ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

「海外文学・世界文学ベスト100冊」は、どの1冊から読み始めればいいか

#2019年、編集済み。

「海外文学の名作100冊」を分類する

世界文学・海外文学は広大な海あるいは原野のようだ。それゆえ、初心者にとって地図がとても見づらい。「面白い」「古典」「話題になっている」という定性的な物差しはたくさんあるけれど、それだけで歩くにはあまりにタイトルの数が多すぎる。さらに「面白い」の基準は人それぞれなので、リストは無数にある。ほんのり海外文学に興味はあるけれど、どの羅針盤を使えばいいのかわからない人が「とりあえず海外文学ベストならまちがいないのでは」とベスト荒野に向かい、アチャス&エペペする姿を何度も目撃してきた。

というわけで、ノルウェー・ブック・クラブが2002年に公表した”Top 100 Books of All Time”「世界最高の文学100冊」を「値段」「ページ数(読了までの長さ)」「入手可能さ」という定量的な指標で分類してみた。本リストを選んだのは、おそらく日本で最もブックマークがついている海外文学ベスト100のリストだからだ。わたしの好みど真ん中のものもあれば、外れているものもある(わたしの個人ベストはこちら)。

ノルウェー・ブック・クラブ「世界最高の小説100冊」:世界54カ国の著名な作家100人の投票によって選ばれた。

お金がないけれど時間がある学生は「値段」を見ればいいし、ふだん本をあまり読まないのでいきなり長いものはつらいという人は「かかる時間」を基準にして選べばいい。宵越しの金は持たないからとにかく面白いものを、という快楽主義者は私の独断による一言を眺めつつ題名の格好よさで選んでみてもいいだろう。
ようは、その時の気分にあった本を鼻歌でも歌いながら選べばいい。必要なのは、多様な指標とそれに沿った分類、選択肢を増やすことだ。

目次

  1. 文庫1冊で読める作品
  2. 文庫2冊以上で読める作品
  3. ハードカバーで読める作品
  4. 絶版の作品
  5. 未邦訳の作品

すべての本リストは、本文の最後にまとめて記載している。

表記の基準

  • 出身国:言語 |値段 | ページ数 | 入手可能さ | 翻訳の年代|

 書籍データはAmazon.co.jpのカタログに準拠。複数社から翻訳が出ているものについては、総合評価が最も高いものを選んでいるが、ものによっては次点を採用した(理由については各コメント参照)。

値段
  • A:1000円未満
  • B:1001-2000円
  • C:2001-4000円
  • D:4000円以上
分量
  • A:300ページ以下
  • B:301-600ページ
  • C:601-1000ページ
  • D:1001ページ以上

書物の重量や厚さはけっこう重要だ。『重力の虹』の重力ぶりを見てほしい。出版社ごとに異なるが、文庫が1ページあたりだいたい600-700文字、ハードカバーが平均700〜900文字。300ページ以下だとかなり薄く、1冊の分量が500ページを超えると「おお重力」とちょっと思うぐらい。

入手可能さ
  • A:文庫で入手可能
  • B:ハードカバーで入手可能
  • C:翻訳はあるが入手できない(絶版)
  • D:未邦訳

2015年1月1日現在。在庫がなくなったら、出版社と復刊ドットコムの前で復刊祈願の踊りを踊ってください。

翻訳の新しさ
  • A:21世紀
  • B:1980-1999年代
  • C:1960-1979年代
  • D:1959年以前

多くの人が「翻訳が読みにくい」といって挫折するので翻訳の質はとても重要なのだが、この評価はとても難しいうえに好みの問題になる。新しければいいというものではない。ただ日本語は生き物だから、現代語に近いほうがハードルが低いのは確かなので、定量的指標として「初訳で発行された翻訳年」をまとめた。初訳年なので刊行年とはずれている場合がある。「改稿した」という情報がある場合は、初訳年と改稿年を併記。同年代で複数の翻訳がある場合は、独断で名訳と思う方を推薦した。

 
さてお待たせしました、本編です。


1. 文庫1冊で読める作品

まずはここから。『自負と偏見』『城』『ハムレット』などの定番から『不穏の書、断章』『ペドロ・パラモ』『血の婚礼』などほかに比べれば地味だが良い作品までそろっている。個人的にはエドガー・アラン・ポー作品(特にゴシックもの)は導入としていちおし。

 

チヌア・アチェベ『崩れゆく絆』

  • ナイジェリア:英語 | 値段:B | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)

崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)

アチェベは不思議なバランス感覚を持つ作家だ。コンラッド『闇の奥』をはじめとしたヨーロッパ文学が、一方的にアフリカを未開の社会、ヨーロッパの被害者として描くことを痛烈に批判し、「アフリカ人から見たアフリカ」を描こうとした一方で、アチェベ自身はキリスト教に改宗した裕福な家のうまれであった。アフリカである、しかしヨーロッパでもある、という生い立ちの国境線を刀の上を歩くように渡りきったのが『崩れゆく絆』である。主人公の男が脳みそ筋肉のマッチョ男で大変うんざりさせられるのだが、自信がない男が偽りのプライドに固執し、折られ、瓦解する様子を強烈に描いている。自信がないから他人とのあいだに壁を張り、弱さを見られたくないから攻撃的になる男性たちにはぜひ読んで崩れ落ちていただきたい。


ジェーン・オースティン『高慢と偏見』

  • イギリス:英語 | 値段:A | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

自負と偏見 (新潮文庫)

自負と偏見 (新潮文庫)

ツンデレ紳士淑女大国のイギリスが誇る、ツンデレ恋愛文学の金字塔。21世紀においても、英国に住む女性陣がアフタヌーン・ティーをたしなみながら、いかにミスター・ダーシーが素敵かをえんえんに語り続けるので、その根強い人気にはつくづく驚嘆させられる。とにかくエリザベスがかわいい(自負と偏見)し、ダーシーがいきなりツンをかなぐり捨ててデレにつっぱしるところも大変に萌える。
古典中の古典なだけあり、日本では現在8つの翻訳が手に入る。ここ20年ぐらいのあいだに出て、新刊書店で買える翻訳をさらりと比較してみた。

  • 中野好夫訳(新潮文庫):長く新潮文庫の定番として親しまれてきた。2014年に小山太一訳が採用され、絶版となった。語尾が「ですよねえ」などと伸びる。エリザベスのはねっかえりぶりがけっこう高め。
  • 小山太一訳(新潮文庫):中野好夫訳にかわり、2014年から新潮文庫に入った。ここに挙げた4訳の中ではいちばん現代語らしい。
  • 中野康司訳(ちくま文庫):オースティンのすばらしい人物描写と英国貴族の雰囲気が最もよく出ていると思うのが、この中野康司訳。エリザベスとダーシーの語りぶりはいちばん好きだが、ちくま文庫(高い)で2冊なので2000円以上かかる。
  • 阿部知二訳(河出文庫):2006年に新装版として出たが、もとは1968年の翻訳。エリザベスのお嬢さん度が高め。
  • 小尾芙佐訳(古典新訳文庫):こちらも新訳だが、同時期の小山訳とは異なり、やや古典的。「なのよ」「そうだわ」など、いまの女性たちがあまり使わない会話表現が多い。エリザベスのはねっかえりぶりと勢いが控えめ。

というわけで、宵越しの金を持たない快楽主義者はちくま文庫の中野康司訳(1052円×2冊)、新しい翻訳を読みたい人は新潮文庫の小山太一訳、お嬢さん度高めの英国貴族を堪能したいなら河出文庫の阿部知二訳を。小尾訳は個人的に好きではないが、それはわたしが元気なエリザベスが好きだからなので、本屋で実際にエリザベスとダーシーの会話(ここ重要)を読み比べて、いちばんときめく会話を選んでほしい。


 

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』

  • アルゼンチン:スペイン語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

歩くバベルの図書館ことボルヘス翁の文章は、のぞくたびに白い閃光を放つ万華鏡のようで、いつ読んでも目の奥に星が刺さる。この魔術師は、最小限の言葉でメビウスの環を組み上げて、無限を展開する。なぜ彼が無限を展開するのかは、最も魔術師が人間くささを見せた『創造者』にそのヒントがある。ボルヘスは短編もさることながら評論もエッセイもずば抜けている。いつまで読んでもとうてい読み終わる気がしないので、バベルの図書館にひきこもりたい。

 

オノレ・ド・バルザック『ゴリオ爺さん』

  • フランス:フランス語 | 値段:A | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A(初訳は1972年) |

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

清濁併せ飲んだ「いるよねこういう人」という人物を描かせれば、オースティンとバルザック。オースティンが明るくほがらかな恋愛を描いたのにたいして、バルザックが描いたのはごりごりゴリオ爺さんとごりごり金欲まみれの若者たち。みんな清々しいほどにエゴまみれ。ゴリオ爺さんが、娘を社交界で出世(といっても有力者の愛人だけどそこはフランスだから問題ない)させるため、自分の年金をくずして娘たちに部屋を与えて一文なしになるシーンは、いろいろ過去のふたがこじ開けられた。

 

エミリ・ブロンテ『嵐が丘』

  • イギリス:英語 | 値段:B | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘(上) (岩波文庫)

嵐が丘(上) (岩波文庫)

