ボヘミアの海岸線

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『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド|自分をすりつぶす場所から逃げよ

 こんなにも家から離れたことはかつてなかったことだった。この瞬間に鎖に繋がれ連れ戻されたとしても、歩んできたこの数マイルは自分のものだ。

――コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』

 

逃げることについて、私はわりと前向きな気持ちを抱いている種類の人間だ。家庭でも学校でも会社でも国でも、つらい場所に無理をして留まるより、息がしやすい場所へ行ったほうがいいと思っている。

逃げることをネガティブにとらえる人は、逃げたら負けだ、逃げたって変わらない、逃げた先でどうなるかわからないからリスクがある、と言うけれど、未来の不確定さやリスクよりも、つらい現状が予想どおり続いて変わらないことのほうが耐えがたい。

だから、逃げる人の話、特に前向きに逃げる人の話には惹かれ続けてきた。

地下鉄道

地下鉄道

 

 

時代は南北戦争以前、アメリカの深南部でうまれ育った少女奴隷コーラが、自由州の北部へ逃亡しようとする。

当時、黒人奴隷は白人のために生きる「財産であり、呼吸する資本金であり、肉体からなる利潤」で、奴隷の逃亡とその手助けは、財産の盗難であり犯罪だった。

しかもコーラは、最も過酷な州のひとつと言われるジョージア州でうまれ育った。深南部は奴隷を酷使をする文化土壌で、物理的にも北部から遠かった。なお悪いことに、コーラが働く農園の主人は残虐で、逃亡奴隷を八つ裂きにして見せしめにすることを楽しむ狂気の男だった。

この絶望的な環境では、奴隷が逃亡できる見込みはほとんどない。たとえ逃げられたとしても、奴隷狩り人があちこちに跋扈していて、見つかれば八つ裂きによる死が待っている。

「そういうふうに生まれついたの? 奴隷みたいに?」

だが、逃亡奴隷を支援する秘密組織「地下鉄道」が彼女のもとに現れる。「逃げ切ったただひとりの奴隷」を母に持つ少女コーラは、地下鉄道の助けを借りて、逃亡を決意する。

 

そして逃亡奴隷をめぐり、奴隷を逃亡させようとする「北部」と、奴隷を逃がすまいとする「南部」が激突する。

本書は、地下鉄道を追うことで、地下鉄道が貫く「アメリカ」そのものを描いている。

登場人物たちが北部へ突き進む姿は、アメリカの伝統芸能「ロード・ノベル」を踏襲している。逃亡によって登場人物たちは、法律や文化ががらりと変わる「州」、黒人の人権が正反対の「北部」「南部」をまたいで、「異なる国の集合体」であるアメリカを知ることになる。

「この国がどんなものか知りたいなら、わたしはつねにいうさ、鉄道に乗らなければならないと。列車が走るあいだ外を見ておくがいい。アメリカの真の顔がわかるだろう」 

読者は、地下鉄道のルートと逃亡者と追跡者を追うことで、アメリカめぐりをする。

もっとも、アメリカめぐりというよりは地獄めぐりに近い。逃亡の旅は流血と死にまみれ、たくさんの人が死んでいく。

こんな残酷な世界が、移動するだけで自分の生きる権利が激変してしまう世界がかつてあったのだ。

 

著者は歴史の事実をもとに想像力を駆使して、背景を書きこんでいる。また、登場人物たちもよい。コーラはじつに強い少女で、自分が人間であると確信している。その誇り高さと怒りが、彼女の壮絶な逃亡を支えている。きっとこれくらい自我が強くなければ、こんな逃亡はできない。彼女の独白や後悔はどれも切実で痛ましくて胸に迫り、中でも「心のノート」に名前を書き足していくシーンが好きだった。

 こんなにも家から離れたことはかつてなかったことだった。この瞬間に鎖に繋がれ連れ戻されたとしても、歩んできたこの数マイルは自分のものだ。  

たったひとりの反乱。コーラはしばし笑みを浮かべた。それから、独房にいるという事実がまたよみがえった。壁の隙間で鼠のようにもがきながら。畑にいようと地下にいようと、屋根裏部屋にいようと、アメリカは変わらず彼女の看守だった。

敵役としての奴隷狩り人リッジウェイは、『ブラッド・メリディアン』の判事(アメリカ文学で最もやばい男のひとり)を彷彿とさせる男で、奴隷を狩る自分を誇っている。

そしてもうひとり、ただひとり逃げ切った伝説を持つコーラの母がいる。彼女は不在でありながら、コーラとリッジウェイそれぞれに激しい感情を引き起こさせるトリガーだ。彼女の物語は短いが強烈で、読み終わったときは思わずうめいた。

