ3の選挙人数を持つ。
東海岸は、入植者ピルグリム・ファーザーズが住み着いた町で、アイビーリーグをはじめとした著名大学が集中している。
西海岸は開拓時代のゴールド・ラッシュで爆発的に人口が増え、その後はIT企業が集まるシリコンバレーとなる。IT界隈にいる人たちが考える「アメリカ」のイメージはほとんどが西海岸ベースだと思う。日本人(そして多くの外国人)にとって最もなじみがあるだろう、アメリカ地域。
- 小説の舞台:ニューヨーク州
ポール・オースターは、「ニューヨーク三部作」をはじめとして、東海岸ニューヨークを舞台にした小説を書いている。初期の「ニューヨーク三部作」は都市の孤独と幻影が強い都市小説で、『ムーン・パレス』はニューヨーク州の名門コロンビア大学に通う学生が主人公。『ブルックリン・フォリーズ』『サンセット・パーク』は、ブルックリンを舞台にした、家族小説。
- 小説の舞台:ニューヨーク州
21世紀になって、ティファニーにダイニングができた、というニュースを聞いた時、50年以上前の小説の人気をあらためて知った。売れない小説家の男性と自由奔放な女性が出会い、ニューヨークを歩きながら会話する。ホリーの話がとてもいい。
- 小説の舞台:ニューヨーク州
ニューヨークを散歩する、散歩小説。ナイジェリア系アメリカ人の精神科医が、マンハッタンの街並みをひたすら散歩し、思索にふけり、人々と話し、また考え、歩いていく。ニューヨークを歩きながらナイジェリアの記憶に地すべりしていき、マンハッタンを歩きながら世界のどこか、あるいはどこでもない場所を歩いている。
- 小説の舞台:ニューヨーク州
ニューヨークのメトロポリタン美術館へ家出する、タフな姉弟の冒険小説。「みんなのうた」の「メトロポリタン美術館」でトラウマとなった人が多いだろうが、原作は最高なので、ぜひ読んでほしい。小学生の頃に読んで、こういうタフさといたずらと冒険心を持つ大人になりたいと思ってきた。小学生の頃からずっと好き。
- 小説の舞台:ニューヨーク州
世界の金融街ウォール街は、昼夜を問わず激烈に働くピープルの巣窟だが、メルヴィルが描くウォール街には、仕事を「せずにすめばありがたい」と全力拒否する男がいる。仕事をしたくない時に、バートルビーのマネをするだけで心がやすらぐので、仕事したくないなと思ったら(つまり今すぐに)読んでほしい。
- 小説の舞台:ニューヨーク州
ニューヨークの「金融街」としての狂乱を描いた小説。インターネットがない時代、小学生の少年JRが電話と郵便を駆使して企業を成長させていく。無邪気さ、金へのがめつさ、成り上がりぶりから、アメリカの擬人化小説としても読める。分厚いうえに、99%発話者がわからない会話のみという狂気のスタイルで、読者を混沌にぶちこむ。
- 小説の舞台:ニューヨーク州
偉大なるギャツビーが屋敷をかまえたのは、ニューヨーク州郊外のロング・アイランドである。アメリカン・ドリームを手にして失う、ピンクスーツを着た男の恋と悲哀を描く。
- 小説の舞台:カリフォルニア州
ピンチョンの中ではいちばん親しみやすいと言われる、地球人フレンドリーなピンチョンの小説。どこにでもいる平凡な主婦のもとに大富豪の元彼から遺産が……!と、なろう小説に登場しそうな設定の上で、陰謀論と秘密組織と謎が大挙して押し寄せて暴れ散らかす。カリフォルニアの町のあちらこちらに描かれるラッパマークを追っていけば、無事にみんな迷宮入り。
- 小説の舞台:カリフォルニア州
西海岸カリフォルニア州ロサンゼルスに住む作家が、仕事に行き詰まり地元のフリーペーパーに広告を載せる人に会いに行くことを思いつく。ホワイトカラーの著者がいつもの生活をしていたら、フリーペーパーを利用する人々(だいたいがブルーカラーか無職)と関わりあうことはないが、この行動によって不思議な出会いがうまれる。それぞれのフリーペーパー掲載者の癖の強さと、ミランダの素直でさらけ出すスタイルがあいまって、とてもいい。アメリカ・ミーツ・アメリカ。
- 小説の舞台:カリフォルニア州
アメリカから世界に広がったビート・ジェネレーションは、西海岸、カリフォルニア州サンフランシスコで誕生した。ギンズバーグが詩集を刊行した、カリフォルニアのシティ・ライツ・ブックストアでギンズバーグは『吠える』を刊行した。ヒッピー文化の源泉ともなる、大きなムーブメントをつくったサンフランシスコは、けっこうな文学都市だと思う。
- 小説の舞台:カリフォルニア州