同じ英国出身の女性作家でも、ブロンテとオースティンはあまりにも違う。オースティンは生きている人間を描いたが、ブロンテは人間の形をした荒野を描いた。ダーシーにときめく女性は数多いが、ヒースクリフにときめく人はほとんどいないだろう。この小説では、黒い曇天と霧が逆巻く閉鎖空間で、人間のふりをしたふたつの荒野と屋敷が、咆哮しながら食らうように相手に執着して求めるから、読む人間はただおののくしかない。あまりにも身勝手、お互いへの思いやりや情愛など皆無。だがこの執着もまた、恋という激情のひとつの形ではある。「なぜ人はこれほど孤独なのに他者を求めるのか」という問いへの、ひとつの驚異的な答え。


アルベール・カミュ『異邦人』

  • アルジェリア:フランス語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C(初訳は1951年) |

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 1963/07/02
  • メディア: 文庫
「安い・薄い・いつでも手に入る」がそろっているので気軽に『異邦人』を手に取り、いきなりの「ママンが死んだ」で一緒に死んだ人は少なくないだろう。同じような条件がそろっているカフカ『変身』も、フォーマットの手軽さと中身の重さの差がすさまじい。なぜ両作品で死ぬ人が多いかといえば、両作品ともに徹底的に「共感」を拒むからだろう。彼らは「常識の世界」にぬるりと這いこむ異物だ。人間は正気を失いたくないから、見たくないものは見ない。だけどカミュやカフカはそれらを目の前に突き出し、「ほらほらごらんなさい」と内蔵をさらしてくる。自分は世界とずれていると感じたら、手に取るべき劇薬。

 

アントン・チェーホフ『チェーホフ全作品』

  • ロシア:ロシア語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C/D |

かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

かわいい女・犬を連れた奥さん (新潮文庫)

かわいい女・犬を連れた奥さん (新潮文庫)

チェーホフは、書くものすべてを愛している数少ない作家のひとりだ。なけなしの金をはたいて冬のよく晴れた日にチェーホフを観劇し、泣きたくなったことがある。人生はだいたいがつらく、幸せは瞬間風速でやってきて過ぎ去っていくが、それでも不思議と人間はけっこう生きていけるのだ。過去の思い出と未来への希望があれば。チェーホフは苦いが、きらめいている。戯曲が有名だが、短編小説もすばらしい。訳は神西清訳か小笠原豊樹訳で。


 

エウリピデウス『王女メディア』

  • ギリシア:ギリシア語| 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:D |

メディアといえばドラクロワの絵画。幼いふたりの子をかき抱いて洞窟から外をのぞくこの女は、わが子を守ろうとしているのではない、殺そうとしているのである。ドラクロワが描いたこの目! 『ニーベルンゲンの歌』北欧神話の「シグムンドとシグニイ」とともに、女の激烈な嫉妬が突き抜けている。

 

アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』

  • アメリカ:英語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A(初訳は1953年) |

『白鯨』をはじめとしてアメリカの海の男の話には、やたらおいしそうなごはんが出てくる。『白鯨』のクラムチャウダーと鯨ステーキはすばらしいし、『老人と海』はじつにうまそうに珈琲を飲む。老人が釣ったカジキマグロはわれわれ人間に残された時間、砂時計だが、われわれにすばらしいディナーの夢を見させてくれる希望でもある(熱々にあぶってクリームスープとともにかじりつくのだ)。本書を読む前にブッツァーティ「コロンブレ」を読むと、陰陽のバランスがとれてすばらしい読書体験になると思う。


 

ウォルト・ホイットマン『草の葉』

  • アメリカ:英語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

アメリカという国は『グレート・ギャツビー』のような青年に見える。かつては自信に満ちあふれ、前を向き希望があったが、いまは迷い、失った自信を回復するためにもがいている。「I celebrate myself, and sing myself」とホイットマンが描くアメリカは息切れをおこすほどにまぶしい。岩波文庫では3冊の長編詩なので、まずは古典新訳文庫の抄訳から。

 

イプセン『人形の家』

  • ノルウェー:ノルウェー語 | 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

人形の家 (岩波文庫)

人形の家 (岩波文庫)

  • 作者:イプセン
  • 発売日: 1996/05/16
  • メディア: 文庫
「愛というのは光速で現れ、そして別離は常に音速でやってくる」と書いたのはヴェネツィアを愛したブロツキーだが、愛の終わり、特に女の愛の終わりは、手を離した風船のようにもっとあっけないものではないだろうか。主人公のノーラは『アンナ・カレーニナ』『ボヴァリー夫人』と同じように、恋と思い込みが先行する夢想家だが、結末は2作とは異なっている。いろいろ社会的な物議をかもした作品だが、とにかく女性の愛が冷める瞬間の描写は一級だ。


川端康成『山の音』

  • 日本:日本語 | 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:- |

山の音 (新潮文庫)

山の音 (新潮文庫)

川端の作品を読むとしばらく嗅覚と聴覚と気配への神経が過敏になる。障子の向こうで着替える女の衣擦れの音、呼吸、汗のかすかなにおい、気配を知りながら知らないふりをする男と女の駆け引き。変態だなあとしみじみと感じ入りつつ、外国へ行くときはだいたい川端を1冊どこかにしのばせてしまう。

 

フランツ・カフカ『審判』

  • チェコ:ドイツ語 | 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

すぐに帰れると思っていたんです、あの時は。取り調べにあった人々はだいたいいつの時代でもそう言う。だってなにも悪いことはしていないから。自分が無実だと証明するだけだから。たとえ不正があったとしても、正義がそれを見逃すはずがないから。魔女狩りやナチスや異端尋問はそういう人々の命を食らった。カフカの作品はどれも、時代と国境を越えてあまりにもやすやすと超えて心臓を刺し貫いてくる。まごうことなき文学の魔物のひとり。


フランツ・カフカ『城』

  • チェコ:ドイツ語 | 値段:B | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

組織に服従するのは楽しいですね? 幸せですね? と笑顔で迫ってくる組織ものディストピア三部作——『キャッチ=22』『1984』『城』——の中では、『城』が最もファンキーで笑える。たったひとつのはんこをもらうためにえんえんとたらい回しを受けて数日数月を空費するあいだ、女性をくどいたり、「俺は期待されている!」と浮かれたり落ちこんだり、とにかくひとり遊びがうだうだと数百ページ続く。話のつうじない上司にうんざりしたことがある人なら、きっととても笑えて楽しめて発作がおきる。病院の診察券をしおりにして読もう。
文庫版では新潮文庫と白水社uブックスが手に入りやすいが、翻訳の新しさを考慮してこちらを推薦。値段は新潮社版の方が700円ほど安い。『城』は未完なので、すこしでもすっきりした読後感を残したいなら(カフカにそんな作品は皆無だが)、まずは『審判』を。ブラックユーモアに笑いたいなら『城』からどうぞ。りんごを背中にめりこませたやっかい者ニートの気分になりたいなら『変身』をおすすめする。


カーリダーサ『シャクンタラー姫』

  • インド:サンスクリット語| 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

シャクンタラー姫 (岩波文庫 赤 64-1)

シャクンタラー姫 (岩波文庫 赤 64-1)

未読。インドのシェイクスピアとも呼ばれるカーリダーサが、『マハーバーラタ』に登場する女性をモチーフに書き上げた戯曲。シャクンタラーは仙人の養女で、王と恋に落ちる。しかし聖者から、王がシャクンタラーのことを忘れてしまう呪いをかけられ、呪いを解く指輪をめぐって物語はすすむ。インドの物語は姫がひとりで奮闘する話が多い気がしている。『マハーバーラタ』の『ダマヤンティー姫』も、愛しい王を求めて森をさまよい、虎クエストをこなしたりする。救われるだけの騎士道物語の姫とは違っていて好ましい。たくましい女の子は大好きだ。


 

アストリッド・リンドグレーン『長くつ下のピッピ』

  • スウェーデン:スウェーデン語| 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

強くてたくましい女の子の話には昔からどうも弱く、トーベ・ヤンソン『彫刻家の娘』、カニグズバーグ『クローディアの秘密』は今でもときどき読みかえしている。『長くつ下のピッピ』も昔は大好きだったのに、すっかり忘れていた。「世界一強い女の子」とは最高じゃないか。また読もう。

 

トニ・モリスン『ビラヴド』

  • アメリカ:英語| 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:B |

ビラヴド (集英社文庫)

ビラヴド (集英社文庫)

未読。『青い目が欲しい』をはじめとして衝撃的な小説を発表し、アメリカに驚きを与え続けてきた。青い目が欲しい、その切実な言葉から察するとおり、彼女は黒人だ。ガラスの天井でおおわれる自由の国アメリカの黒人女性は、エリスンが書いたように『見えない人間』だった。『ビラヴド』は、幽霊屋敷に住む元奴隷のセサと娘のもとに現れる謎の女性の名である。

 

ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』

  • ロシア:英語 | 値段:A | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。下の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。」この変態すぎる書き出しを愛している。文学の怪物ナボコフが書いた、言葉と感情と物語の万華鏡。年を追うごとに読み方が変わる驚異的な書物。変態で犯罪者のハンバート・ハンバートが失恋した時の独白があまりにも切実で胸を刺してきたので、いろいろな意味で死にそうになった記憶がある。「絶望的なまでに痛ましいのは、私のそばにロリータがいないことではなく、彼女の声がその和音に加わっていないことなのだと」。


  