 

逃げるとは、「現状維持による諦めと安心」と「未知に飛び込む希望と不安」との間で揺れて、後者を選ぶことだ。

たいていの人は、安心をとって現状維持を選ぶ。だが、現状維持の引力を振り切って、不安定な道を走る逃亡者たちがいる。彼ら逃亡者たちが、陰惨な時代を切り開く弾丸となり、その軌跡が残りの人たちを運ぶ道になる。私たちの歴史はそうやってつくられてきた。

彼らはもちろん傷つくし後悔するし迷うが、自分をすりつぶすことを良しとせず、振り切って逃げる。誇り高い逃亡者の物語だった。

「おれの主人は言った。銃を持った黒んぼより危険なのは、本を読む黒んぼだと。そいつは積もり積もって黒い火薬になるんだ!」

 

Recommend:南部の物語、逃げる物語

史実の「地下鉄道」で大活躍した伝説的な逃亡奴隷の伝記。コーラもなかなか強い少女だが、ハリエットは物理的な強さ&キャラの強さでさらにその上をいく。虫歯が痛すぎるので自分でたたき折るエピソードには仰天した。

 

ガリバー旅行記 (角川文庫)

ガリバー旅行記 (角川文庫)

 

 『地下鉄道』で、文字を読める黒人奴隷の少年が読んでいた。ガリバーの旅行が、逃亡奴隷の旅行(旅行といえるほど優雅なものではまったくないが)と重なっている。この角川版は訳が2011年と新しいので、新潮版(1951年訳)よりもだいぶ読みやすくなっている。

 

南北戦争よりずっと昔のアメリカでの残虐。入植した白人がインディアンを狩りまくる。奴隷狩り人リッジウェイを1000倍禍々しくした狂気の「判事」に震撼せよ。

 

南部といえば、フォークナーのヨクナパトーファ・サーガである。どちらも胃痛が爆発する系の沈鬱な南部だが、この血が燃える世界には驚愕するばかりだ。南部、南部、なんという土地なのか!

  

塩を食う女たち――聞書・北米の黒人女性 (岩波現代文庫)

塩を食う女たち――聞書・北米の黒人女性 (岩波現代文庫)

 

コーラたち黒人奴隷の末裔である黒人女性が、どのようにして狂って残酷なアメリカを生き延びたのか。20世紀後半になっても彼女たちはずっと苦しい人生を強いられてきたことがわかる。

 

クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))

クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))

 

 退屈な日常から逃れて美術館に住み着いた悪ガキたちの逃亡物語。彼らのかっこいい逃亡が、私の逃亡の源泉となっている。いつだってこんなふうに、笑いながら逃亡したい。

『ハリエット・タブマン』上杉忍|モーゼと呼ばれた伝説の逃亡奴隷

逃亡者は先のことを何も知らずに自らを投げ出さねばならない。北斗七星と北極星のみを頼りにただひたすら先に進んだ。星が見えないときは、樹木の幹のこけの生えている側から北の方向を知って進んだ。彼女は、州というものがあること自体を知らなかった。

――上杉忍『ハリエット・タブマン』

「アメリカ人は、彼女を知ってはじめて奴隷制を理解する」――そんな賛辞を受けるアフリカ系アメリカ人女性がいる。

彼女の名前はハリエット・タブマン。逃亡した逃亡奴隷、何人もの奴隷を逃亡させた地下組織「地下鉄道」の担い手、奴隷解放運動家、黒人コミュニティの支援家だった。同胞を次々と逃亡させるその手腕は伝説となり、「黒人のモーゼ」と呼ばれていた。

コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』を読んでから、秘密組織「地下鉄道」のことを知りたいと思い、ハリエット・タブマンにたどりついた。

ハリエット・タブマン 「モーゼ」と呼ばれた黒人女性

ハリエット・タブマン 「モーゼ」と呼ばれた黒人女性

 

 北南部と新南部

ハリエット・タブマンは1820〜21年ごろ、メリーランド州にうまれた。

南部といえば、フォークナーのヨクナパトーファ、ホワイトヘッド『地下鉄道』のような、過酷で残虐な南部を思い浮かべがちだが、同じ南部でも場所によって事情は違っている。

ヨクナパトーファ(ミシシッピ州)や『地下鉄道』(ジョージア州)で描かれる南部は「深南部」である。綿花プランテーションが主産業で、奴隷を働かせれば働かせるほど儲かった。

