『ジーザス・サン』デニス・ジョンソン|麻薬中毒者は祈る
何をしたらいいのか、こいつにはどうやってわかるのか? 俺の目の端に映る美しい女たちは、俺がまっすぐ見ると消えた。外は冬。午後には夜になる。暗い、暗いハッピーアワー。俺にはルールがわからなかった。何をしたらいいのか、俺にはわからなかった。
――デニス・ジョンソン『ジーザス・サン』
麻薬中毒者の祈り
アメリカの「ど阿呆(ファックヘッド)」と呼ばれる人たちの短編集である。
主人公たちはだいたいドラッグ中毒者で、いつも金がなく、まとまった金が入ればすぐに薬を買いこんで使い果たす。女好きで口説いてはセックスにふける。
生活は安定とはほど遠く、空き家に侵入したり、小銭欲しさにいちゃもんをつけたり、事故にあったり、うっかり友人を撃ってしまったりする。誰もがだいたい監獄や病院にぶちこまれた経験がある。
- 作者: デニスジョンソン,Denis Johnson,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2009/03/01
- メディア: 単行本
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年は五十代、これまでの人生をまるっきり棒に振っていた。そういう人間は、俺たちみたいにほんの何年かを棒に振ってるだけの連中にはものすごく貴重だった。
本書の語りは独特でいかにも麻薬中毒者らしく、「ここでその言葉を?」と驚くような言葉を唐突に撃ちこんでくる。例えば、「助ける」「救う」「愛する」「天国」「父と母」といった言葉たちだ。彼らの生活とこれらの言葉には落差があるように思えるが、彼らは道徳的に生きる人たちよりもずっと助けとか救いについて考えているからこそ、これほどにも神や救いを口にしているように見える。
それは救世主が来る前の瞬間みたいに思えた。救世主は本当に来たが、俺たちは長いあいだ待たされたのだ。
息をするごとに血が口から泡を立てて出てきた。もうあと何回も息はしないだろう。俺にはそのことがわかっていて、こいつにはわからない。ゆえに俺は、この世における人間の一生のひどく哀れなることにつくづく感じ入った。人間みんないずれ死ぬってことじゃない、べつにそれがひどく哀れなんじゃない。俺が言っているのは、こいつは自分が何を夢に見ているのか俺に伝えられないし、俺はこいつに現実はどうなってるのか教えてやれないってことだ。
思い返してみれば私にも、神のことをいつも考えていた時があった。シスターに神のことを教えられてまもない、5歳から8歳にかけてのころだった。木漏れ日や雷雨あけの空の美しさに驚いた時、途方に暮れた時は、だいたい神のことを考えた。こういう記憶を『ジーザス・サン』は呼び起こす。私は驚きながら読み続けた。まさかこんなところでこんな記憶に再会するなんて思いもよらなかったからだ。
俺には雨粒一粒一粒の名前が分かった。
もっと自傷的な人たちのドライで破滅的な物語かと思っていたが、実際の印象はだいぶ違う。どれほど生活がひどく失望していても、彼らは他者や神を呪わない。彼らは「悪いことをする俺が格好いい」なんて自意識はないし、他者を食い物にする悪知恵もない人たちだ。
かわりに、彼らは自分をひどく痛めつける。どうしようもなく途方に暮れていて、「うまくやる」ルールがわからなくて、救いを求めている。
おそらく彼らにとって、生きること、暴力を振るうこと、祈ることに明確な境界はない。
俺にはルールがわからなかった。何をしたらいいのか、俺にはわからなかった。
やつの心には優しさがあったのだと言ったら、信じてもらえるだろうか? やつの左手は右手が何をしているのか知らなかった。ただ単に、なにか重要なつながりが焼き切れてしまっていたのだ。もし俺があんたの頭をぱっくり開けて脳みそのあちこちのハンダゴテを当てることができたら、あんたのこともそういう人間に変えられるかもしれない。
ナイフでできた十字架みたいな短編集だと思った。 感情の鋭さと、祈りの切実さと、言葉の切れ味がすごい。
とくに、短編それぞれの末文が印象的だ。最初の短編「ヒッチハイク中の事故」で孤独をかみしめて突き放していた語りが、最後の短編「ベヴァリー・ホーム」では希望をかいま見せるよう変化するあたりがじんわりくる。最後まで読んでから『ジーザス・サン(イエスの息子たち)』というタイトルにあらためてうならされるのだった。
ああいうへんてこな連中が大勢いて、俺は奴らに囲まれながら毎日少しずつよくなっていく。それまで俺は一度も、俺たちみたいな人間の居場所があるかもしれないなんてぜんぜん知らなかったし、一瞬たりとも想像したことすらなかったのだ。
収録作品
気に入った作品には*。
- 「ヒッチハイク中の事故」***:デニス・ジョンソンの魅力をすべてぶちこんでいて、最初にくるべき作品である。最後の一文がすごい。
- 「二人の男」
- 「保釈中」*
- 「ダンダン」**:うっかり友人を撃ってしまい、病院に連れていくまでのドライブ。車で走る描写がすごい。
- 「仕事」***:空き家侵入に続く凧のシーンがとにかくすごい。
- 「緊急」***:急患の清掃員のもとに、顔にナイフを刺された男が現れる。ぽんこつ医師と薬で飛んでいる清掃員がどちらも強烈な印象を残す。
- 「ダーティ・ウェディング」*
- 「もう一人の男」
- 「ハッピーアワー」
- 「シアトル総合病院の安定した手」
- 「ベヴァリー・ホーム」**:最後にこれを配置するとは本当にやってくれる。
デニス・ジョンソンの著作レビュー
短編「緊急」の映画版。デニス・ジョンソン本人が、目にナイフが突き刺さった男の役で登場する。本当に笑える。
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読んだ時に最初に思い出し、あとがきに真っ先に名前があがっていたレイモンド・カーヴァーは、アメリカでうまくやれない男たちの悲哀を描く。編集者の手が入った、突き放すような短編もよいが、「大聖堂」のようなエモーショナルな作品も好き。
社会になじめないアメリカ人の文学。現実になじめないながらももがく人のつらさと独白がいい。
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