ジョージ・オーウェル『1984年』

  • アメリカ:英語 | 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

一九八四年〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

一九八四年〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」。『華氏451度』『すばらしい新世界』『キャッチ=22』とともにディストピア古典に数えられる。絶望とは、ただ1%の希望も断ち切られることだ。ふつうはそこまで絶望することは滅多にない。だが、本書はまさに絶望だ。二重思考<ダブル・シンク>、真理省、新語法<ニュー・スピーク>、ビッグ・ブラザーなど、強烈な世界観と単語に笑いながら絶望しよう。ちなみに新版の解説はトマス・ピンチョンという、高度なギャグ。


 

フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』

  • ポルトガル:ポルトガル語 | 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

この寡黙なちょびひげおじさんは彼の故郷リスボンでは大人気で、CDにもTシャツにも銅像にも人形にもゲームにもレストランにもなっている。どういうことだと首をひねりながら、窓から落ちてくるペソアの恋人をキャッチする、シュールきわまりないゲームを楽しんだ。リスボンだけでなく、当然のことながら日本でもペソアおじさんは大人気だ。嘘だと思うならTwitterのbot(@fpessoa_b)をフォローしてみよう。毎日ふぁぼをつけずにはいられなくなる。リツイートしたくなるのをぐっとこらえる。すぐにあの言葉を読みたくなって、本書を買わずにいられなくなる。


 

エドガー・アラン・ポー『エドガー・アラン・ポー全作品』

  • アメリカ:英語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇 (岩波文庫)

黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇 (岩波文庫)

  • 作者:ポオ
  • 発売日: 2006/04/14
  • メディア: 文庫

ここではじめてオールAが出たが、ああポーか、それならばしょうがない、と首肯する。そう、ポーなのだ。薄暗く不気味な重低音を響かせながらじわじわとクレッシェンドをかけ、最後の一文で銃声を響かせ息の根をとめにかかる短編の名手。ホーンテッドマンションの舞踏会で旋回するドレスとタキシードの影のように、ポーの作品はわたしたちの日常をあっというまに黒と赤と霧色に塗りこめていく。翻訳はあまりにも数が多いが、入手しやすくておすすめできる訳者は、丸谷才一(中公文庫)、西崎憲(ちくま文庫)、八木敏雄(岩波文庫)。最も新しい巽孝之訳(新潮文庫)は「ゴシック編」「ミステリ編」と分かれていてわかりやすく、かつ表紙がかわいいので表紙買いしてもいいかもしれない。「アッシャー家の崩壊」はなんど読んでも最高だ。


 

ガルシーア ロルカ『血の婚礼』

  • スペイン:スペイン語 | 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

スペインのアンダルシアで出会ったフラメンコダンサーと、ロルカとスペインの情念について話をしたことがある。スペインは情熱の国というよりは情念の国で、フラメンコの衣装のように黒と赤が炎のように揺らめいているのだと、彼は語った。ロルカはまさに黒と赤、夜闇と土と森、血と欲情を描く。男の心になお火をともしつづける情念、女の体にしみついたかつての男のにおい、かつて流された血、やがて流されるはずの血。月だけが、死に向かって突進していく男女を静かに見ている。恋をしている時に読むと危険だが、個人的にはとてもおすすめ。情念なき人生などつまらない。

フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』

  • メキシコ:スペイン語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

メキシコの人々はとにかく教会でも庭先でもしゃれこうべを飾るのが好きで、滞在中には何百もの骨たちを目にした。この土地では、此岸と彼岸を隔てる川が干上がっていて、生者と死者がいつでも往復して魂をかすめ合っているのかもしれない。『ペドロ・パラモ』はそんなメキシコの髄液を蒸留したような、すばらしく純度の高い死者の記憶だ。黄色い大地の乾き、しゃれこうべ、土の冷たさ、手のあたたかさ、骨、血がぐるぐる回って脳天を撃ちぬいてくる。ラテンアメリカ文学の嚆矢にして傑作。


ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』

  • イギリス:英語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B/C |

ハリウッド映画が絶対に許さないであろう主人公、それがハムレット王子である。彼は行動しない。迷う。独り言を言いながらさまよう。自分を気づかう女の優しさを笑う。すべては復讐のためだが、それすら果たさない。彼が正気なのか狂気なのかすらわからないまま、読者は怒濤の最終場面へと引きずりこまれる。「行け! 行ってしまえ尼寺へ!」連打とか、なんなんだあの男はもう。
翻訳についてはあまりにも膨大な議論があるので割愛するが、新刊で手に入る訳書のうちおすすめは以下の3つ。個人的には小田島訳か松岡訳がおすすめ。

  • 福田恒存訳(新潮社):1955年に初訳、1991年に改版。新潮社文庫にはいって長いので、おそらく最も多くの人が読んだであろう訳。「したもう」「しれぬ」などやや古典的で時代劇らしい言葉づかいが特徴。
  • 小田島雄志訳(白水社):1983年訳。軽快なリズムとユーモアが特徴。英語の言葉遊びを「日本語の言葉遊び」になおしているため、「あまりにも違いすぎる」との批判もあるが、シェイクスピアを読んで「楽しい」と思ったのは小田島訳が最初だった。
  • 松岡和子訳(筑摩書房) :1996年訳。最も新しい。前者ふたりからすれば知名度は劣るが、役者が劇で口にする「台詞」としてのシェイクスピアを目指す良訳。演劇の稽古場に同席し、役者たちとともに一緒に訳をなんども練りなおしているというだけあり、口にのせた時の響きがよい。
  • 『ハムレット』ウィリアム・シェイクスピア - ボヘミアの海岸線


 

ウィリアム・シェイクスピア『オセロー』

  • イギリス:英語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B/C |

白く清らかな愛情が、くるりとひっくり返って黒い舌を出して笑う。白黒つけられない緑色の目をした怪物、その名は「嫉妬」。人間の感情のうち最も原初のひとつは嫉妬である、といったのは誰だったか。人と人を引き寄せる愛情は重力だから、一線を越えればあっというまに、すべてを飲みこむブラックホールとなる。お互いが信頼しあえるのは愛だが、相手に執着してその自由を憎むのもまた愛なのだ。きれいごとを吹っ飛ばし、ぬらりと心臓の裏をなでてくる。


 

ソポクレス『オイディプス王』

  • ギリシア:ギリシア語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

オイディプス王(ソポクレス) (岩波文庫)

オイディプス王(ソポクレス) (岩波文庫)

「因果応報」は希望である。よい行いをしていればいつかは報われ、悪いことをした者には天罰がくだると信じていれば、たとえいま不幸でもやる気がわく。だが、ギリシア悲劇においては、人間は神が決めた「運命」に逆らえない。すべては物語が始まる前から終わっている。オイディプスのあまりに不幸な呪われた身の上に、われわれはただ呆然とするしかない。そして読み終わったあと、疑問がわく。神はさいころを振るのだろうか?


 

ジョナサン=スウィフト『ガリヴァー旅行記』

  • アイルランド:英語 | 値段:B | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

アンデルセン童話にせよ『千夜一夜物語』にせよ多くの古い物語は「子供向け」として去勢されているものだが、その中でも『ガリヴァー旅行記』は昔に読んだ印象とあまりに違うので驚いた。ガリヴァーは不思議な国をめぐるが、どの国でも彼は徹底的に「われわれではない他者」、異端である。体の大きさというわかりやすい指標がなくても、わたしたちはお互いを「われわれと同じ/われわれとは違う」といって精神の境界線を引く。カフカ『変身』やカミュ『異邦人』、セリーヌ『夜の果てへの旅』に連なる、「世界と和解できない孤独」の冥府。

 

レフ・トルストイ『イワンの馬鹿』

  • ロシア:ロシア語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:D |

イワンのばか 他八篇(民話集) (岩波文庫)

イワンのばか 他八篇(民話集) (岩波文庫)

トルストイの短編は『イワン・イリイチの死』など人間の心を容赦なく暴く作品のほうが好みだが、「イワンの馬鹿」をはじめとした民話もおもしろい。「イワンの馬鹿」は愚直な正直者が救われるという、『オイディプス王』や『ヨブ記』とはまったく正反対の方向をいく物語。人は自分の努力を報われたい生き物なのだ。

 

マーク・トウェイン『ハックルベリイ・フィンの冒険』

  • アメリカ:英語 | 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:D |

小さいころは『トム・ソーヤの冒険』と『ハックルベリイ・フィンの冒険』はどちらもおもしろかったが、いまは『ハックルベリイ・フィンの冒険』のほうが好きだ。彼がいかだの上から眺める星空の描写は、いまも昔も憧れている。

 

ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』

  • イギリス:英語 | 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

「夜に眠れないならヴァージニア・ウルフを読みなさい」という冗談があるが、これはウルフの作品が退屈だからというわけではない。彼女の言葉は眠りを引き寄せる水際に似ていて、過去の沖と現在の岸のあいだでひたひたと寄せてはかえしを繰りかえす。『ダロウェイ夫人』のおかげでわたしはロンドンがいちばん美しくなるのは6月だということ、薔薇園の美しさ、トラファルガー広場へ向かう道の木漏れ日、水晶も6月の庭も青春の恋を前にしてはただ色褪せることを知った。
『ダロウェイ夫人』最新訳は2010年の土屋政雄訳(古典新訳文庫)。土屋訳は原文にある「他者」の声を一人称で統一しすぎているので、集英社版を選んだ。


 

ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』

  • イギリス:英語 | 値段:B | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

灯台へ (岩波文庫)

灯台へ (岩波文庫)