きらきらしたサンフランシスコではなく、日雇い労働と娼婦と飲んだくれのサンフランシスコを描く。いろいろ丸出しで、精神全裸とでも呼ぶべき率直さは、読んでいてすがすがしい。ブコウスキーはすぐに仕事を辞めてアメリカ中を転々とするが、やがてサンフランシスコに落ち着いた。作品の舞台のほとんどはサンフランシスコで書かれている。
- 舞台:カリフォルニア州
ブローティガンの描くアメリカは、端的に言えばすごく変だ。幻想が浮遊している、メランコリア・アメリカ。
スウィング・ステート(激戦州)
スウィング・ステート(共和党と民主党どちらにも寄らず揺れ動く州)は、激戦州であり、勝敗を左右する。北部カナダ国境沿いの五大湖周辺、西海岸のフロリダ州、南部メキシコ国境沿いが、おもな激戦州として注目されている。
五大湖周辺はカナダ国境に近い内陸で、冬はとても寒い。水路があるため、工業地帯として発展したが、グローバル化のあおりを受けて、今は「ラスト・ベルト」(錆ついた工業地帯)と呼ばれる。2016年大統領選挙では、五大湖地域州が共和党に投票したことが話題となった。
メキシコとの国境地帯は砂漠が多く、ラティーノ系住民が多い。また不法移民対策のため、メキシコとの間に「壁」をつくる、と言われた場所でもある。
- 小説の舞台:イリノイ州
五大湖地域イリノイ州の都市シカゴを舞台にした「アメリカの下町」小説。シカゴは工業地帯で移民が多く、冬はとてつもなく寒い。2019年にはマイナス50度の大寒波ニュースが出た土地だ。訳者の柴田氏いわく、日本の京浜工業地帯に雰囲気が似ているらしい。冬の寒い景色、移民、工業地帯の下町など、ラスト・ベルトの雰囲気をぞんぶんに感じられる。
- 小説の舞台:イリノイ州
貧しい実家への割り切れない感情を描いた、「田舎の実家」小説。五大湖地域イリノイ州の貧しい工業地帯の田舎で幼少期をすごした女性が、兄弟の中でひとりだけ大学に行き、結婚してニューヨークに移り住み、アメリカン・ドリームを叶える。実家は貧しく、親とは気質があわず疎遠になっていたが、会ってみるとさまざまな感情が飛来する。とても繊細な心の揺れを描く作家で、実家に複雑な感情を持っている人におすすめ。
- 小説の舞台:オハイオ州
五大湖地域オハイオ州にある、架空の田舎町ワインズバーグに住む人たちを描く群像小説。小さな田舎町で「自分は特別だ」と思っている人たちが、夢を抱えながらも出口を見つけられないでいる。2016年大統領選挙以降は、『ヒルビリー・エレジー』の先祖としての文脈で紹介されている。
- 小説の舞台:ノースカロライナ州
アメリカ南部には、豊かな湿地帯が広がっている。その湿地帯を舞台にした少女サバイバル。過酷な家庭環境でたった1人で生きてきた少女に、殺人事件の疑いが向けられる。著者が動物学者のためか、生き物と自然の描写が際立っている。
- 小説の舞台:メキシコ国境地域
メキシコ国境地帯といえば、コーマック・マッカーシーである。「国境三部作」ほか、多くの作品舞台が、国境付近の砂漠と荒野である。マッカーシーが描く国境は暴力が吹き荒れており、いちど踏み入れたら生きて帰れる心地がしない。『ブラッド・メリディアン』『血と暴力の国』では人外めいた殺戮者が登場し、「すべての者は死ぬ運命にある」と歌いあげる。
- 『ブラッド・メリディアン』コーマック・マッカーシー|暴力と血が沸騰する狂信の荒野
- 『血と暴力の国』コーマック・マッカーシー|出会ってしまったら終わりの災厄
- 『悪の法則』コーマック・マッカーシー|処刑器具として動き出す世界
- 小説の舞台:コロラド州
メキシコ国境付近のラティーノ系住民とコミュニティを描いた短編小説。表題作の舞台は、コロラド州にある架空の町。先住民系やラティーノ系が多く、白人コミュニティとは交わらない。ラティーノ系アメリカ人が書いた文学はあまり読んだことがなく、国境地帯の雰囲気は他の都市部や南部と違っていた。
まとめ
今回、各州の歴史や人種、風土、経済、政治については、ジェームス・M・バーダマン『地図で読むアメリカ』を参照した。アメリカ50州を10の地域にわけて、歴史、経済、政治、文化をバランスよく紹介していて、アメリカ文学を読む時に、手元に置きながら参照すると、いろいろはかどってよい。
このブログでは「アメリカ文学」とひとつのカテゴリに入れているけれど、読んでいくうちに、多様な国が集まってできた国、まさに「United States」なアメリカなのだと気づく。
