ボヘミアの海岸線

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『あなたを選んでくれるもの』ミランダ・ジュライ|人間はいやらしい、だが、それでいい

もし自分と似たような人たちとだけ交流すれば、このいやらしさも消えて、また元どおりの気分になれるのだろう。でもそれも何かちがう気がした。結局わたしは、いやらしくたって仕方がないしそれでいいんだ、と思うことに決めた。だってわたしは本当にちょっといやらしいんだから。ただしそう感じるだけではぜんぜん足りないという気もした。他に気づくべきことは山のようにある。−−ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』

人間はいやらしい、だがそれでいい

 ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』を読んだ時、この人はなんて自分や他人のいやらしいところ、細かい行動や感情の機微をすくいとるのがうまいんだろう、と驚いた記憶がある。

人間は誰しも自分の汚いところや弱いところ、いやらしいところは見たがらない。語らないか、もっともらしい理由をつけるか、記憶を改竄するか、きれいさっぱり忘れてしまうか。

小説家も例外ではない。小説を読む醍醐味のひとつは、作者がなにを暴きなにを隠そうとしているか、を読み説いていくことだと思っている。その観点でいえば、ミランダ・ジュライは素直な作家だ。みずから「自分はいやらしい」と言ってしまっているのだから。

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

 

彼女が自分をそう称した理由は「ふだん生きている限りでは関わらない人間たちの人生をのぞき、自分の制作に役立てようとした」からだ。

ミランダは多彩な創作活動をしていて、小説家でありパフォーマーであり映画監督でもある。彼女は深刻なスランプに悩んでいた。どうあがいてもいい映画脚本が思い浮かばない。そんな時、郵便受けに届く『売ります』広告の無料小冊子『ペニー・セイバー』(メルカリのようなものだ)を見て、広告を出している人に電話をしよう、と思いつく。

そんなわけで、わたしはもうすっかり信念もへったくれもなくなっていた。地面に倒れてアリを見つめていた。自分の名前をググって、わたしがいかにウザいかについて書かれたブログの中に暗号化されて埋めこまれているかもしれない答えを探しつづけた。

人間が他人に電話や連絡をするのは、自分以外の誰かに会って自分の問題を解決する変化が欲しい、あるいは問題そのものを忘れたい時だが、ミランダもまたその例にもれず、スランプ脱却のために「これまで関わったことがない見知らぬ人々」に会いに行き、なぜ広告を出したのか、なにに喜び、なにに悲しむのか、生活についてインタビューをして、自分のスランプ脱出のきっかけを探そうとする。

 『ペニー・セイバー』に広告を出す人たちはインターネットを使わない人々である。使い古したライダースジャケット、スーツケース、写真アルバム(もちろん自分のものだ)、ドライヤー、「誰が買うのだろうか、こんなものを?」というものをごくわずかな金で売ろうとする人々。

つまりミランダより収入が少なく、学歴もない、いわゆる「低所得層」の人たちだ。

アメリカは壮絶な階級社会であり、教育と人種と収入により分断されている。ミランダが交流する人たちは編集者や学者、マスコミ、映画業界の人々、俳優などいわゆる上流階級に所属している。ミランダは目眩をなんども覚えながら、彼らの話を聞き、時に心打たれ、時に嫌悪しながら、彼らの語る人生を記録する。

 いま、わたしの目の前に本物がある。

ミランダのアプローチは「自分の仕事に役立てたい」といういやらしさ、西欧がアジアを「発見」したようにふだん会わない階層の人々と交わることでなにかを「発見」しようとするいやらしさがある。彼女もそれを理解している。だが、インタビューされる人々はそんなエリートの自意識や後ろめたさなどまるで気にせず、想像力を軽々と飛び越える言動をして、現実のにおいを突きつけてくる。

特にすさまじかったのが、生き物を家中で飼っていて家がノアの方舟めいている「ベヴァリー」で、彼女の家は汗と体臭とフルーツの甘ったるいにおいと糞尿のにおいで満ち満ちている。ミランダががんばろうとしてがんばれなかったあたりをよく書いていて、好感が持てる。

 彼女の生の過剰さは、わたしには脅威だった。そこには想像力を働かせる余白も、物語をこしらえる余地もなく、だからわたしに求めたのは、ただそこに存在して、いっしょにフルーツを食べることだけだった。−−「ベヴァリー」

人間の生の営みの大半はネットの外にあって、それはたぶんこれからも変わらない。食べる、痛む、眠る、愛する、みんな体の中で起こることだ。

このインタビューがちょっと変わっているのは、インタビュワーがインタビュー記録中に思いっきり自分の感情や記憶、自分の仕事について思いを馳せるところだろう。仕事でのインタビューや文化人類学などの調査、ドキュメンタリーでは、インタビュワーはなるべく自分の感情を見せないよう努力する(もっとも、なにかを作ろうとする意図がある限り、インタビュワーが透明になりきることは不可能なのだが)。

だが本書はインタビューを受ける人の記録だけではなく、ミランダの記録でもある。ミランダはペニー・セイバーな人たちと話して、考えて、変わっていく。12のインタビューはだいぶ個性豊かだし、「ミランダの変化を追う」という、もうひとつの物語があるのがいい。

 

「現実は自分の想像力を軽々と飛び越えてくるからやめられない」と、多くの作家や創作活動をする人が口にする。私もまったく同感だが、ミランダにも「冗談かと思えるほどの現実」、訳者の岸本佐知子さんが「まったく現実ってやつは……」と書くような出来事が起こる。

最後に出てくるジョーに出会わなければ、映画『ザ・フューチャー』も『あなたを選んでくれるもの』もなかった。それはまちがいない。

きっとわたしはこの経験を下手くそに再現するだろう。本物よりもちょっと不出来で面白くないものしか作れないのだろう。でもそれをわたしは“村の役人ども”の命令でやるのではない。それはもっと上のほうから、あるいはどこか深いところから、笑みを浮かべながらやってきた−−そそのかすような、挑むような、不適ですれっからしな小さな笑い。

自分と他人に素直に立ち向かって解体しようとする人間は、どこかで自分を含めた人間のえぐさ、醜さ、身勝手さに対峙することになる。それらから目をそむけずに「イエス、そのとおり」と言い、美しいものも美しくないものも記録しようとするから、私はミランダ・ジュライという作家が好きなのだ。

人はみんな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。そしてそれは美しい、素敵なことなのだ。

 

ミランダ・ジュライ作品の感想

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Miranda July "It choose you", 2011.