いつか灯台に住みたいという夢に今もとらわれている。北欧やスコットランドの灯台サイトを訪れ、夏のあいだに滞在できる灯台を探し、スティーブンスン一族のことを思い、写真を眺めてはぼんやりしている。わたしが『ダロウェイ夫人』より『灯台へ』へを愛するのは、そんな灯台愛がすこしだけ関係しているかもしれない。サン=テグジュペリシェイクスピアが歌ったように、人間の営みは地平をともす灯だ。束の間またたいて、あっという間に消えていく。だからウルフは灯台を残した。第2章は突風のような忘れがたい印象を残す。わたしにとって人生の1冊。


 

鲁迅『狂人日記』

  • 中国:中国語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

『狂人日記』といえばゴーゴリと魯迅によるものがあるが、両者はかなり異なる。ゴーゴリの狂人は2匹の犬の恋愛関係が気になってしかたなくなったり、自分をスペインの王位継承者だと思いこんだりしてわかりやすくぶっとんでいるのだが、魯迅の狂人はひっそりとしていて不気味だ。「四千年の人食いの歴史を持つ私!」という叫びは、狂人の言葉を借りて、中国の暗い水底を指差しているようでもある。

旧約聖書『ヨブ記』

  • ヘブライ語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

  • 発売日: 1971/06/16
  • メディア: 文庫
なぜわれわれは、こんなにつらい目にあうのか? 良い行いをすれば救われるのではないか? ならばなぜ悪人が栄え善人は苦しみ死を迎えるのか? あらゆる神話や宗教はこの問いへの回答だと思っている。ギリシア神話は「神が人間の数を減らすため」、北欧神話は「神の軍隊に勇敢な戦士を招くため」、キリスト教は「人間の罪」だと答えた。『ヨブ記』もまたこの問いにたいする激烈な回答のひとつである。すばらしい善人であるヨブが次々と不幸にみまわれ、「生きる」以外のすべての祝福をはぎとられる。文字どおり「死んだ方がまし」な状態でふす、神を呪うのか? それとも信じるのか? 信じるのならなんのために? ユングは「神よりヨブが勝った」という答えを出した。人間の根本的な問いのひとつを容赦なく突きつけてくる、嵐のような書物。

   

『ギルガメシュ叙事詩』

  • メソポタミア:シュメール語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B(初訳は1965年) |

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

  • 発売日: 1998/02/10
  • メディア: 文庫
小さい頃、考古学者になるのが夢だった。「未来の遺産」シリーズが中学生の頃から好きで、遺跡の話には今でもめっぽう弱い。『ギルガメシュ叙事詩』はくさび形文字で十数枚の粘度版に書かれた、最古の物語のひとつ。「ノアの洪水」と似た話や、死んだ夫のために冥界へ行く女神イシュタルの話などがある(しかもなぜか全裸になりながら)。物語を語ることの源泉のひとつ。


◇◇◇


2. 文庫2冊以上で読める作品

これぞ名作といわんばかりの長編が名を連ねる。いろいろ迷うならまず『ドン・キホーテ』を読もう。そのあとはラブレーで大笑いし、ドストエフスキーで長台詞に酔い、プルーストでとどめを刺されるのだ。甘美。

 

ボッカッチョ『デカメロン』

  • イタリア:イタリア語 | 値段:C | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

古代・中世の物語はなぜこうも、大らかで殺伐として下品で愉快にいかれているのか。それは、人間がそういう生き物だからである。『デカメロン』のうち最も有名で、ボッティッチェリの絵画に描かれる「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」は、手ひどく男を振った女が背中から犬に食われ続ける亡霊となる話で、血なまぐさいことこのうえないのだが、ちょっといい愛のお話風にしれっとまとめられている。いやそうじゃないだろ。お前はなにを言っているんだ。
つい2年前の2012年、7000円級の新訳『デカメロン』が河出書房新社から出てびっくりしたが、装丁は抜群に7000円版が格好いい(ボッティッチェリの作品を使っている)。まずは文庫で2冊が妥当だろう。紹介したのは講談社版の2冊。筑摩書房版は3冊だがKindleで読める。


 

ジェフリー・チョーサー『カンタベリー物語』

  • イギリス:英語 | 値段:C | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

ユーモアは15世紀ごろから英国のお家芸だったようだ。カンタベリー寺院にお参りする敬虔な巡礼者たちが旅の退屈をまぎらわすために、とっておきの話を持ち寄る、イギリス版すべらない話。皆ゆるゆるで、寄進された屁を13等分するとか、浮気をするためにノアの洪水を予言するとか、すがすがしいほどにくだらない。すべての男たちを精神去勢させるカンタベリーの最終兵器、バースの女房の話はすごかった。


 

ダンテ『神曲』

  • イタリア:イタリア語 | 値段:C | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

  • 作者:ダンテ
  • 発売日: 2008/11/20
  • メディア: 文庫
このページを繰る者は一切の望みを捨てよ! 初恋の人に振られるためだけに天国・煉獄・地獄を構築した、究極のマゾヒスト錬金術師による失恋の大伽藍。
もともと、やたら難解そうな古いキリスト教にしばられた作品を今さら読む気などなかった。この考えを改めたのは、ボルヘスが『神曲』に惚れ抜いていたからだった。あいにく私はフィレンツェの知識もキリスト教の知識もほとんどないから、書いてあることの8割はわからなかったが、確かにこの作品は圧倒的であり唯一無二だった。主人公のダンテは、初恋の愛しい女ベアトリーチェに会うために猛烈な地獄煉獄クエストをこなし、やっと彼女に会えたと喜ぶまもなく「このていたらく!」と罵られる。ベアトリーチェは炎に包まれた女神のようで、男が望む女神のような女性像ではない。彼女は彼を受け入れない。それでも彼女に会うために、魔術師は3つの世界を神もろとも構築した。まったく個人的なことのために世界も周囲も巻きこんで大伽藍を構築するこの狂気を、ボルヘスは愛したのかもしれない。彼もまた、個人的な望みのために無限を構築しようとしたのだから。
韻文で書かれているため多くの翻訳は韻文調だが、河出の平川版は口語体で翻訳されている。訳注も豊富。初訳は1966年だが、2008年に改訳しているため、「翻訳の新しさ:A」とした。

 

ディケンズ『大いなる遺産』

  • イギリス:英語 | 値段:B | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

[asin:4309463592:detail]

未読。田舎の貧しい少年だったピップが、名前もわからない誰かから莫大な遺産を受け取ることになる。ロンドンという大都会へ出ていったピップは、「大いなる遺産」のせいで周囲の人間たちの感情や彼らとの距離が劇的に変わっていくのを目撃する。『エマ』や『ダウントン・アビー』などを見ていてもわかるが、英国は今も昔も強烈な階級社会だ。だからピップの階級移動はいま日本で読む印象とは比べものにならないほど衝撃だっただろう。

 

ドストエフスキー『罪と罰』

  • ロシア:ロシア語 | 値段:B | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B/C |

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰 上 (岩波文庫)

罪と罰 上 (岩波文庫)

罪と罰 上 (角川文庫)

罪と罰 上 (角川文庫)

誰もが自分のことを特別な人間だと思いたい。なぜなら「自分」は、どこまでも自分について回るただひとつの存在だから。自分は自分にしかなれないのに、その自分がただの凡人であると知る時の衝撃といったら! 自分の特別さを感じたいというごくありふれた自意識のために、「殺人」というもう戻れない一線を軽々と超えてしまった青年の精神悲劇。「あなたを生んだ大地にキスして、謝りなさい!」は折にふれて思い出したい名言で、今でも妹によくこの台詞で罵られる。

ロシア文学は20世紀の翻訳者たちに恵まれている。研究者レベルでの評価はもちろん異なるのだろうが、読者としてのわたしはどの人の翻訳も好き。どの訳書を選ぶかは好みの問題になる。ただし亀山訳は別で、これだけはおすすめしづらい。

  • 江川卓訳(岩波文庫):初訳は1966年。1999年に改訳。全3巻。
  • 工藤精一郎訳(新潮文庫):1961年訳。全2巻。
  • 米川正夫訳(角川文庫):初訳は1935年。2008年に改訳。もともとは新潮文庫にはいっていたが、新潮文庫が工藤訳になったため、角川文庫から出るようになった。全2巻。
  • 亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫):古典新訳文庫シリーズのうち最も批判が巻き起こった翻訳のひとつ。多くの人を挫折させてきたロシア文学の「本名・あだ名」を撤廃して呼び名を統一したのは編集方針だろうが、それ以前に文章を変えすぎているという指摘が巻き起こった。
  • 『罪と罰』ドストエフスキー - ボヘミアの海岸線


 

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

  • ロシア:ロシア語 | 値段:C | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A/C |

『罪と罰』は、最初から犯人が分かっていて犯人が追い詰められていくコロンボ型推理小説だが、『カラマーゾフの兄弟』は、父殺しの犯人が分からないクラシックな推理小説だ。途中、高名なゾシマ長老の死体が「腐るはずがないのに腐った!」とみんなで動揺するシーンと、次男イワンのぶち抜き長演説にめげそうになったが、とにかく結末を知りたい一心で引きずられるように読んだ。あまりに気になりすぎるので、健康診断のレントゲン車にまで最終巻を持ちこみ、医者に「本と金属は外してください」と言われた記憶がある。
新潮文庫の原卓也訳は全3巻(1978年)、岩波文庫の米川正夫訳は全4巻(1957年)。どちらも名訳者なのでお好きな方を。「人物の名前が混乱する」という人は光文社古典新訳文庫がいいだろう。値段は新潮版が1000円ほど安い。