あれほど広大な国土で、州ごとに法律も歴史も住んでいる人たちも違うのだから、そりゃそうだろうと思うが、地域やコミュニティを意識せず、なんとなく漠然とした「アメリカという国の小説」として読んできたことも確かで、地図を見て、歴史を調べつつ読むようになったら、ずいぶんとアメリカのいろいろな顔が見えてきた気がする。
その土地に住んだことがなくても、旅行したことがなくても、その土地の雰囲気と歴史を感じられるのが、小説のよいところだと思う。
個人的には、ラスト・ベルトあたりと中西部をあまり知らないから、ここらへんの地域の小説を読んでみたい。
あと、作ってみたらけっこうおもしろかったので、海外文学ブックフェアとしてやってみるのはいかがですか(版元と書店の皆さん、いかがですか)。
海外文学アドベント・カレンダーをつくった
アドベントカレンダーはWeb界隈の奇習なので、説明を置いておきますね
— ふくろう (@0wl_man) 2020年11月22日
「Advent Calendarは本来、12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つ、穴が空けられるカレンダー」「WebでのAdvent Calendarは、その風習に習い、12月1日から25日まで1日に1つ、みんなで記事を投稿していくイベント」
『勝手に生きろ!』チャールズ・ブコウスキー|丸出しでまるごとそこにいる男
「あんた、まるごとそこにいるのね」「どういう意味?」「だからさ、あんたみたいな人、会ったことないわよ」「そう?」「他の人は10%か20%しかないの。あんたはまるごと、全部のあんたがそこにいるの。大きな違いよ」
ーーチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』
ブコウスキーは、いつか読もうと思いつつも通りすごした作家のひとりだ。学生の頃、ブコウスキーは最高だよ、マイ・フェイバリットだよ、とビールを飲みながら(彼はいつもビールを飲んでいた、授業中でも飲んでいた)推してきた友人がいたのだが、なんとなく手に取らないまま読み過ごした。ようやく読んでみた今、思っていたよりもずっとブコウスキーは率直でユーモアがあると知った。なんだ、こんなことならもっとはやく読んでおけばよかった。
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『サブリナ』ニック・ドルナソ丨失踪事件、ソーシャルメディア、陰謀論
みんなに怒りを感じてしまう。
誰に?
みんなだ。自分も含めて。
ーーニック・ドルナソ『サブリナ』
人間社会が発する耐えがたいノイズを、頭が割れるようなレベルまで増幅させたような書物だ。ほとんど表情がない「棒読み演技」みたいな絵柄でありながら、どす黒く歪んだ感情が満ちている。
『サブリナ』は「失踪した女性サブリナに関わる人たち」の話だ。
本書には、3種類の人間が登場する。消えたサブリナを中心に、恋人や家族などの「近い人」、近い人間の知り合いなどの「すこし遠い人」、そして面識がない「まったく遠い人」たちがいる。
恋人や家族は、サブリナの失踪を悲しみ、不安になったり絶望したりする。彼らの知り合いは、サブリナを失った人たちを守ろうとする。
そして赤の他人たちは、サブリナ事件にたいして、妄想と陰謀論に満ちた言葉の石を投げつける。サブリナ事件は二転三転し、サブリナを知る人も、サブリナを知らない人も、皆がそれぞれの作法で病んでいく。
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『11の物語』パトリシア・ハイスミス|嫌ギア全開で突き進め
……あたしがほんとに仕合わせになるのにたらないものといったら、あと一つ。いざというときにあたしがどんなに役に立つか証明してみせればいいだけだ。
ーーパトリシア・ハイスミス『11の物語』「ヒロイン」
保育園に生き物コーナーができた。生き物コーナーにはスズムシやメダカ、カタツムリがいて、園児たちでにぎわっている。おちびとともに、ゆっくりと這ってツノを動かすカタツムリを眺めているうちに、そういえば「カタツムリ小説」がある、と本書のことを思い出した。
本書は「カタツムリ小説」やデビュー作「ヒロイン」を含む、11の短編を収めている。『11の物語』という簡潔で癖のないタイトルとは裏腹に、異様で歪んだ人間たちを描く。
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