ボヘミアの海岸線

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『創造者』ホルヘ・ルイス・ボルヘス

[不死の先でまた]
Jorge Luis Borges El Hacedor, 1960.

創造者 (岩波文庫)

創造者 (岩波文庫)

 そのとおりかもしれない、とわたしは呟く。だが、明日はわたしも死ぬ、わたしたち二人の時はない交ぜられ、年譜はかずかずの象徴の世界に消える、だからある意味では、わたしはこの書物を持参し、あなたは心よくそれを受けたと言っても良いのではないだろうか。 (「レオポルド・ルゴネスに捧げる」より)



 ボルヘスの書物は、錬金術師の書くそれのようだと思ってきた。秩序だった静謐な世界を論理で組み上げて、「不死」を顕現させるボルヘスの手腕はまさに魔法である。 『不死の人』の感想には「構成要素のわからない作家」と書いた。なぜこんな世界を構築できるのか、また構築しようと思ったのか(錬金術師が賢者の石を求める理由ともいう)が想像できなかったからだ。

 だからこそ、本書の「人間くささ」には驚いた(もちろん「ボルヘスにしては」なので、控えめではあるが)。なぜ彼がこれほどまでに「不死」を望んだのか、その理由の断片が見えたような気がした。おそらくこの本は、ボルヘスの作品に触れた回数が多い人間ほど驚愕するのではないかと思う。


 ボルヘスは、献辞をアルゼンチンの詩人 レオポルド・ルゴネスに捧げた。 ボルヘスは図書館にあるルゴネスの執務室で、親しげな言葉を交えて書物を手渡す。彼が詩を読んでうなずいた瞬間、夢は崩れて、自身が別の図書館の中にいること、そしてルゴネスはすでに自殺していることを思い出す。「わたし自身の見栄と懐旧の情が、ありえない光景を生み出した」。しかしボルヘスはそれでもいいと言う。どうせ自分もいつか死んで象徴の世界に消える。それは死の先で、また会うことと同じだろうと。

 ボルヘスが「不死」を望んだのは、論理で無限の円環を組み上げたのは、すでにこの世から消えた親しい人々に語りかけるためのものだったのだろうか?
 ときに叙情的にすぎるかもしれないこの作品は、論理構築の鬼のようなボルヘスを知る人間にしてみれば、照れくささを感じるかもしれない。しかしボルヘス自身が「もっとも愛した作品」と呼んだ理由も分かるように思う。
 本書には、「人」としてのボルヘスの影がちらついている。うなりながら読んで、時々哀しささえ感じた。魔術師が人であったころの思い出をのぞいている気がした。この作品が、代表作より後に書かれたものであるということは、いろいろと感慨深い。超然とした象徴は、不器用な愛着の示し方だったのかもしれない。

 人間がわかれのことばを思いついたのは、偶然に授かった、はかない命と思いつつも、やはり何らかの意味で、自分は不死の存在だと知っているからなのだ。
 デリアよ、どこかの川のほとりで、いつか、このあやふやな会話の続きをしたいものだ。平原に飲まれてしまいそうな都会のなかで、かつて二人がボルヘスとデリアであったのかどうか、そのことをお互い確かめあうことにしよう。 


ホルヘ・ルイス・ボルヘスの著作レビュー:
『不死の人』
『伝奇集』

recommend:
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