『リチャード二世』ウィリアム・シェイクスピア
私の栄誉、私の権力はあんたの自由になっても、
私の悲しみはそうはいかぬ。私はまだ私の悲しみの王だ。——ウィリアム・シェイクスピア『リチャード二世』
悲しみの王
リチャード二世は、不思議な印象を残す王だ。シェイクスピアの史劇における王は、廃位の運命に飲まれあまり印象に残らない王か、リチャード三世のように強烈で忘れがたい王かのどちからであることが多い。しかし、リチャード二世はその間隙をぬうように次々とその心を変えていき、安直なレッテルづけを拒む。
リチャード二世はプランタジネット朝最後の王である。この後、王の血筋は分裂し、ランカスターとヨークの史劇『リチャード三世』『ヘンリー四世』『ヘンリー五世』『ヘンリー六世』などへとつながっていく。
- 作者: ウィリアム・シェイクスピア,小田島雄志
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1983/10/01
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劇の開幕時、リチャード二世は自分が王であることをみじんも疑わない、いかにも王らしい王として描かれる。しかし、統治能力の不足はすぐに露呈する。王の従兄弟ヘンリー・ボリングブルックと、臣下トマス・モーブレーが宮廷争いを起こしたとき、ふたりは王に裁定を乞う。しかし、王は側近の忠告に耳をかたむけず、裁定ではなく決闘、決闘ではなく両者の追放と、決断をころころと変える。
判断力のにぶさ、公正さの欠如、これがリチャード二世の特徴であり、決断を求められる王には不向きの性格である。しかし、不幸なことに彼は王にうまれてしまった。リチャード二世の前には、何回か重要な判断のシーンが出てくるが、彼はいずれも判断に失敗している。
対するボリングブルックは、決断に迷わない。追放を申しわたされて不満を覚え、リチャードへの謀反を画策・実行したのもじつに迅速であった。彼の断固とした態度は、リチャードの不明瞭な態度と正反対で、ボリングブルックが次の王になることを誰もが予感する。
そのとおり、リチャードは廃位に追いこまれる。おもしろいのは、廃位後にリチャードが不思議な変貌をとげることだ。王としてうまれたこと、ただそれだけを存在の理由としてかけらも疑わずに生きてきた男は、王冠を失った時にはじめて何も持たぬ自分を知る。
王:
どこにいようとかまわぬ、もうだれも慰めを口にするな。
これからは墓場や蛆虫や墓碑銘のことのみ話すとしよう、
大地の胸の上に、塵を紙と見立てて、目からあふれる
涙の雨をもって悲しみを書き記すとしよう。
王はわめき、卑屈なほどにへりくだり、おのれの小ささを知って慟哭する。その独白は狂乱と明晰さが入り交じり、むしろ王冠を失ったリチャードの方が魅力的に見えてくる。娘から追放されてはじめて人生と向き合い、絶叫のさなか死んでいったリア王を彷彿とさせる。
役者だったらこの複雑な男をどう演じるのだろう。『リア王』 『ハムレット』ほどではないにせよ、かなり難しい役柄のはずだ。優柔不断で、流されやすく、欠点ばかりが目につくのに、それでもなお彼の慟哭には力がある。
王:
さあ、よく見るがいい、私が私でなくなるさまを。
私の頭から、この重い冠をとってさしあげよう、
私の手から、この厄介な笏をとってさしあげよう、
私の心から、王権の誇りをとってさしあげよう。
……
なに一つ持たぬ私になに一つ嘆きの種がありませぬように!
すべてを得たあんたにすべての喜びが与えられますように!
あんたはリチャードの座に長くとどまりますように!
リチャードは一刻も早く土の中に横たわりますように!
失って失って、体にまとわりついていた余計な荷物やしがらみをなくして身ひとつになったとき、人はそこではじめておのれが何者であるか、すなわち何者でもないか、という最も目をそむけたい問題に直面させられる。それは荒野に裸で立つように不安なことだろう。だからリチャードもリアもハムレットも、絶叫するのだ。誰もいないし、何も持たないなら、あとは自分がまだこれほど大きい声を出せることに驚くほかはないのだから。
おれもおまえたちと同様、パンを食べ、飢えを感じ、悲しみを味わい、友を求めておる。そのような欲望の進化であるおれが、どうして王などと言えようか?
手の中には塵しか残らずとも、人はまだ自身の悲しみの王である。それは最後の誇り、最後の砦、おのれを形づくる支柱、これすら失った時に人はその人であることをやめる。王は王のまま死んだ。それが救いだ。
William Sharekspeare "King Richard the Second",1595?
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