ボヘミアの海岸線

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『タタール人の砂漠』ディーノ・ブッツァーティ

[待てど待てど]
Dino Buzzati IL DESERTO DEI TARTARI ,1940.

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)



 イタリアの作家、ブッツァーティの待ちぼうけ小説。タタール人の住む砂漠の砦に赴任してきた軍人にまつわる物語。

 じっさい読んだのは数年前なのに、今でもはっきりと砂漠の砦の映像、雰囲気を思い出せる。たぶんこういう一冊は、一生つきあっていくものなのだろうと思う。

 「タタール人」「砂漠」。この単語群から、いったいどんな物語を想像するだろうか?
 タタール人は韃靼人のことで、「韃靼人の踊り」という音楽が有名だし、砂漠はいやおうなしに浪漫をかきたてる響きがある。さて、ではアラビアのロレンスのような、異国情緒あふれる英雄物語なのだろうか?

 ところが、この物語ではなにも起こらない。主人公は、砦を守る者として、ただひたすらタタール人が襲来してくる時を、それこそ冒頭に書いたような、浪漫をかきたてる「何か」がやってくるのを、待ち続ける。


 人として生まれたのなら、人生の意味を問うのはふつうのことで、どうせなら自分の人生は特別なものだと思いたい。「自分の人生は、ほかとは違って特別であり、ドラマティックな何かが起こるはずだ」と、想像したことのある人は、あんがい多いのではないだろうか。 私にも、いつか目の前に宇宙人が現れるとか、魔法が使えるようになるだとか、そんなことを考えていた記憶がある。

 砦の守り手にとってそれは「タタール人の砂漠」で、恐怖と好奇の入り混じった視線で、彼らが襲ってくるのを、ドラマが動き出すことを願いながら、日々を過ごす。 砂漠の向こうには、夢をかなえる何かがあって、時間という貴重な財産をすべて賭けてそれを心待ちにする主人公。 待って、待って、夢を見て、待ち続けて、さてその先は……。

 印象的なシーン。風のうなり声を部下の口笛と聞き間違える場面、母親が自分の足音で目を覚まさない場面。

 死と孤独が、砂漠のたんたんと透明な雰囲気の中で描かれる。現実にはほぼ何も起こっていないのに、先へ先へと読み進めたくなる物語。


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