ドストエフスキー『白痴』

  • ロシア:ロシア語 | 値段:C | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

[asin:4309463371:detail]
未読。聖人なのか、馬鹿者か? 『イワンの馬鹿』にも連なる「清廉潔白の白痴」をめぐる物語。この世は欲望と自意識がうずまく魑魅魍魎の世界だが、そこに「無条件に善良な人間」が現れたらどうなるか。利用されて食いつぶされるのか、それとも周りの人間になにか影響を与えるのか。キリスト教圏ではもともと「白痴は神に愛された無垢な存在」として、神への敬意とともに皆で尊ぶ風潮があった。これらの社会的な包容力については、米原万里がエッセイでなんどか言及している。
手に入りやすいのは木村浩訳(新潮社版、1969年、全2巻)と望月哲男訳(河出書房新社版、2010年、全3巻)。値段は新潮社版の方が安いが、2010年という新しい翻訳は魅力で評判もよいので、私は望月訳を積んでいる。

 

ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』

  • アメリカ:英語 | 値段:B | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (上) (岩波文庫)

物語を書こうとする人間は多かれ少なかれ、自分の心をさらけ出したい、おのれの構成要素をぶちまけてしまいたいという露悪的な渇望を抱えて生きている。フォークナー『響きと怒り』について「自分の臓腑をすっかり書きこんだ」と語ったという。まさにこの作品は臓腑だ。その激烈なにおいに眩暈がする。いきなり「白痴の独白」という強烈な初見殺しのナイフを突きつけられるが、どうかそのまま喉を切り裂いて、臓腑の冥府まで降りていってほしい。生きるには真面目すぎた青年の混乱した心を読んで、心臓をわしづかまれたような心地がした。フォークナーは『アブサロム、アブサロム!』もすさまじいし、結末の衝撃は圧倒的だった。


 

ギュスターヴ・フローベール『感情教育』

  • フランス:フランス語 | 値段:C | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A|

感情教育(上) (古典新訳文庫)

感情教育(上) (古典新訳文庫)

未読。本作については、海外文学ブログ「Riche Amateur」のnina氏が「奇跡」と激賛しているので、そちらを参考にしてほしい。「結局のところ、感情教育は終わらないのだ。それはディーダラスの目指した彼方への出発でもある。さあ、彼方へ、彼方へ! 感情教育は終わらない。」(「Riche Amateur」より)

 

ゲーテ『ファウスト』

  • ドイツ:ドイツ語 | 値段:B | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

ファウスト(一) (新潮文庫)

ファウスト(一) (新潮文庫)

  • 作者:ゲーテ
  • 発売日: 1967/11/28
  • メディア: 文庫
アンパンマンよりバイキンマン派であるわたしにとって、魅力的な悪役は主人公よりも重要で、愉快な悪魔メフィストフェレスはその点において最高である。ファウストは「欲望」の権化で、波と戦うために海岸線をぶんどったり、じいさまが若がえりして若い女性を口説いたり、魔女の祭りで大騒ぎしたり、好き放題やってて一見は楽しそうなのだが、求め続けて「足るを知らない」姿はつらそうでもある。
訳文については、高橋義孝訳(新潮社)と池内紀訳(集英社)でかなり異なる。もはや別作品といってもいい。高橋訳は原文の韻に沿った硬めの訳だが、池内訳は徹底的に口語訳になおしている。メフィストフェレスがかなり愉快でファンキーなので池内訳は好きだが、格好いい高橋訳も根強い支持がある。ファウストとメフィストフェレスの会話部分などを読み比べて、好きなほうを選んでみるとよいだろう。

ホメロス『イリアス』

  • ギリシア:古代ギリシア語 | 値段:C | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

イリアス〈上〉 (岩波文庫)

  • 作者:ホメロス
  • 発売日: 1992/09/16
  • メディア: 文庫
トロイ戦争を描いた、緻密な神話レリーフあるいは巨大建築の神話。神々も英雄も誰もが我が強く、気まぐれで、自分の望みと感情に驚くほど素直だ。「空気を読む」ことから最も遠い人々。だがおそらく人間はもともとそういう生き物だった。トロイ戦争のはじまりがそもそもひどく「人間がちょっと増えすぎたから減らしましょう」という神の間引き作戦から始まっている。神の寵愛を受ければ無敵だが、それを失った瞬間に逃れられない死が待っている世界観は、はじめて見たときにはただ瞠目した。


 

ホメロス『オデュッセイア』

  • ギリシア:古代ギリシア語 | 値段:B | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

  • 作者:ホメロス
  • 発売日: 1994/09/16
  • メディア: 文庫
オデュッセウスは「憎まれた子」という意味の名を持つトロイ戦争の英雄だ。気まぐれな神々から試練を与えられた英雄が、20年越しの壮大なエクストリーム帰宅を果たす物語。英雄でなければ10回は死ぬところだが、英雄なのでちゃんと帰宅する。奥さんは奥さんで求婚者ご一行さまが庭で居酒屋よろしく宴会しているところを一網打尽にするなど、なかなか強い。つっこみどころが豊富で『イリアス』より個人的に好き。ジョイス『ユリシーズ』は本書と対応している。


 

ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』

  • アイルランド:英語 | 値段:D | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B(初訳は1964年) |

ユリシーズ 1 (集英社文庫)

ユリシーズ 1 (集英社文庫)

衝撃を受けた『若い藝術家の肖像』の主人公スティーブにもういちど会いたいと思いつつ、読みさしのまま意識は流れ、はや幾年。「自分は芸術家なのだ」という静かで激烈な啓示を受けたスティーブ少年が、「たぶん、ぼくは出かけることになるよ」「ゆけるところへ」とつぶやいて向かったその先を知りたい。永遠の積読リストに入っている人は少なくないと思うが、まず『ユリシーズ』に向かう前に『若い藝術家の肖像』をぜひ読んでほしい。


 

フランソワ・ラブレー『ガルガンチュワ物語』『パンタグリュエル物語』

  • フランス:フランス語 | 値段:D | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

いったいなぜ、すがすがしいほどにくだらないホラ話を、これほど長く書く気がおきたのかまったくわからない噴飯ものの寄書。でも大好き。とにかくおしっことうんこを垂れ流すし、子供は巨人になるし(当然あそこもでかい)、おしっこの洪水でパリがすごいことになる。これほど笑える訳をたたきだした宮下志朗氏はすばらしい。

 

紫式部『源氏物語』

  • 日本:日本語 | 値段:D | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

源氏物語(1) 付現代語訳 (角川ソフィア文庫)

源氏物語(1) 付現代語訳 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:紫式部
  • 発売日: 1964/05/21
  • メディア: 文庫
[asin:B009KYC4VA:detail]
中学生の頃、図書館の片隅で『あさきゆめみし』をどきどきしながら読みふけった。大学受験のために現代語訳でも、と思って軽く読みはじめたら、勉強時間をけずってまで読むことになった。ラテン的ともいえる性への大らかさと「好きだからゴー」という直球さを見ていると、千年後のわたしたちのなんと退屈なことか。光源氏は本当にどうしようもない男だが、彼を愛してしまう女の気持ちもわかってしまう。光源氏の心の穴は、『ロリータ』のハンバート・ハンバートに通じたトンネルになっている。源氏がTwitterをやっていたらすごいことになっていたと思うな。

 

トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』

  • ドイツ:ドイツ語 | 値段:C | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

未読。私の周りにはあまりドイツ文学好きがいないのだが、数少ないひとりは「マンなら『魔の山』より『ブッデンブローク家の人びと』が好き」だと言っていた。一族の歴史ものをわたしが好きだと知っていたから、勧めてくれたのかもしれない。ブッデンブローク一族の4代にわたる人々の物語だ。徳川幕府と同じように、初代が堅実に土台を築き上げ、やがて退廃的な末裔によって一族の歴史は閉じる。


 

ハーマン・メルヴィル『白鯨』

  • アメリカ:英語 | 値段:C | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

白鯨 上 (岩波文庫)

白鯨 上 (岩波文庫)

『白鯨』はエイハブ船長がにっくき白鯨と戦うドラマではない。そのシーンは最後の最後であり、しかもそれまでの長さに比べてあまりにあっけない。これは「世界は鯨だ」と言い切る世界観をぶちあげた、驚異的な言葉の鯨である。メルヴィルにとって地球は球ではなく鯨型だ。人間も世界も社会もなにもかもを「鯨」と関連づけて語らずにはいられない、鯨マニアによる鯨宗教をえんえんと聞きながら、たまに鯨を追いかけている、ぐらいの気分で読むと楽しく読める。
翻訳は入手可能なもので4つあるが、テンションが高く笑える八木訳か、最新の千石訳がおすすめ。訳の比較については「クジラスレイヤー ピークォド号炎上」:『白鯨』で『ニンジャスレイヤー』にまとめてある。八木訳は「田子作ダンディ」「あわれバター抜き男」などドキドキせずにはいられない単語がいっぱい詰まっている。千石訳は翻訳者からの評価が高い。

オウィディウス『変身物語』

  • ギリシア:ギリシア語 | 値段:B | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

ギリシア神話や絵画を見ていると、オリンポスの神々の女性をくどく情熱にはほとほと感心させられる。女性たちが男嫌いでもなんのその。白鳥や黄金の雨になって女たちのそばに近づいてはとりあえず抱く。『変身物語』は水仙に変身したナルキッソスや、男から女に変身したテイレシアス、銅像に恋をしたピグマリオンなど、「変身」をテーマに編んだギリシア神話集。有名どころが集まっているので、ギリシア神話を読むならぜひこれから。