一方、タブマンが住んでいたメリーランド州は、南部の最北端に位置する「北南部」だった。北南部はタバコのプランテーションが主産業だったものの、過剰供給によりタバコ産業が衰退し、結果として「奴隷あまり」状態だった。

 

逃亡する奴隷たち

労働力があまりがちになった北南部では、「深南部への売却」「奴隷の貸し借り」「奴隷の解放」が進んだ。

「深南部への売却」は家族の分断を意味したため、黒人奴隷は売却をいやがって(当然だ)逃亡する動機が強まる。奴隷の貸し借りによって行動の自由度が与えられるため、逃亡のチャンスが増える。そして、解放された自由黒人は奴隷の逃亡を支援する。

こうして北南部では、奴隷が逃亡する「動機」「機会」「ネットワーク」が拡大していった。

これら「黒人奴隷の逃亡」と「自由黒人の増加」は、白人に危機感を抱かせた。黒人の数が増えれば、いつ形勢が逆転されて自分たちの地位が脅かされるかわからない。白人は暴力と法律によって、己の恐怖を押さえつけようとした。

タブマンが逃亡したのは、黒人の自由度が増して白人の締めつけが厳しくなる前で、ちょうど逃亡しやすい時だった。

逃げることは今でもそれなりのコストをともなうが、19世紀の奴隷が逃亡するのはは、想像を絶する難易度だったことだろう。地図もない、磁石もない、金もない、文字も読めない、裏切り者にいつあたるかもわからない状況で、何百キロも逃亡できるだろうか。「見つかったら殺される」と不安になって動けなくなったり、「奴隷で現状維持したほうが楽かもしれない」と期待したり、焦って失敗したりしても不思議ではない。事実、タブマンの周りにそういう人たちがたくさんいた。

逃亡者は先のことを何も知らずに自らを投げ出さねばならない。北斗七星と北極星のみを頼りにただひたすら先に進んだ。星が見えないときは、樹木の幹のこけの生えている側から北の方向を知って進んだ。彼女は、州というものがあること自体を知らなかった。

 

地下組織「地下鉄道」

黒人奴隷の逃亡を助ける組織「地下鉄道」は、逃亡奴隷、自由黒人、奴隷制に反対する白人たちのネットワークで成り立っていた。タブマンは白人クエーカー教徒にかくまわれて、次々と「駅」(隠れ家)を渡り歩いて、北部にたどりついた。

逃亡が成功したタブマンは、家族全員を北部に連れてくるため、10回以上も南部に戻り、一緒についてくる70〜80人近くの人を逃亡させた。 「脱線」(地下鉄道用語で失敗の意味)した人はひとりもおらず、その車掌(逃亡奴隷を手助けする人)としての手腕により、タブマンは伝説的な存在となった。

 

キャラが強すぎハリエット

タブマンがなぜ逃亡を成功させ続けられたのか。本人は「神の加護」だと言っていたようだが、本書では逃亡をすべて成功させた理由として「体力」「使命感」「人脈」「綿密な計画性」をあげている。

タブマンは野外労働を好んだため体力があり、「家族全員を南部から救い出して北部に逃がす」強い使命感があった。また労働をつうじて人脈があったため、情報を受け取りやすかった。そして、念入りな準備をして計画し、いくつかの逃亡パターンを入念に考えていたという。確かに、難しい計画を成功させるにはどれも必要な能力であり、神の加護や偶然と見なすよりも説得力がある。

とはいえ、伝説になる理由もよくわかる。彼女のキャラが濃すぎるのだ。彼女は精神も肉体も鋼のようで、行軍中に虫歯の激痛が耐えがたくなり、銃を使ってばきっと抜いて「すっきりした」と言い放ったという(周囲の男性たちは唖然としたらしい)。日本だったらまちがいなくタブマンは漫画化されていただろう。

 

逃亡は戦いである

「黒人」「女性」「奴隷」という、アメリカ社会で差別される属性を3つも持ちながらも、功績を残した生命力と信念には圧倒される。 

彼女を見ると思う、逃げることは戦いである。既得権益を守りたい人間たちは「平和な世に争いを持ち込む野蛮な人間」「法律破りのならず者」「負け犬」と、逃げたり戦ったりする者を貶めるが、そんな声に屈していたら、現代のアメリカはなかった。

ハリエット・タブマンは、2020年に出る新20ドル紙幣に、肖像が使われることになるようだ。これだけのことをやってのけたのだから当然といえば当然だが、ハリエットの紙幣が出たことを「ようやく」と言うべきか、「この時代によく出した」と言うべきか。

 

