『人形の家』イプセン
[愛は飛び去る]
Henrik Johan Ibsen Et dukkehjem,1879.
- 作者: イプセン,原千代海
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/05/16
- メディア: 文庫
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ヘルメル:そんなことはばかげた子供の考えだ、ばかげた子供の言うことだ。
ノーラ:いいわよ。でも、あなたの考えも、おっしゃることも、あたしが一緒に暮らしていけるような男のものじゃないわ。
「愛情」という名の風船の糸が切れて、あっけなく飛び去っていく瞬間を見た。
イプセンはノルウェーの劇作家で、本作で「家庭を捨てる妻」を描いた。当時の西欧はびっくりしたらしい。「結末を書き換えないと上演しない」という劇団からの注文もあったという。「フェミニズムの聖典」と呼ばれたり、「社会劇の祖」とみなされたり、なかなか物議をかもす作品である。
あらすじ。銀行に勤めるヘルメルとその妻ノーラは、日々を明るく楽しく暮らす家族。夫ヘルメルはノーラのことを「僕のかわいいヒバリさん」と呼び、猫かわいがりする。ノーラもまた夫の愛情に応えて、歌い踊りながら日々を暮らす。世間知らずのお嬢さんノーラは、しかし秘密があった。かつて夫の病気を治すために、誰にも内緒で借金をしていたのである。
借金の偽造証文のために脅されるノーラは、家族と夫を守るために命を捨てる決意をする。しかし、最終的に捨てたのは家族と夫だった。「もうあなたとは暮らしていけないわ」。ノーラは家を出る。
これは余談だが、日本文壇の評論を見ていると、ノーラに好意的でないものが多い。日本人の感覚からすれば、「家と子供を捨てて出て行く」というのは、やはりなかなか受け入れがたいものであるらしい。
フェミニズムやら家族愛うんぬんではなく、ただこの作品は「愛が消える瞬間」を、それこそ劇的に描いた作品なのだろうと思った。少し前まで、夫と家族のために命を捨てようと思った女性が、たった一幕を越えただけで、夫と家族を捨てるのである。いったいなぜ? そのただ一点に興味は収束する。
ノーラ:ああ、つらいわ、トルヴァル――だってあなたは、いつもやさしかったんですもの。でも、どうしようもないの。もう、あなたを愛していないのよ。
妻に理想を求め続けた男と、ただ一度だけ夫に理想を夢見た女。奇跡は起きなかった。女性の愛が冷める瞬間の描写は一級だと思う。女性の愛は一瞬で飛んでいくが、男は別れてからも思い続けるのがセオリーらしいから。
ただ問題は、この後のノーラの生き方がまったく想像つかないということだ。当時は「行動する女」として賞賛を浴びせた人々は、彼女のその先を考えていたのだろうか?