 

マルセル・プルースト『失われた時を求めて』

  • フランス:フランス語 | 値段:D | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A |

わたしは自分の『失われた時を求めて』は絶対に人に貸さないし、めくってほしくもない。ふせんとドッグイヤーが多すぎて、わたしの構成要素が露呈しているからだ。恋、他者のために苦しむという奇妙な病にかかったことがある人をもれなく悶絶させてきた、すさまじい小説である。快楽主義者たるもの体力がある限りは、全裸でこの美しい言葉の乱反射の前に立ち、優しく蜂の巣にされたい。
訳は、いまも刊行中の高遠弘美訳(光文社古典新訳文庫)がいちおし。

  • 井上究一郎訳(ちくま文庫):1973-1988年の翻訳。完訳だが絶版。
  • 鈴木道彦訳(集英社文庫):1996-2001年の翻訳。完訳で新刊購入できる。
  • 高遠弘美訳(光文社古典新訳文庫):2010年-刊行中。第1巻のかなりの部分を割いて訳者が書いた「読書ガイド」がよい。
  • 吉川一義訳(岩波文庫):2010年-刊行中。詳細な編注や地図など、こまやかな配慮が行き届いている。

岩波文庫の吉川一義訳もすばらしいと評判なのだが、持っていないので比較できなかった。高遠訳と吉川訳は刊行中なので、もし一気に読みたいなら井上訳か鈴木訳を。鈴木版を持っていたところ井上訳を勧められたので買ってみたが、たしかに井上訳のほうが好みだった(ただし井上訳は絶版)。個人的には、高遠訳&吉川訳>井上訳>鈴木訳の順でおすすめ。

ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』

  • スペイン:スペイン語| 値段:D | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:B |

ドン・キホーテ 前篇1 (岩波文庫)

ドン・キホーテ 前篇1 (岩波文庫)

自分の部屋と頭の中では、わたしたちはいつでも無敵である。やればできるけどやらないだけだし、愛されるヒーローだしお姫様だ。さてこの容赦ない世界に出たとき、われわれにはいくつかの選択肢がある。打ちのめされて死ぬか、打ちのめされて泥まみれになりながら這い上がるか、鎮痛剤を飲んで平気なふりをするか、家の庭に出て「外に出たことにする」か、すぐにとってかえして篭城するか。われらがドン・キホーテは「部屋を背負いながら外に出る」という無茶苦茶なことをやってのけた。彼はいくら世界にたこ殴りにされても、強烈な妄想力に支えられた「おれはヒーロー」という信念を捨てない。彼はたこ殴りにされながら、世界をたこ殴りにする夢を見る。ただもう唖然としすぎて、最終巻まで一気に読まずにはいられなかった。
『まどマギ』が好きな人は読んで死ぬといい。ブッツァーティ『タタール人の砂漠』とともに摂取すると、人生の無意味過多になって致命傷になるのでお気をつけください。

ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』

  • フランス:フランス語 | 値段:B | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

  • 作者:セリーヌ
  • 発売日: 2003/12/01
  • メディア: 文庫
生きているのにすでに人間としての役目を終えてしまった人と出会ったことがある。彼らの特徴は目だ。希望も期待も捨て切った棺桶の目をしている。『夜の果てへの旅』の主人公も終わってしまった人間のひとり、一線の向こうへ行ってしまった人だ。彼の住む夜の世界はわかりそうな気がするが、実際はわからないし、わかりたくもない。世界と和解できない人はどうせ読もうとするので、読んだらすみやかに燃やして暖をとるように。

スタンダール『赤と黒』

  • フランス:フランス語 | 値段:B | ページ数:C | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A/D |

赤と黒(上) (新潮文庫)

赤と黒(上) (新潮文庫)

赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)

赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)

恋愛は白黒つけられないし、赤か黒かも選べない。年上の町長夫人、年下の侯爵令嬢からそれぞれ恩恵をうけて、イカロスのように上昇を続ける野心の男ジュリアン。それぞれの女性たちとの恋の駆け引きと心情の吐露がぞくぞくする。レナール夫人があまりにも気の毒すぎてどうしようもなかった。おそらく読む時期とその時にしていた恋愛で見え方が変わる。くそうフランスめ。

 

レフ・トルストイ『戦争と平和』

  • ロシア:ロシア語 | 値段:D | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

未読。ロシア文学を読んでいたりヨーロッパの歴史を眺めていたりすると、いかにロシアがヨーロッパ、特にフランスに多大なコンプレックスを抱き続けてきたかがよくわかる。ロシア人は自分たちのことを「ヨーロッパの辺境」と自負していたが、ヨーロッパの中央は辺境とすら見なしていなかった。そんなロシアにとって「ナポレオンのロシア侵入」はあまりにも大事件だったことは想像にかたくない。私の恩師が『戦争と平和』を人生で何度も読み返していると言っていたので、近々読んでみようと思っている。

 

レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』

  • ロシア:ロシア語 | 値段:C | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:A/B |

わたしの父は『アンナ・カレーニナ』が好きで、母は嫌いだった。父いわく「恋する女性の心をここまで描いた作品は他にない」、母は「当たり前のことを書いてるだけだし、整合性がありすぎておもしろくない」。もし恋人がいるなら「『アンナ・カレーニナ』は好き?」と聞いてみるのはひとつの手かもしれない。わたしは物語としては好きだが、アンナとは友達になりたくない。女子会でスターになるような女の子は苦手なんだ。
ここでは旧訳を紹介したが、新訳は光文社古典新訳文庫から出ている。


 

ヴァールミーキ『ラーマーヤナ』

  • インド:サンスクリット語 | 値段:B | ページ数:B | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:C |

『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』は、『イリアス』『オデュッセイア』とともに世界史の授業でならった呪文のひとつだが、マハラマは比べものにならないほど長く、合計行数は『イリアス』『オデュッセイア』の7倍近くある。ここで紹介している2冊はどちらも概論なので、恐れる必要はない。ヒンドゥー文化圏のことを知りたくて、インドネシアへ旅立つ前に読んだ。舞踏や影絵の劇では戦いのシーンがよく使われている。

 
 

『千夜一夜物語』

  • イスラム世界:古代ペルシア語 | 値段:D | ページ数:D | 入手可能さ:A | 翻訳の新しさ:D |

『千夜一夜物語』は最も大きい物語の樹木のひとつだろう。あまりのおもしろさゆえにイスラム圏からキリスト教圏にまで語りつがれ、どんどん話が増えながら広がっていった。20を超えるバージョンがあり、それぞれの土地からうまれた新しい話も収録している。こんな物語を見せつけられたら、自分のものをひとつこっそり紛れこませたい誘惑はさぞかし強かっただろう。バートン版は表紙から見てもわかるとおりエロティックな話がふんだんにあってとても楽しい。毎夜、物語の寸止めを食らい続けた女性不信の王は、ついにシェヘラザードの物語に陥落した。わたしたちが陥落しないわけがない。

 

◇◇◇


  
 

3. ハードカバーで読める作品

やはり文庫に比べると買う人がぐっと少なくなるハードカバーだが、良書ぞろいである。まずは文庫沼で「楽しかった!」と思ったら、ぜひこちらのハードカバー沼にもお越しください。こっちの水は甘いよ。いちおしはボルヘス『幻獣事典』、グラス『ブリキの太鼓』、そしてガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』。値段と分量でいうならぶっちぎりでムージル『特性のない男』が最強。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン『アンデルセン童話集』

  • デンマーク:デンマーク語| 値段:D | ページ数:C | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

「おやゆび姫」「人魚姫」「雪の女王」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」など、もはや説明不要の物語を書いたアンデルセン。翻訳は岩波少年文庫から岩波文庫の完訳などさまざまあるが、2008年に刊行された荒俣宏の新訳×ハリー・クラークの挿絵という組み合わせがすてきだった。

 

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣事典』

  • アルゼンチン:スペイン語 | 値段:B | ページ数:A | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:B |

「いつかわたしは妖怪になるのよ」と夢を熱く語る母にならい、わたしもいつか幻獣になりたい。できる限り実在性を希薄にして融通無碍に偏在したい。そんなわたしにとって、本書は偉大なる先達の教科書だ。ボルヘス妖怪は脳みそに万巻の書物と六角形がぐるぐる回る永遠の図書館を持っている。ハードカバーで1000円台、しかもボルヘスと大変すばらしい1冊。プリニウスのてきとうなホラ話をメインディッシュにして、実在の量子崩壊を楽しもう。

 

ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ ビオイ=カサーレス 『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』

  • アルゼンチン:スペイン語 | 値段:B | ページ数:A | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

[asin:4000241168:detail]
合わせ鏡にうつる無限の自分としか会話ができないのでは、と心配になる魔術師ボルヘスは、じつはけっこう人情に厚い。友人ルゴーネスの死を悼んで無限を構築しようとするし、若き友人カサーレスの前文を書き、一緒に小説まで書く。本書は、安楽椅子探偵小説のふりをしたボルヘスとカサーレスの文学デートを眺める小説だ。事件の詳細を語る側がなぜかいきなり詩の話をしはじめるあたりでは「こう脱線したら楽しいよボル」「そうだねカサ」と会話をするふたりを幻視した。きゃっきゃしているアルゼンチン魔物勢がかわいい。

パウル・ツェラン『パウエル・ツェラン全詩集』

  • ウクライナ:ドイツ語| 値段:C | ページ数:A | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

