ボヘミアの海岸線

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『私の名前はルーシー・バートン』エリザベス・ストラウト|実家への割り切れない感情

バートン家という5人の家族がーーだいぶ常識はずれの一家だったがーーいわば屋根のような構造物になっていて、そうと気づいたときには終わっていたのではなかったか。 

――エリザベス・ストラウト『私の名前はルーシー・バートン』

 実家への割り切れない感情

実家は人生を始めた場所、家族は人生ではじめて関わった他者であり、人にとっての「原点」となるが、素晴らしいものとは限らない。

親から物理的あるいは精神的に暴力を受けた人、気質や考え方が合わない人、貧困で生活が苦しかった人たちにとって、実家や地元は「帰る場所」ではなく「逃れたい場所」となる。金銭、学力、運の力を借りて実家から抜け出した人は、「二度と戻らない過去の場所」として実家を埋葬しようとする。

私の名前はルーシー・バートン

私の名前はルーシー・バートン

 

 

語り手の名前はルーシー・バートン。イリノイ州の田舎(工業地帯で貧しい地域)アムギャッシュの貧しい家庭で育った。実家は叔父のガレージで、テレビもお金もないから皆の話題に入れず、「くさい」といじめられ、友達ができなかった。父親は仕事が続かず子供たちを虐待しがちで、母は忙しいため子供をまともにかまえなかった。

ルーシーは3兄弟のなかで1人だけ大学に入学し、ニューヨークで小説家として暮らし、ささやかなアメリカン・ドリームを実現する。

ルーシーは無事に過去を埋葬し、実家には帰らず、親と連絡もとっていない。そんな彼女のもとに「実家」がやってくる。ルーシーが長期入院している病室に母親が現れて、5日間だけ滞在することになる。

 

さびしさは私が人生の最初期に知った味わいである。その味が口の中のどこかに潜んで、まだ残っていた。

絶縁状態にあった母娘の再会と聞けば、「母娘の対決」あるいは「母娘の和解」といったわかりやすい物語を想像しがちだが、ストラウトはそのどちらにも寄せず、もっと絶妙で繊細な物語を展開していく。

ルーシーと母親の会話は、親しみと緊張感が入り混じっている。過去のつらい記憶、実家を捨てた事実が、ルーシーと母親の間にごろりと横たわっていて、彼女たちは不発弾を避けながらどうでもいい話をしつつ、しかし突然にみずから突っこんで爆発させたりする。かと思えば、母親からのささやかな同意を受けて、ルーシーはこのうえなく幸福を感じたりもする。

気にする性分だったのは私たちだ。母も私もそうだった。この世には一つ確実な判断基準がある。どうすれば人より劣っていると思わなくてすむか、ということ。

毒親への嫌悪、血縁の愛情、トラウマ、共依存、そんな単純な言葉ではルーシーの思いは表現しきれない。著者はラベルづけによるパターン化を拒否して、あいまいな感情を言葉で切り分けず、ごろりと投げ出してそのままに描き出そうとする。

 

ああいう5人が何ともはや不健康な家族だったことかとも思った。しかし、この家族が根っこの部分で相互の心臓に絡みついていたこともわかった。私の夫は「だけど、自分の家が好きじゃなかったんだろう」といった。それで私はこわいと思う気持ちをつのらせた。 

私の周りにも、実家が嫌いだったり、家族と合わない人たちがいる。「独立した大人なんだからつらい関係なんて切ってしまえばいいじゃない」と知らない人は言う。「そうだね」と本人も同意する。だが、彼らは結婚式には嫌いなはずの両親を呼んだり、親が病気になったら取り乱したり、認められたら涙を流したりする。

そして、心臓にからみついた家族の存在、自分の感情に驚くのだ。家族への感情は「好きじゃなかった」で終わらせられるような、単純なものではない。

 

本書は受け入れがたい自分との和解、恥によってうまれる怒りからの解放を描いた小説だと思う。おそらくそれは「自己肯定」と呼ばれるものなのだろうが、著者はわかりやすいラベリングをせず、繊細な感情を幾層にも積み重ねて描く。

ルーシーは、自分の感情にも、他者の感情にも、誠実であろうとしている。他者の感情を断定したり、超越者の視点を使ったりせず、「自分はこう思った」と書くにとどめる。他者のことはわからない、自分の感情も割り切れない、だがそれでいい、と言っているように思える。この姿勢は孤独の肯定だ。孤独を肯定した時、ルーシーは否定したがっていた自分の過去をも肯定する。

 

人生はリセットできない。過去は変えられない。私は私から逃れられない。自分に割り振られた踊り場で踊るしかない。私は私として生きて死んでいく。

本書は、この事実におののき絶望する人を慰める。過去は変えられなくても、過去の受けとめ方は変わりうる。灰色の記憶が、極彩色に一変することだってできる。

彼女の名前はルーシー・バートン。それ以外にはなれないし、それでいいのである。

 

「人生は進む。進まなくなるまで進む。」

Recommend

 

実家が嫌いだが割り切れない感情を抱く小説といえば、ベルンハルトである。『消去』は家族を容赦なく罵倒するが、それでも家族を捨てきれない。笑える要素もある。『凍』のほうはユーモアが影をひそめ、よりつらさが増している。

 

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

アメリカでも貧乏な地域と見なされる「ラストベルト」で生まれ育ったヒルビリー(田舎者)の自伝。著者は大学を出て弁護士となり地元を抜け出したため、ルーシーと重なるところがある。地元に住む白人たちの様子がわかるので、本書の副読本としておすすめ。