ボヘミアの海岸線

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『かもめ・ワーニャ伯父さん』チェーホフ

[それでも人は生きていく]
Антон Павлович Чехов Чайка,1895. Дядя Ваня,1899.

かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

「……あなたは、名声だの幸福だの、何かこう明るい面白い生活だのと仰るが、わたしにとっては、そんなありがたそうな言葉はみんな、失礼ながら、わたしが食わず嫌いで通しているマーマレードと同じですよ」 (「かもめ」より)

「へん、気がふれているのはこの地球の方さ。のめのめと君たちを生かしとくなんてね」(「ワーニャ伯父さん」より)


 チェーホフ4大戯曲のうち、初期に書かれた2作品。「絶望」と「耐えること」について。
 ノートに書きつけた「かもめ」「ワーニャ伯父さん」の感想を数年ぶりに発掘した。「燈火がない世界はつらい」という文字が目に止まったので(書いた覚えがさっぱりなかったが)、読みなおすことに決めた。
 チェーホフは酒のようだと人はいう。年を重ねるごとに重みと深みが増すらしい。数年足らずでどこまで熟成が進んでいるのかわからなかったが、とりあえず再読。うん、あいかわらずチェーホフはよい。


「かもめ」

ニーナ「あの音は……風ね? ツルゲーネフに、こういうところがあるわ、――『こんな晩に、うちの屋根の下にいる人は仕合せだ、温かい片隅を持つ人は』。わたしは、かもめ」 (「かもめ」より)

 若者たちが夢を見て恋をし、墜落するまで。作家になりたいトレープレフと女優になりたいニーナは、それぞれ夢を語り愛する人に手を伸ばしたが、どちらも叶わなかった。撃たれて墜落したかもめのように2人は絶望を知るが、彼らが出した答えはまったく別のものだったのが興味深い。

ニーナ「わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの」

 作家と女優、どちらも夢がなくてはやっていけないが、夢だけでは生きていけない。突きつけてくるこの現実をどう受け入れるか。男と女の違いって、ここにあるのかもしれないなあと思う。受容は圧倒的に女性の方が上手なのだな。
 チェーホフの作品は他のロシア作家に比べて静かで淡々としているが、トレープレフ親子の会話はなかなかロシア的だった。息子の戯曲談義に「デカダン……!」と母親がつぶやき、お互いに「けちんぼ!」「宿なし!」とののしりあい、数秒後にがしっと抱き合うシーンがいかにもロシア人すぎておもしろかった。


「ワーニャ伯父さん」

ワーニャ「こんな天気に首をくくったら、さぞいいだろうなあ……」

 成功者の影で、つらい現実をひた耐えるワーニャ伯父さんと姪ソーニャの物語。彼らは、美しい妻と名声を持つ大学教授を影で支え、ついに人生の主人公とはなりえなかった。
 「他人のせいで、自分の一番よい時は過ぎた。もう一度巻きなおしがしたい」という告白には、考えさせられるものがある。いまもこれからも、自分自身はこんなことは言いたくないが、こういう風に考える人間がいることを知っている。
 傷つき、恋が実らなかったソーニャは、「それでも生きていかなければ」という。

ワーニャ「ソーニャ、わたしはつらい。わたしのこのつらさがわかってくれたらなあ!」
ソーニャ「でも、仕方がないわ、生きていかなければ! ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつあけるともしれない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね」

 チェーホフの作品は戯曲といわず短編といわず読んできたが、彼の核はここにあるとしみじみ感じる。
 遥か彼方に瞬いてくれる燈火がないと、世界はひどくつらい。それでも人は生きていくのだ、一歩一歩を踏みしめながら。


チェーホフの作品レビュー:
『桜の園・三人姉妹』


recommend:
ツルゲーネフ『父と子』…チェーホフが愛した。
ゴーリキイ『どん底』…チェーホフを愛した。
クレア・キーガン『青い野を歩く』…世界はつらい。それでも原野を歩いていく。