パウル・ツェラン詩文集

パウル・ツェラン詩文集

ツェランという名は、ユダヤ人の素性を隠すアナグラムである。彼の家族や友人は強制収容所で命を落とした。アウシュビッツを訪れたいま「死のフーガ」を読むと、あの広すぎる屠殺場と冬の寒さが、背骨に鉄パイプをさしこむように思い出される。「彼は僕らに命令する奏でろさあダンスの曲だ」。そう、確かに彼らは音楽隊を率いていたのだ。

 

アルフレート・デーブリン『ベルリン・アレクサンダー広場』

  • ドイツ:ドイツ語 | 値段:D | ページ数:B | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:C |

未読。2012年に河出書房新社からルネサンス復刻した。20世紀ドイツ文学の最高傑作と評される。ベルリンの下層労働者ビーバコップと彼のまわりの人々、ベルリンという都会を描く。

 

ドニ・ディドロ『運命論者ジャックとその主人』

  • フランス:フランス語 | 値段:C | ページ数:B| 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

未読。破天荒なストーリー展開、脱線につぐ脱線をする18世紀フランスのメタフィクションで、「この作品を無視すれば、小説の歴史は理解不可能にして不完全なものになる」とミラン・クンデラが賞賛したという。

 

ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』

  • ドイツ:ドイツ語| 値段:C | ページ数:C | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

[asin:4309709648:detail]
大人になりたくないがため3歳で成長をとめる“ことにした”オスカー少年が見た、ナチス・ドイツと第二次世界大戦。「ぼくが悪いんだ! ぼくが彼らを殺したんだ!」と悪党ぶるねじくれた自意識はおぞましくグロテスクで、露悪することで自分を特別だと思いたい『罪と罰』のラスコーリニコフを思わせる。端的にいえば、とっても痛い。見た目は永遠の3歳児だが、中身は成長することを拒んだ子供青年なので、精神に激痛がはしる。泣けない大人がひたすら1つ数千円の玉ねぎを切る「玉ねぎ酒場」、世にもおぞましいウナギ漁(ウナギ漁と聞いて悲鳴をあげる人がいたら十中八九『ブリキ』読者だ)など、強烈なエピソードにことかかない。
池内紀訳のハードカバー版と高本研一訳の文庫3冊版があるが、翻訳はハードカバーの方がおすすめ。文庫は3冊とも買うと結局ハードカバーとたいして変わらないので、それだったらこの真っ黄色でエキセントリックな方を買おう。


  

ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』

  • コロンビア:スペイン語| 値段:C | ページ数:B | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A(初訳は1972年) |

『百年の孤独』が文庫化しないかなと期待している人はいさぎよく諦めよう。ハードカバーでも売れる作品を新潮社が文庫にするときは、世界がマジック・リアリズムになった時だけだ。「名前が覚えられないから海外文学が読めない」という声を聞くが、本書においては喜々とした忘却こそ求められる。登場する男性の名前はだいたいアウレリャノかアルカディオの2択で、しかも気質をそれぞれの名前から受け継いでいる。アルカディオが数人いるのではなく、数人でできた1人のアウレリャノなのだ。最後の数ページで呆然とする、空が落ちる傑作。


ジャコモ・レオパルディ『ジャコモ・レオパルディ全詩集』

  • イタリア:イタリア語 | 値段:D | ページ数:C | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

レオパルディ カンティ

レオパルディ カンティ

未読。イタリア文学翻訳者の脇功氏は「十九世紀のイタリア最高の詩人、というよりペトラルカ以後の最高の抒情詩人」と評している。ニーチェ、カルヴィーノ、夏目漱石、三島由紀夫が愛したという。21世紀の日本で8000円級の詩集が出るのはすごい。

ドリス・レッシング『黄金のノート』

  • イギリス:英語| 値段:D | ページ数:C | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

黄金のノート

黄金のノート

未読。アフリカ短編集『老首長の国』が眩暈がするほどすばらしかったので(4000円するが文句なく買いである)、彼女の代表作であるところの本書もぜひ読みたい。主人公の女性が黒、赤、黄、青のノートにそれぞれ異なる物語をつづっていく。そして、黄金のノートへ。レッシングはイギリス人だが、35歳までのほとんどの時期を南アフリカですごした。彼女の目にはヨーロッパとサバンナが両方とも焼きついていて、この離れた世界の境界をしっかり歩んでいくような文章が好きなのだ。

ミシェル・ド・モンテーニュ『エセー』

  • フランス:フランス語 | 値段:D | ページ数:D | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

エセー〈1〉

エセー〈1〉

  • 発売日: 2005/10/01
  • メディア: 単行本
『随想録』の名でも知られる本書を、ガルガンチュア祭りで大活躍した宮下志朗氏が2007年より翻訳を開始し、いまも刊行中。とにかく長いので、まずは大人の本棚シリーズから出ている『モンテーニュ エセー抄』から始めてみてもいいかもしれない。

 

ロベルト・ムージル『特性のない男』

  • オーストリア:ドイツ語 | 値段:D | ページ数:D | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:B |

未読。平均値で生きている男が退廃の都ウィーンでぼんやりと生きて、とりたててなにも起こらないという話。顔を覚えていられない特徴のない男が犯罪者だったのは『ジーキル博士とハイド氏』『20世紀少年』だが、『特性のない男』では事件すらなにも起こらない。実際のところすべての要素が平均であることは確率的にとても難しいのだが、文学はそれをやすやすと、違和感なくやってのける。ヴァレリー『テスト氏』メルヴィル『代書人バートルビー』ホーソーン『ウェイクフィールド』は、人間くさい特徴がないことによって「異常」であった。

ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』

  • ポルトガル:ポルトガル語 | 値段:B | ページ数:B | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

白の闇 新装版

白の闇 新装版

家ではトイレの扉を開け放つ人でも、ショッピングモールではちゃんと扉を閉める。誰かに見られたら困るからだ。観察する視線がなくなったら、人はどうなるか? ここから先は、人間の性分と品性の問題だ。目の前が真っ白になる奇病が世界中に広がった中、ただひとり目が見えていた女性が目撃したのは、「他人からの視線」を失ってむき出しになった人間だった。そりゃ、歌を歌いながら垂れ流すよね。腐臭。


 

サアディー『果樹園』

  • イラン:ペルシア語 | 値段:C | ページ数:B | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

果樹園 (東洋文庫)

果樹園 (東洋文庫)

  • 作者:サアディー
  • 発売日: 2010/11/25
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
未読。サアディーは13世紀イランの詩人で、イランで最も有名な詩人のひとりである。彼の詩はイスラム圏だけではなくヨーロッパでも広く読まれた。「ことばもて、人は獣に優る。されど、正しく話さざれば、獣汝にまさるべし」。

 

ウェルギリウス『アエネーイス』

  • ローマ:ラテン語 | 値段:D | ページ数:C | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:A |

アエネーイス (西洋古典叢書)

アエネーイス (西洋古典叢書)

ダンテが師と仰ぎ、みずからの遍歴のガイドとして召還したウェルギリウスが書いた、ローマ建国までの歴史。わたしたちがいま知っているローマ歴史の多くが、『アエネーイス』に書かれていたことでもある。岩波文庫から出ていたが、現在は絶版。ハードカバーでは現在も入手できる。

 

マルグリット・ユルスナール 『ハドリアヌス帝の回想』

  • フランス:フランス語| 値段:C | ページ数:B | 入手可能さ:B | 翻訳の新しさ:C(初訳は1964年) |

ハドリアヌス帝の回想

ハドリアヌス帝の回想

ユルスナールはわたしにとって水のような作家で、大理石の静かな水盤の印象がある。こんこんと湧く泉のように、ローマ五賢帝のひとりハドリアヌスが死と老いを感じながら、若き日や皇帝として生きた日々を語る。空気が澄んだ場所へ旅する時に、本書を携行した。いまでもあの青い空とやわらかい土、陽光をうけてほのかに香る馬糞のにおいがそのままハドリアヌスとともに記憶に残っている。

◇◇◇


 

4. 絶版の作品

残念ながら絶版となっている作品。特に『トリストラム・シャンディ』『飢え』『死せる魂』は惜しい。復刊祈願の踊りを踊ると岩と波のあいだから復活することがまれにあるので、皆で踊ろう。


サミュエル・ベケット『モロイ』

  • アイルランド:フランス語| 値段:- | ページ数:A | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:B |

[asin:4560043469:detail]

未読。『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』とともに三部作と呼ばれる。ベケットは読むたびに「どういうことなの」という世界を提示してくる作家で、しかもそれが絶妙にどれも方向がちがっているから癖になってしょうがない。


 

サミュエル・ベケット『マロウンは死ぬ』

  • アイルランド:フランス語| 値段:- | ページ数:A | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:B |

未読。死ぬほど退屈なので、マロウンは死ぬまで物語をでっちあげ続ける。恐るべきニート小説『オブローモフ』もベッドから動かないが、彼はいちおう生きる気はあった(生命機関はお手伝いにすべてやらせていたが)。だが、マロウンは死ぬ。

サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』

  • アイルランド:フランス語| 値段:- | ページ数:A | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:B |

未読。死んでもまだしゃべり続ける、三部作の最後。文学を埋葬するためにベケットを読んでいる友人たちの顔を思い浮かべている。

ジョゼフ・コンラッド『ノストローモ』

  • イギリス:英語| 値段:- | ページ数:C | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:C |