ハリエット・タブマンが映画化

ちょうど 「Harriet」が2019年11月アメリカにて映画化される。日本でも、これを機にハリエット・タブマンや地下鉄道が知られるようになるとよい。

 

Recommend

タブマンが参加した秘密組織「地下鉄道」を想像力を使って語りなおした本。タブマンみたいな超人が出てこないぶん、地下組織の危うさと命の危険さが切実だ。きっとこれも地下鉄道の一面なのだろう。

 

奴隷少女と白人少女が鬼と暮らしていた。そうしたら鬼になった。アメリカの黒人奴隷が逃亡するシーンが登場する。奴隷ではない人も奴隷も、どちらも優しさと鬼を抱えている、人間という度しがたい生き物についての恐るべき物語。

 

アメリカ黒人の歴史 (NHKブックス)

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南北戦争の時代 19世紀 (岩波新書)

南北戦争の時代 19世紀 (岩波新書)

 

これまで小説の背景として描かれていた南北戦争と黒人奴隷の歴史を知るために読みたい。

『海の乙女の惜しみなさ』デニス・ジョンソン|地すべりしていく人の隣に座る

今になってみれば、これから生きる年数よりも、過去に生きた年数のほうが多い。これから楽しみにすることよりも、思い出すべきことのほうが多い。

――デニス・ジョンソン『海の乙女の惜しみなさ』

 

デニス・ジョンソンは、底に落ちた人生について、驚くべきフラットさで語る作家だと思う。彼はかつて麻薬常用者で、「いろいろなものを台なしになってしまった」と語るが、うまくやっている他者への妬み、自分をこんなにしてしまった人間への怒りは語らない。似た境遇にいる「社会不適合者」たちを激励したり、同族嫌悪を示したりもしない。

誇張せず、自虐せず、フラットに己の境遇を語ることは思いのほか難しい。どんな世界をくぐり抜けたらあの境地にたどりつくのだろうと途方に暮れる。

海の乙女の惜しみなさ (エクス・リブリス)

海の乙女の惜しみなさ (エクス・リブリス)

 

 

世界は回り続ける。これを書いているのだから、僕がまだ死んでいないことは明らかだろう。だが、君がこれを読むころにはもう死んでいるのかもしれない。

すべり落ちていく者の隣に座る作家が、老いて死んでいく人たちについて語る短編集だ。

『ジーザス・サン』でおなじみの麻薬常用者や刑務所あがりの人たちだけではなく、老人、病人、死んだ人たち、そして社会でそれなりに成功した老人(多くは作家、あるいはメディア関係、大学の人である)が登場する。『ジーザス・サン』では誰もが社会不適合者で、社会的地位がある人なんていなかったから、この変化にはすこし驚いた。著者がそれなりに社会的地位を得たからかもしれない。

だが、やはりデニス・ジョンソンはデニス・ジョンソンで、社会的地位があってもなくても、誰もが孤独と喪失と失望を抱えている。社会と関わりつつも距離を置いて生きている彼らは、同じように社会からはぐれた人たちと出会い、別れていく。

 

本書では、他者とのめぐりあいは、『ジーザス・サン』よりずっと「死と老いに近い場所」にある。訃報を聞き、葬式に参加して、見舞いに行くことで、語り手たちは他者と関わる。

表題「海の乙女の惜しみなさ」では、語り手はしばしば死のイベントをとおして他者と再会する。お互いに生きている時に出会ったのに、自分はまだ生きていて、相手はもう生きていない。この途方もない落差が、ドライなユーモアとともになんども反復される。

「そうです。自殺してしまったようで」

「どうやって死んだかは知りたくない。それは言わないでくれ」。正直言って、どうしてそんなことを言ったのか、今でもまったく想像がつかない。

死だけではなく、老いや病にまつわる描写も迫力がある。年をとり、社会的地位や認知は上がるが、体調や細胞や記憶はどんどん崩れていく。

 前も後も存在せず、夢の世界のように論理を欠いたその世界のただなかで、それを作り上げていたのは、リズの認知症と、リンクの麻酔薬による朦朧とした状態と糖尿病による血糖値の上昇、ときおり起こるインスリンによる精神病、そして血中の毒素、主にアンモニアが寄せては引くことによって繰り返される譫妄状態だった。

2つの短編集を読んで、ジョンソンは「地すべりしていく人たち」を描く作家なのだと感じた。『ジーザス・サン』では、麻薬常用者たちが社会からすべり落ちていき、『海の乙女の惜しみなさ』では、老いによって体調や細胞がどんどん崩れてこぼれ落ち、友人知人たちが死に向かって地すべりしていく。

