ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

イギリス文学

『恋するアダム』イアン・マキューアン|男と女と機械の三角関係から問う、「人間とはなにか」

…しかし、男や女と機械が完全に一体になった暁には、こういう文学はもはや不必要になります。なぜなら、わたしたちはおたがいを十分すぎるほど理解するようになるからです。…インターネットはそのごく幼稚な前触れにすぎないのです。 ーーイアン・マキューア…

『ミルクマン』アンナ・バーンズ| 前門のストーカー、後門の同調圧力

本の読み歩きとプラスチック爆弾、このあたりじゃどっちが普通だと思う? ――アンナ・バーンズ『ミルクマン』 『ミルクマン』を読んで、思わずうめいた。いったいなぜこれほどストレスフルでやばいもの――「同調圧力社会」と「ストーカー被害」――を1冊の中に詰…

ローズ・マコーリー『その他もろもろ』|知能主義ディストピアの愛

「脳みそ! 脳みそ!」ベティはうんざりぎみだ。「ちょっと騒ぎすぎだと思うんだけど。悪くたってかまわないんじゃない?」 もっともな意見であり、チェスター脳務大臣もときに自問しているのではないか。 頭の良し悪しがそんなに問題か? ーーローズ・マコ…

『鷲の巣』アンナ・カヴァン|この世界には居場所も役割もない

「いったいどうしちゃったんです? どうしてなにもかもだいなしにしようとするんです? どうしてきのうまでとおなじようにしていてくれないんですか?」 ーーアンナ・カヴァン『鷲の巣』 世界で皆の気分が落ちこんでぴりついている時に、読んだら落ちこむと…

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー|愛に満ちた理想の家族という幻影

「度しがたい道徳家なんだなあ、きみは」 ――アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』 人間は自分が見たいように世界を見るし、自分が見たいように他者を見る。自分に似たところを見つけたり、自分がなりたい姿を見出せば、他者を好きになるし、自分にある…

『アイスランドへの旅』ウィリアム・モリス|聖地巡礼の旅

アイスランドはすばらしい、美しい、そして荘厳なところで、私はそこで、じっさい、とても幸せだったのだ。 ――ウィリアム・モリス『アイスランドへの旅』 ヨーロッパに住んでいた頃、時間を見つけてはヨーロッパの国々を周遊していた。どこの国がよかったか…

『ミステリウム』エリック・マコーマック|奇病で村全滅ミステリのふりをしたなにか

「動機。あなたはほんとうに動機や原因や結果みたいなものを信じているの? 本や劇以外で、未解決の事柄がきちんと片付くと信じているの?」 ーーエリック・マコーマック『ミステリウム』 マコーマックは、物語を組み上げると同時に内側から解体しにかかる作…

『パラダイス・モーテル』エリック・マコーマック|タワー・オブ・ホラ話

おかしなことじゃないか? 人が心に秘めて話さないことがそんなにも重要だとは。人が話すことのほとんどすべてがカモフラージュか、ひょっとすると鎧か、さもなければ傷に巻いた包帯にすぎないとは。 ――エリック・マコーマック『パラダイス・モーテル』 「ホ…

『居心地の悪い部屋』岸本佐知子編|日常が揺れて異界になる

Hにつねにつきまとっていた、あの奇妙な無効の感じを、どう言葉にすればわかってもらえるだろう。 ――岸本佐知子編『居心地の悪い部屋』 言葉は、未知の世界を切り開いて照らす光であり、既知の世界を異界に揺り戻す闇でもある。『居心地の悪い部屋』は、日常…

『蜂工場』イアン・バンクス|荒野と呪術の子供たち

どの人生も象徴をかかえこんでいる。人の行為はどれをとってもひとつの宿命の波紋に属していると、ある程度は言えるだろう。…<蜂工場>はそうした宿命の波紋の一環だ。なぜなら、それは生の一断面であり――むしろそれ以上に――死の一断面だからだ。 ――イアン…