筑摩世界文学大系 (50)

筑摩世界文学大系 (50)

未読。コンラッドといえば、ヨーロッパから見たアフリカを描いて大議論を巻き起こした『闇の奥』が有名だが、『ノストローモ』は南米にある架空の国を舞台にした物語だ。銀山という世界の宝庫の中にたったひとりで、ノストローモは闇を見つめ続ける。コンラッドはどの大陸でも、闇を見つめる作家なのだろうか。
『闇の奥』コンラッド - ボヘミアの海岸線


ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』

  • イギリス:英語| 値段:- | ページ数:D | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:C |

未読。英国の女性作家ヴァージニア・ウルフやジュリアン・バーンズが「英国最高の小説」と激賞していたので、記憶していた名前である。イングランドの商業都市ミドルマーチを舞台にして、町の社会生活すべてをまるっと描こうとした。

  

ラルフ・エリスン『見えない人間』

  • アメリカ:英語| 値段:- | ページ数:B | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:A |

アメリカ文学史をひもとくと必ず本書の名を目にする。小説が「白人男性」のためのものであったアメリカで「わたしは見えない人間だ」と激白したのは黒人男性だった。アメリカ文学のおおいなる転換点のひとつで、これから数十年後には「見えない人間」だった女性たちの作品が多くうまれるようになった。安部公房『箱男』も言っている。人間は見たくないものを見ない。だから彼らの世界には見たくないものは存在しない。

 

ニコライ・ゴーゴリ『死せる魂』

  • ロシア:ロシア語 | 値段:- | ページ数:C | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:B |

[asin:4003260554:detail]
いつのまにか絶版になっていてたいへんな衝撃を受けた。ゴーゴリの作品がすぐに読めないなんて、人生の損失すぎる。死んでも税金を払わなければならない社会システムのおかしさに、さらにむらがる詐欺師と頭のおかしい人々。「死んだ農奴を売ってくれ」という台詞はいかにもロシア的な黒い哄笑に満ちていて、ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』ダニイル・ハルムスたちの世界につながっていく。

 

クヌート・ハムスン『飢え』

  • ノルウェー:ノルウェー語 | 値段:- | ページ数:A | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:D |

夜中に飢えたときは寝るに限るが、日中に飢えてしまったら想像力に相談だ。オースター『ムーン・パレス』で、主人公が震える手でたまごを食べようとして落としたときのあの絶望を思えば、まだわたしは大丈夫。ハムスン『飢え』とちがって、質にいれるものはまだ残っている。そんなわたしは板チョコレートになんども命を助けられた。『飢え』は、インテリ青年が自分のやりたい仕事しかしたくなくて(もちろん書くことだ)おなかをすがせてオスロをさまよう話。どこかで聞いたことがあるような、ないような。

 

ニコス・カザンザキス『その男ゾルバ』

  • ギリシア:ギリシア語 | 値段:- | ページ数:B | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:C |

その男ゾルバ [DVD]

その男ゾルバ [DVD]

  • 発売日: 2005/04/08
  • メディア: DVD
未読。小説よりも映画のほうが有名で、映画はアカデミー賞で3部門を受賞した。美しいギリシアのクレタ島で、若い英国人の男と気のいいギリシア人の老人ゾルバが共同生活をはじめる。映画の一部を見てみたが、ダンスのシーンがすてきだった。

 

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』

  • インド:英語 | 値段:- | ページ数:B | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:B |

未読。『百年の孤独』のマコンドから吹き荒れたマジック・リアリズム旋風は、南米から広がっていき、ヨーロッパやアジア、日本でも嵐を巻き起こした。『真夜中の子供たち』はインドのマジリア代表作。もともとインドという国がありえないことが普通に起こる国なので(インド旅行では国境を越えて町に入ることが賭けだ)、エピソードも本当にマジリアなのだろうな。


ハルドル・ラックスネス『独立の民』

  • アイスランド:アイスランド語| 値段:- | ページ数:B | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:D |

アイスランド人の友人におすすめの小説を聞いたら、迷わずラックスネス『独立の民』と『サーガ』を勧められた。「わたしたちは独立しているの」という言葉をアイスランドでは多く耳にした。ほとんど作物を育てられない氷河と火山だらけの土地では、人々は自然の恩寵にはなにも頼れなかった。彼らは氷を切り拓き、町をつくり、魚をとり、金融業を営み、破綻した。財政が吹っ飛んでもアイスランド人はたくましく、独立の民だった。

 

デーヴィッド・ハーバート・ローレンス『息子と恋人たち』

  • イギリス:英語| 値段:- | ページ数:B | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:A |

未読。『チャタレー夫人の恋人』で有名なローレンス初期の小説。「わたしとお母さん、どっちが大事なの!?」を地でいく、母の愛と恋人の愛の板挟みになる、あわれな男の話らしい。中間管理職はいつだって難しいし割に合わないが、こと愛においては中間管理は不可能ではないかと思っている。どうなんでしょう。

アッ・タイーブ・サーレフ『北へ遷りゆく時』

  • スーダン:アラビア語| 値段:- | ページ数:A | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:C |

未読。7年のイングランドでの生活後にスーダンの村に帰ってきた語り手が、新しい村人ムスタファから彼の遍歴を聞く物語。ムスタファやイングランドやヨーロッパを旅した時の物語を語り出す。コンラッド『闇の奥』と多くのシーンにおいて呼応しているという本書は、スーダンで発禁処分になった一方、20か国以上で翻訳された。

 

ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』

  • イギリス:英語 | 値段:- | ページ数:D | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:C |

未読。ソローキン『ロマン』を愛する脱線地獄マニアのロマニストたちが「『トリストラム・シャンディ』はいつかね」と言っているのを聞いたので、もう少しロマン度が高まってから読もうと思っている。『トリストラム・シャンディの生涯と意見』という題でありながら生涯と意見がいつになっても出てこない(ついでに本人も中盤になるまで出てこない)という怪書で、ぐるぐるしたり心電図だったり真っ黒だったりする。夏目漱石に「最も坊主らしからざる人物にて、最も坊主らしからぬ小説を著はし」(スターンは牧師だった)と称された世界有数の奇書。

 

ガルシーア ロルカ『ジプシー歌集』

  • スペイン:スペイン語 | 値段:A | ページ数:A | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:B |

ロルカの「緑の風」という歌が好きだ。日本の春風は桜もちのような色合いに感じるが、ロルカが歌うスペインの風は密林のような緑色なのだ。ヴェルデケテキエロ、ヴェルデ、ヴェルデ ヴィエント、ヴェルデ ラーマス、流れるように繰り返されるヴェルデという響きが美しい。


 

ジョアン・ギマランエス・ローザ『大いなる奥地』

  • ブラジル:ポルトガル語| 値段:- | ページ数:B | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:C |

[asin:B000J980EK:detail]

未読。かつて追いはぎだった語り手が、『千夜一夜物語』のシェヘラザードのように命のために物語を語る。彼の物語は生い立ち、友情、同性愛、そして悪魔の話にまで広がっていく。息つぎも改行もなく一息におのれの物語を語る姿は、しばしばジョイスに例えられるという。


 

イタロ・ズヴェーヴォ『ゼーノの苦悶』

  • イタリア:イタリア語| 値段:- | ページ数:B | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:C |

未読。トリエステを舞台に、フロイトの心理分析を応用した心理小説。イタリアでは黙殺されたがジェイムズ・ジョイスが本作を認め、出版を助けたところ広く認められるようになったという。

 

『ニャールのサガ』

  • アイスランド:古ノルド語 | 値段:- | ページ数:C | 入手可能さ:C | 翻訳の新しさ:C |

エッダとサガ―北欧古典への案内 (新潮選書)

エッダとサガ―北欧古典への案内 (新潮選書)

ギリシア神話、北欧神話、ケルト神話、インド神話などを立て続けに読んでいたとき、いちばん強烈だったのが『エッダ』『サガ』をはじめとする北欧神話だった。とにかく煙立つ血のにおいがすさまじい。さすがヴァイキングの国なだけあり、夏にはハイキングのかわりにうきうき略奪、というなかなか理解しがたい感覚で、ちょっとしたことですぐ殺し合いになる。女たちは基本的に男たちによる略奪の対象だが、中にはすさまじい嫉妬を燃え上がらせ男どころか国まで絶滅させるという恐ろしい女たちもいる。
北欧神話については谷口幸男氏の仕事がすばらしいが、残念ながらほとんどが絶版。山室静氏とグレンベック氏の概論から読んでみることをおすすめする。


◇◇◇


 

5. 未邦訳の作品

邦訳が出ていない作品。100作品中これだけだと思えば、少ないかもしれない。

Nagīb Maḥfuẓ "Children of Gebelawi"

  • エジプト:アラビア語| 値段:A | ページ数:B | 入手可能さ:D | 翻訳の新しさ:- |

Children Of Gebelawi AWS 225 (Heinemann African Writers Series)

Children Of Gebelawi AWS 225 (Heinemann African Writers Series)

  • 発売日: 1981/04/13
  • メディア: ペーパーバック
エジプトの作家ナギーブ・マフフーズは邦訳がいくつか出ているが、本書は未邦訳。"Children of Gebelawi"はエジプトで発禁処分を受けた。

まとめ

頭のいかれた友だちが2014年末にとんでもないリストをぶっこんできたので、ついカッとなってお年賀として書いた。今年もよろしくお願いします。
雑記:海外文学おすすめ作家ベスト100(2014年版) - Riche Amateur