そんな人たちの隣にジョンソンは座っていて、黙りながら一緒に地すべりしていく。よくわからないがなぜか近くにいて、なにもしてこない併走者としてのジョンソンは、どことなく妖怪に似ている。

 

デニス・ジョンソンの人たちは、重力のなすがまま、どんどん下へ下へと向かっていくのだが、それでも重苦しい後味を残さないのは、地すべりする人たちが時折はっとするような輝きをもって顔をあげて、笑いと光を放つからかもしれない。

彼らの目には、懐かしい人、会いたい人、大事な人、大事だった人、よく知らないけれど印象に残っている人たちが映っている。そんな様子をジョンソンはこう書いている。

「心の中にかぎ針があって、そこから伸びる糸が誰かの手につながっている」

いい文章だ。私もたまにかぎ針を思い出して、たぐり寄せる。きっと年をとったからだろう。さらに年をとったら、かぎ針には誰がつながっているだろうか?

今の俺としては、腹のなかに十五か十六本のかぎ針があって、そこから伸びる糸がずっと会ってない人たちの手に握られてるって感じで、その話もそんな糸のひとつなわけ。  

俺の心のなかに十本くらいのかぎ針があって、そこから伸びる糸をたどって書いてるんだ。俺がこれを誠心誠意やってて、ちょっとした助けを求めてるってことが、天にまします誰かさんに伝わってるといいんだけど、ここではっきりいっとくと、俺はひざまずいたりはしないからな。

 

収録作品

気に入った作品には*。

  • 海の乙女の惜しみなさ*
    広告代理店で勤務していた老年男性が、自分の人生を思い出しながら語っていく。偶然に出会った画家の知人の葬式とレシピ集のエピソード、最後の「海の乙女」が登場する文がよい。

  • アイダホのスターライト***
    すばらしく夢のある名前「スターライト」は、アルコール依存症治療センターの名前である。麻薬依存の苦しみと、家族友人知人ぜんぜん知らない人たちへの手紙という感情が、スターライトできらめく。本書のなかではいちばん好き。

  • 首絞めボブ*
    『ジーザス・サン』を思い出させる、刑務所にいた頃の話。刑務所は、軽犯罪者と殺人犯が一緒に暮らすため緊張感がただよう。殺人犯とともに暮らすスリルをブラックユーモアとともに描く。

  • 墓に対する勝利*
    中年の作家が、知り合いの老いた作家を見舞いにいったら、彼はすでに現実と妄想の区別がつかなくなっていた。病と老いの匂いが充満する作品で、介護をしていたころのあのにおいを思い出した。

  • ドッペルゲンガー、ポルターガイスト**
    エルヴィス・プレスリーの死んだ双子にまつわる陰謀論に執着する詩人の話。パラノイアなので、陰謀論の話は大好きだから楽しく読んだ。ドッペルゲンガーとポルターガイスト、ともに怪奇小説やゴシック小説でおなじみのモチーフが、現代的なモチーフと重なりながら、ラストに向かって直進する。

 

デニス・ジョンソンの著作レビュー

Recommend

聖書 新共同訳  新約聖書

聖書 新共同訳 新約聖書

 

地すべりしていく者たちの隣に座る姿勢は、ジーザス・クライストを思い起こさせる。キリスト教はいろいろな権力に使われたが、もともとの「弱者のための宗教」であったことを思い出す。「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、魂が砕かれた者を救われる」は聖書の一文だが、ジョンソン作品の中にあってもおかしくはない(救われたい、にはなるだろうが)。

 

真顔でたんたんとユーモアを語るドライな語り口(真顔系ユーモア作家と呼んでいる)の雰囲気がなんとなく似ている。

 

『居心地の悪い部屋』岸本佐知子編|日常が揺れて異界になる

  Hにつねにつきまとっていた、あの奇妙な無効の感じを、どう言葉にすればわかってもらえるだろう。 

――岸本佐知子編『居心地の悪い部屋』

言葉は、未知の世界を切り開いて照らす光であり、既知の世界を異界に揺り戻す闇でもある。『居心地の悪い部屋』は、日常に闇をしたたらせる言葉、日常を異界に突き落とす言葉だけを集めた闇アンソロジーだ。

収録された12の短編どれから読んでも、もれなくそわそわして、背後を振り返りたくなる。編者は腕によりをかけて不安になる物語を集めたらしいから、「いやな後味」「具合が悪くなる」はきっと褒め言葉になるだろう。

居心地の悪い部屋 (河出文庫 キ 4-1)