『ボルヘスのイギリス文学講義』ボルヘス |円環翁が愛する英文学

作品のなかに幻想性だけを見ようとする人は、この世界の本質に対する無知をさらけだしている。世界はいつも幻想的だから。<BR>――ボルヘス『ボルヘスのイギリス文学講義』ボルヘスが愛する英文学周りを見ている限り、ボルヘスとの付き合い方は4つある。なに…

『トールキンのベーオウルフ物語』J.R.R.トールキン|英雄の悲哀と孤独

わたしは心を決めました。貴国の方々の切なる願いを完全に成し遂げてみせよう、さもなければ、敵の手にしかとつかまれ、殺されようともかまわないと。騎士にふさわしき勲功を上げるか、この蜜酒の広間がわたしの最期の日を待ち受けるかどちらかなのです! ――…

『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ

「しかし、霧はすべての記憶を覆い隠します。よい記憶だけでなく、悪い記憶もです。そうではありませんか、ご婦人」 「悪い記憶も取り戻します。仮に、それで泣いたり、怒りで身が震えたりしてもです。人生を分かち合うとはそういうことではないでしょうか」…

『氷』アンナ・カヴァン|愛の絶対零度

今ではもう私たちのどちらかが犠牲者なのか判然としない。たぶん互いが互いの犠牲者なのだろう。 —ーアンナ・カヴァン『氷』 愛の絶対零度 これぞ唯一無二。手の上に、虹色にかがやく絶対零度の氷塊がある。この氷塊が、わずか数百枚のページでできているこ…

『カンタベリー物語』ジェフリー・チョーサー

「この盗っ人やろう、わたしを殺しやがったな。わたしの地所をとろうと思ったんだろう。でも死ぬ前に、おまえと接吻したいものだ」——ジェフリー・チョーサー『カンタベリー物語』 中世英国バラエティ番組 いつの時代どの土地であっても、ゆかいな物語は人々…

『宝島』ロバート・ルイス・スティーブンスン

死人箱島に流れついたは十五人ヨー、ホッ、ホー、酒はラムがただ一本——ロバート・ルイス・スティーブンスン『宝島』 だめな海商紳士 なんという語りの魅力だろう。<ベンボウ提督亭>、<遠眼鏡亭>、片足の老海賊、秘密の地図、宝島の蛮人、仕事人の鑑のよ…

『ジーキル博士とハイド氏』ロバート・ルイス・スティーブンスン

彼らの言うことは一致していた。それは、その逃亡者が彼を目撃した人たちに言うに言われぬ不具という妙に深い印象を与えたということだった。——ロバート・ルイス・スティーブンスン『ジーキル博士とハイド氏』 身勝手であることの醜悪さ あまりにも有名なこ…

Patience (After Sebald)、あるいはW.G.ゼーバルト『土星の環 イギリス行脚』

2001年、W.G.ゼーバルトは車の運転中に心筋梗塞をおこし、イングランド東部の道路で気を失ったまま横転した。57歳、早すぎる死だった。つねに抑制した筆致で、アクセルを踏むこともブレーキを踏むこともなく、記憶と記録を地すべりし続けた作家が、加速する…

『ヘンリー五世』ウィリアム・シェイクスピア

王の責任か! ああ、イギリス兵一同のいのちも、 魂も、借金も、夫の身を案じる妻も、こどもも、 それまでに犯した罪も、すべて王の責任にするがいい! おれはなにもかも背負わねばならぬ。——『ヘンリー五世』ウィリアム・シェイクスピア 王冠を戴く人柱 こ…

『ヘンリー四世』ウィリアム・シェイクスピア

名誉ってなんだ? ことばだ。その名誉ってことばになにがある? その名誉ってやつに? 空気だ。結構な損得勘定じゃないか!——ウィリアム・シェイクスピア『ヘンリー四世』 ごろつき紳士の饗宴 燃えよ退廃の燈火、愛すべき百貫でぶ、王子ハリーつきの食用豚、…

