キリキリソテーにうってつけの日|海外文学録

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。

『菜食主義者』ハン・ガン

ふとこの世で生きたことがない、という気がして、彼女は面食らった。事実だった。彼女は生きたことがなかった。記憶できる幼い頃から、ただ耐えてきただけだった。

−−ハン・ガン『菜食主義者

境界の向こうに行った人

人間という業の深い生物にうまれ、不幸にも鈍感さを持ち合わせていない場合、生きる方法はいくつかに限られる。

目の中に丸太を入れて見たくないものを見ないふりをするか、目を見開いて悪態とユーモアで世界と距離を保ちつつ生き延びるか、目を見開き続けて人間であることを放棄するか。

心に麻酔をかければ生きやすくはなるが、あるがままの心からは遠のいていく。麻痺することを拒み、恐ろしいものを見続ける人たちはいる。『菜食主義者』は、そういう人たちの物語である。

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

 
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『すべての、白いものたちの』ハン・ガン

顔に、体に、激しく打ち付ける雪に逆らって彼女は歩きつづけた。わからなかった、いったい何なのだろう、この冷たく、私にまっこうから向かってくるものは? それでいながら弱々しく消え去ってゆく、そして圧倒的に美しいこれは?

――ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

白をたぐりよせて葦原へ

モノクロームのネガフィルムで白黒写真を撮っていたころ、シャッターを開けっぱなしにして撮影することが時折あった。シャッターを開けたままフィルムに露光し続ければ、人は残像となって消失し、影と色は光に飲まれて、世界が白飛びする。

雪原、濃霧、塩湖、白い砂漠、見渡す限りの白い風景がこの世から少しずれて見えるように、かすかに影が残るだけの白く飛んだ写真は、この世というよりはあの世に近く見えた。白は、この世とあの世をつなぐ色なのかもしれない。

すべての、白いものたちの

すべての、白いものたちの

 

 

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『はるかな星』ロベルト・ボラーニョ

誰にも見られずに落ちていく星はあるのだろうか。 

−−ロベルト・ボラーニョ『はるかな星』

怪物の詩人

 「誰にも見られずに落ちていく星はあるのだろうか」。フォークナーの詩から始まる『はるかな星』は、チリの詩人たちにまつわる物語だ。チリは「石をどければ5人の詩人が這い出てくる」と言われるほど詩が盛んで、ボラーニョも自身を小説家ではなく詩人と見なしていた。

それにしても、ボラーニョが生み出した怪物詩人は常軌を逸している。怪物的な詩を生み出すのではなく、怪物そのものである。

怪物の名はカルロス・ビーダー、著者の同級生であり、独裁政権の軍人であり、殺人鬼であり、南極大陸を飛び、空中に詩を書く詩人だった男。

はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)

はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)

 

 

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『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判』アリエル・ドルフマン

 チリの誰もが気づいていた。本当に何が起きているのかを知っていた。近くの地下室で遠い砂漠で、果てしなく起きていることを知っていた。果てしなく起きる。これが抑圧の病的ロジックである。止むことなく続くというのがテロルの定義なのだ。 

−−アリエル・ドルフマン『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判』

チリに満ちる悪の惨禍

ボラーニョの文学は、「言葉にしてはいけない悪」の気配が満ちている。この悪は名指しこそされないが、ひたひたと空気の中に満ちていて、人々の臓腑にまでたどりつく。

チリの空気に満ちる悪として真っ先に思い浮かぶのは、チリの独裁者ピノチェトだ。『通話』『はるかな星』『アメリカ大陸のナチ文学』では登場しなかったピノチェト『チリ夜想曲』で登場したので、ピノチェトとはなんなのかを知ろうと思い、この本を手に取った。

ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判―もうひとつの9・11を凝視する

ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判―もうひとつの9・11を凝視する

 
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『チリ夜想曲』ロベルト・ボラーニョ

チリよ、チリ。いったいどうしてお前はそんなに変わることができたのだ?…お前はいったい何をされたのだ? チリ人は狂ってしまったのか? 誰が悪いのだ?

――ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲

沈黙、語りたくなかったもの

ボラーニョの小説はドーナツの穴のようなものだ。穴ではない周辺部のドーナツを描くことで、最後にドーナツの穴が忽然と現れる。

対象そのものを注意深く避けて「描かないことによって対象を浮かび上がらせる」手法は、言論の自由がない状況下あるいは後ろめたいことがある時に用いられる。

『チリ夜想曲』は後者の物語だ。文学的に成功した神父が病床でうなされる「沈黙」、語りたくないものはなんだったのか。

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

 

 

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『凍』トーマス・ベルンハルト

 きみは恐れているのか。違うって。どっちなんだ。人類をか。観念をか。

−−トーマス・ベルンハルト『凍』

人の形をした液体窒素

 『消去』を読んで以来、トーマス・ベルンハルトには、遠い異国に住んでいる親族に寄せるような、淡い親近感を抱いてきた。

世界を嫌悪し、近親者を嫌悪し、かつての友人を嫌悪し、医者と政治家と金持ちと権力と資本主義と企業を毛嫌いし、働くことを拒み、自分の好きなものにだけ取り囲まれて暮らす、人に期待しすぎては幻滅する人嫌い。ベルンハルトとよく似た口調でよく似た話をする人が、ごく身近にいた。デビュー作である本書を読んで、ベルンハルトはますます私の親族なのではないかという思いは強まるばかりだ。

凍

 
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『火を熾す』ジャック・ロンドン

犬の姿を見て、途方もない考えが浮かんだ。吹雪に閉じ込められた男が、仔牛を殺して死体のなかにもぐり込んで助かったという話を男は覚えていた。自分も犬を殺して、麻痺がひくまでその暖かい体に両手をうずめていればいい。そうすればまた火が熾せる。

——ジャック・ロンドン「火を熾す」

命の炎が燃え上がる瞬間

ジャック・ロンドンの「火を熾す」は私が読んだ小説の中でも有数の「極寒」小説で、冬がくるたび折に触れて思い出す。

氷混じりの冬の雨に心が折れそうになると、「火を熾すほどじゃない」とみずからに言い聞かせ、歩く足を速める。マイナス50度に比べれば、0度などハワイのようなものだ。吐く息は凍らないし、凍傷になる心配もないし、生死の境で震えることもない。

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)

 

 

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『アルグン川の右岸』遅子建

 私はすでにあまりに多くの死の物語を語ってきた。これは仕方のないことだ。誰であれみな死ぬのだから。人は生まれるときにはあまり差がないが、死ぬときは一人ひとりの旅立ち方がある。

――遅子建『アルグン川の右岸』

 消えゆく一族の挽歌

人生は、死というゆるぎない結論へ向かう一方通行の線であり、それぞれの出発点から始まり、別の線と交差しては離れながら、それぞれの終着点へ向かっていく。

花のように短い一生を終える人もいれば、大木のように長く生き延びる人もいる。長く生き延びた人は、他の人よりも多くの生と死を目撃するさだめだ。

本書は、一族の中でもっとも長く生き延びた女性が、愛する者たちの死、一族の死を見送り続ける挽歌である。

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

 
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『冬の物語』イサク・ディネセン

ペーターはなんとなく察しをつけた。不滅という言葉は、こういう状態のことを言うのだろう。もう、これから先も、過去のことも、考えるのをやめた。この時間だけが彼をとらえた。ーーイサク・ディネセン『冬の物語』「ペーターとローサ」

世界にかすかな爪痕を残す

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 「あなたはヨーロッパの冬の絵が好きなのね」と母から言われたことがある。そうかもしれない。ノルウェーオスロムンク美術館を訪れた時に買った絵葉書は、「叫び」ではなく、冬の夜のものだった。ピーター・ブリューゲルの絵でいちばん好きなのは「雪中の狩人」だ。

寒さは嫌いだが、緯度が高い地域で見られる、氷河めいた冬の青さは好きだ。ヨーロッパに住んでいた時、あまりに長い冬を呪ったものだが(9月から4月まで真冬でコートが手放せなかった)、あの青く透きとおった空気と空と海には、なんども心を慰められた。ディネセン『冬の物語』を読むと、あの青い冬の空気を思い出す。

冬の物語

冬の物語

 

 

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『ボルヘスのイギリス文学講義』ボルヘス 

 作品のなかに幻想性だけを見ようとする人は、この世界の本質に対する無知をさらけだしている。世界はいつも幻想的だから。

ーーボルヘスボルヘスのイギリス文学講義』

円環翁が愛する英文学

周りを見ている限り、ボルヘスとの付き合い方は4つある。なにがおもしろいんだと放り出すか、10年ごとに読みかえすか、「ボルヘスを殺せ」と叫ぶか、「○○(任意の地名をいれる)のボルヘス」を量産するか。私は10年参りをするタイプの読者で、今回ひさしぶりにボルヘスの円環に戻ってきた。

ボルヘスのイギリス文学講義 (ボルヘス・コレクション)

ボルヘスのイギリス文学講義 (ボルヘス・コレクション)

 
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