居心地の悪い部屋 (河出文庫 キ 4-1)

 

 

収録作品はそれぞれ趣が異なるが、いくつかの共通点がある。

まず、暴力や死が練りこまれている話が多い。これはわかりやすい。身体的な安全が脅かされれば、心的安全が揺らいで不安になる。「ヘベはジャリを殺す」「チャメトラ」「あざ」「父、まばたきもせず」「潜水夫」「やあ!やってるかい!」では、殺人や事故や監禁などの暴力と、その結果としての死が背後にうごめいている。

ジャリのまぶたを縫い合わせてしまうと、ヘベはそこから先どうしていいかわからなくなった。

暴力がなくても、想定外のものや事象に対峙すれば不安になる。「あざ」「どう眠った?」「潜水夫」「ささやき」「オリエンテーション」「喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ」は、日常に想定外の異物がぬるりと入りこむ不安、自分の知っているルールや常識とは異なるものに対峙する不安を描いている。

そして、「理由がまったく分からない」状態を描いた作品たち。「ヘベはジャリを殺す」「父、まばたきもせず」「ケーキ」では奇怪な行動や暴力が描かれているが、彼らがなぜそのような行動をするのかがわからない。だから怖い。

わたしは丸々となりたかった、とても丸々と、なぜならわたしは丸々としていなかったから、だからわたしは何か手だてを、計画をたてようと思った。

「ヘベはジャリを殺す」「チャメトラ」「あざ」「分身」「ケーキ」など、幻影や悪夢めいたヴィジョンを描いた作品も多い。

 

限りなく自分の見知っているものに近いはずなのに、なにかがずれている。自分が知っている日常とよくわからない「それ」との落差が、不安と恐怖をうむ。

その感情は、部屋の床にあらわれた巨大な亀裂をのぞきこむ時みたいなものだ。隙間から落ちないとわかってるから楽しめるものの、うっかりすると落下しかねないので、摂取時にはお気をつけを。

 

 収録作品

気に入った作品には*。

  •  「ヘベはジャリを殺す」ブライアン・エヴンソン***
    最初の作品にこれを持ってくるところがすごい。タイトルどおりの話なのだが、親密な友情の話でもある。温かい友情の言葉と暴力は、ふつうなら相容れない。なのに一緒になっている。最後までほんとうに怖い。

  • 「チャメトラ」ルイス・アルベルト・ウレア***
    幻想の風味が強い作品。最後のシーンがすばらしく映像的でありながら映像化できないもので、まさに悪夢のヴィジョンと呼ぶにふさわしい。

  • 「あざ」アンナ・カヴァン*
    影のある同級生は、秘密を抱えているらしい。世の中でうごめいている暴力のルールに一瞬だけ触れてしまった恐怖をあざやかなヴィジョンとともに描く。

  • 「どう眠った?」ポール・グレノン*
    眠りを建築で表現する、奇想系。命が脅かされる不安はないので、本書のなかでは平和に読める。語っている内容は異様だが、マウンティングしあうあたりはものすごくリアルで、その落差がおもしろい。

  • 「父、まばたきもせず」ブライアン・エヴンソン*
    父がなぜこのような行動をするのか、その心が見えない恐ろしさ。乾いた心が、乾いた大地の描写と重なっていて、フアン・ルルフォのような読後感を与える。

  • 「分身」リッキー・デュコーネイ
    部屋に分身がいた話。掌編とも言える短さなうえ、奇想といえるほどではなかった。

  • 「オリエンテーション」ダニエル・オロズコ**
    入社オリエンテーションのテンプレート文章にのせて、いかれた企業の暴露話が続く。まったく仕事の話をしていないので笑った。しかし、オリエンテーションをきっちり受けていないと、この会社ではすぐに命が危なくなりそうだ。

  • 「潜水夫」ルイス・ロビンソン**
    ずうずうしい潜水夫に頼み事をせざるをえなくなったレストランオーナーの男が、潜水夫につられてどんどん逸脱していく「日常地すべり」系。暴力の衝動がおさえられなくなるあたりがリアル。

  • 「やあ!やってるかい!」ジョイス・キャロル・オーツ*
    一息でつないでいく文章が奇妙だが、「やあ!やってるかい!」と会う人会う人に声を掛ける男もそうとうにいかれている。しかし、世の中を見てみれば、こういう事件はありそうで、それもまた恐ろしい。