『恋の骨折り損』ウィリアム・シェイクスピア

姫! どうか戦闘準備を! ご婦人がたも武装なさい! 敵襲です、平和の夢を むさぼってはおられません。恋が変装してやってきます。——ウィリアム・シェイクスピア『恋の骨折り損』 誓いよりやっぱり恋 恋の前には、どんな誓いも論理も通用しない。王様も貴族…

『ヴェローナの二紳士』ウィリアム・シェイクスピア

プローテュース ああ、恋の春は変わりやすい四月の空に似ている、 いま、燦々と美しく輝く太陽を 見せているかと思うと、 たちまち一片の雲が現れてすべてを掻き消してしまう。——ウィリアム・シェイクスピア『ヴェローナの二紳士』 恋か友情か シェイクスピ…

『終わりよければすべてよし』ウィリアム・シェイクスピア

人間の一生は、善と悪とをより合わせた糸で編んだ網なのだ。われわれの美点は欠点によって鞭打たれることがなければ高慢になるだろうし、われわれの罪悪は美徳によって慰められることがなければ絶望するだろう。——ウィリアム・シェイクスピア『終わりよけれ…

『すばらしい新世界』オルダス・ハックスリー

「しかし、それが安定のために、われわれが払わなくちゃならない犠牲なのだ」——オルダス・ハックスリー『すばらしい新世界』 完璧で幸福な世界 人に、涙は必要だろうか? “Brave new world”、尊敬すべき自動車王フォードを崇拝し、十字架のかわりにT字架が信…

『土星の環 イギリス行脚』W.G.ゼーバルト

私たちの編みだした機械は、私たちの身体に似て、そして私たちの憧憬に似て、ゆっくりと火照りの冷めていく心臓を持っている。——W.G.ゼーバルト『土星の環 イギリス行脚』 崩落する記憶 「イギリス行脚」といいながら、実のところ彼はどこを旅していたのだろ…

『リチャード二世』ウィリアム・シェイクスピア

私の栄誉、私の権力はあんたの自由になっても、 私の悲しみはそうはいかぬ。私はまだ私の悲しみの王だ。——ウィリアム・シェイクスピア『リチャード二世』 悲しみの王 リチャード二世は、不思議な印象を残す王だ。シェイクスピアの史劇における王は、廃位の運…

『ジョン王』ウィリアム・シェイクスピア

王 このように太陽が天に輝き、この世の楽しみが、 いたるところに目につく誇らしげな真昼間は、 あまりにも浮き浮きし、あまりにもけばけばしくて、 どうも話がしにくい。—ーウィリアム・シェイクスピア『ジョン王』 揺れる王 ジョン王(1167-1216)は、イ…

『灯台守の話』ジャネット・ウィンターソン|この物語には終わりがない

話せば長い物語だ。そして世の物語がみなそうであるように、この物語には終わりがない。むろん結末はある——物語とはそういうものだ——けれど、結末を迎えたあとも、この物語はずっと続いた。物語とはそういうものだから。——ジャネット・ウィンターソン『灯台…

『アテネのタイモン』ウィリアム・シェイクスピア

偉大なタイモンだ、高潔、高尚、高貴なタイモン公だ! だが、ああ、そのようなほめことばを買う金がなくなると ほめことばを言う声もなくなってしまうのです。 ごちそうの切れ目が縁の切れ目、冬の氷雨が降りはじめると 青蠅どもは身をかくすのです。——ウィ…

『リチャード三世』ウィリアム・シェイクスピア

もはや悪党になるしかない。 馬だ! 馬だ! 馬をよこせば王国をくれてやる!——ウィリアム・シェイクスピア『リチャード三世』 絶望して死ね! 王家につらなる人々が流麗な言葉で歌いあげる、呪詛の交響曲である。この世のすべてを、大事な人を奪った者を、自…