  • 「ささやき」レイ・ヴクサヴィッチ**
    本書のなかではいちばんの王道ホラー。王道だがやはり怖い。最後の1行で、ぎゃーとなった。

  • 「ケーキ」ステイシー・レヴィーン**
    ケーキを大量に並べるヴィジョン、パラノイア的な思考が、まったく理解できなくていい。

  • 「喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ」ケン・カルファス
    えんえんとファールを打ち続ける選手の話など、普通ぽく見えて普通のルールからはかけ離れた野球の話が続く。野球をよく知っている人ならもっと楽しめるのかもしれない。

 

Recommend

暴力、死、不可解なルール、幻視、これらすべてを練りこんだイラク生まれの作家による短編集。脳髄が色とりどりの布とともに飛んでいく圧倒的なヴィジョンは、今も脳裏に残っている。

 

遁走状態 (新潮クレスト・ブックス)

遁走状態 (新潮クレスト・ブックス)

 

 『居心地の悪い部屋』で唯一、2作品が掲載されている作家の短編集。「へべはジャリを殺す」がすごかったのでこちらも読んでみたい。

 

収録されている「あざ」のひんやり感を極北までつきつめて、永久凍土に突っ込んだような小説。私は不可解かつ圧倒的な幻視をする小説が好きなのかもしれない。

 

『優しい鬼』レアード・ハント|傷つけられ続けて鬼になる

かんがえる力をつかってじぶんをどこかよその場所につれていくやり方はクリオミーとジニアから教わったのだった。……

「よその場所って?」とわたしは訊いた。

「そこでない場所どこでも」とジニアは言った。

「きれいな場所」とクリオミーが言った。

「あんたが踊ってみたい場所」

――レアード・ハント『優しい鬼』

 傷つけられ続けて鬼になる

人が鬼になる瞬間を見たことがある。その家には怒りに取り憑かれた鬼がいて、何年も家族を攻撃し続けていた。ある者は逃げ、ある者は倒れ、ある者は怒りを爆発させて鬼になった。新しくうまれた鬼は若くて強く、老いた鬼が攻撃すれば何倍もの火力でやり返したので、やがて老いた鬼は小さくなっていった。新しい鬼は怒り続け、やがて古い鬼と同じように他者を攻撃するようになった。その時、鬼は古くから生き続けていて、人から人へと受け継がれていくのだと知った。

優しい鬼

優しい鬼

 

むかしわたしは鬼たちの住む場所にくらしていた。わたしも鬼のひとりだった。 

舞台は南北戦争前のアメリカ中部。ケンタッキー州の人里離れた田舎に、鬼たちの住む場所があった。鬼の住む場所は楽園(パラダイス)と呼ばれていて、農場主である男性とその妻ジニー、奴隷男たちと奴隷女たちが住んでいた。

この楽園という名の閉鎖空間で、鬼が生まれては消えていく。 

奴隷制の世界において最も権力のある農場主ライナス・ランカスターは、最初の鬼としてふさわしく、一緒に暮らす人たちをあらゆる暴力で虐げる。

「鬼は恐ろしい、鬼でない者は優しい」といったわかりやすい二項対立の物語かと思わせておいて、『優しい鬼』というタイトルが示唆するとおり、白黒つけられない濃灰色の領域を進んでいく。

「ものごと、起きると決まったら泣いてもムダなのよ」 

 

文体はひらがなと平易な言葉の連なりで、ほとんどイノセントと言ってもいいぐらいなのだが、語られるのは、淡い夢心地の地獄である。

雲の上の王国、ヒナギクの王冠、祭りのキャンディゼリー、淡い陽光といった、悪に染まらないものたちが輝く世界で、悪がひたひたと水位を上げていく。目玉とキャンディゼリーが一緒くたに入ったガラス瓶のように、本書では甘い夢と悲惨が同居している。

夢心地の地獄を支えるのは、女たちの「声」だ。難しい言葉を知らない女たち(そういう時代だった)が、己の地獄を己の言葉で語る。弱い立場の者たちの重層的な語りが、本書を形づくる。

かんがえる力をつかってじぶんをどこかよその場所につれていくやり方はクリオミーとジニアから教わったのだった。……

「よその場所って?」とわたしは訊いた。

「そこでない場所どこでも」とジニアは言った。

「きれいな場所」とクリオミーが言った。

「あんたが踊ってみたい場所」

 

鬼がいる場所に不幸にも居合わせてしまった時に人間がどうなっていくかを、本書は描いている。

誰だって大事にされたいし、愛されたい。しかし、その願いがかなわず、他者から傷つけられ、自尊心を踏みにじられ続ければ、人は怒りと失望を抱えて鬼になる。鬼になりたくないなら、鬼のいる場所から逃げるか、鬼につぶされるしかない。

被害者と加害者の境界は思ったよりも曖昧で、かつての被害者が加害者になることも、かつての加害者が被害者になることもある。かつて優しかった人が鬼になることもあるし、鬼だった人が優しさを見せることもある。

人間は、優しさと悪のあいだで揺らぐ、曖昧で筆舌に尽くしがたい生き物だ。

だから本書は過去の歴史物語なんかではない。たしかに奴隷制度は終わった。でも、鬼をうむ制度は形を変えて生き延びていて、鬼は今もそこらじゅうにいる。

  「世界のありようですよ、かあさま。世界のありようですよ、ミス・ジニー」 

でも目たちはいまもここにある――それぞれがそれぞれのガラス瓶に浮かぶキャンディゼリー。 

 

Recommend:鬼の話、おぞましい楽園の話

地下鉄道

地下鉄道

 

 鬼につぶされるか、鬼になるか、鬼から逃げるか。この選択肢のうち「逃げる」を選んだ黒人奴隷少女の物語。『優しい鬼』で語られる「玉ねぎの物語」にもつうじる。現代と違い、当時は「逃げる」ことはすなわち「死」であった。

 

鬼がいる場所に住んでいた少年たちの物語。少年たちは、逃げるか、鬼になるか、鬼につぶされるかの選択を迫られる。

 

小説世界で最もおぞましい「楽園」といえば「夜みだ」だろう。『優しい鬼』はほんわか夢心地の悲惨だが、『夜みだ』は夢と悲惨がぐるぐるどろどろに溶け合っていて、ほんとうに心をなぎ倒してくる。

黒人たちが黒人のための「楽園」を作ろうとしたら、殺意が育って開花した。もしかしたら文学において、「楽園」と呼ばれる土地でほんとうに楽園ぽいものなんて、ないのではないか。

『私の名前はルーシー・バートン』エリザベス・ストラウト|実家への割り切れない感情

バートン家という5人の家族がーーだいぶ常識はずれの一家だったがーーいわば屋根のような構造物になっていて、そうと気づいたときには終わっていたのではなかったか。 

――エリザベス・ストラウト『私の名前はルーシー・バートン』

 実家への割り切れない感情

実家は人生を始めた場所、家族は人生ではじめて関わった他者であり、人にとっての「原点」となるが、素晴らしいものとは限らない。

親から物理的あるいは精神的に暴力を受けた人、気質や考え方が合わない人、貧困で生活が苦しかった人たちにとって、実家や地元は「帰る場所」ではなく「逃れたい場所」となる。金銭、学力、運の力を借りて実家から抜け出した人は、「二度と戻らない過去の場所」として実家を埋葬しようとする。

私の名前はルーシー・バートン

私の名前はルーシー・バートン

 

 

語り手の名前はルーシー・バートン。イリノイ州の田舎(工業地帯で貧しい地域)アムギャッシュの貧しい家庭で育った。実家は叔父のガレージで、テレビもお金もないから皆の話題に入れず、「くさい」といじめられ、友達ができなかった。父親は仕事が続かず子供たちを虐待しがちで、母は忙しいため子供をまともにかまえなかった。

ルーシーは3兄弟のなかで1人だけ大学に入学し、ニューヨークで小説家として暮らし、ささやかなアメリカン・ドリームを実現する。

ルーシーは無事に過去を埋葬し、実家には帰らず、親と連絡もとっていない。そんな彼女のもとに「実家」がやってくる。ルーシーが長期入院している病室に母親が現れて、5日間だけ滞在することになる。

 

さびしさは私が人生の最初期に知った味わいである。その味が口の中のどこかに潜んで、まだ残っていた。

絶縁状態にあった母娘の再会と聞けば、「母娘の対決」あるいは「母娘の和解」といったわかりやすい物語を想像しがちだが、ストラウトはそのどちらにも寄せず、もっと絶妙で繊細な物語を展開していく。

ルーシーと母親の会話は、親しみと緊張感が入り混じっている。過去のつらい記憶、実家を捨てた事実が、ルーシーと母親の間にごろりと横たわっていて、彼女たちは不発弾を避けながらどうでもいい話をしつつ、しかし突然にみずから突っこんで爆発させたりする。かと思えば、母親からのささやかな同意を受けて、ルーシーはこのうえなく幸福を感じたりもする。

気にする性分だったのは私たちだ。母も私もそうだった。この世には一つ確実な判断基準がある。どうすれば人より劣っていると思わなくてすむか、ということ。

毒親への嫌悪、血縁の愛情、トラウマ、共依存、そんな単純な言葉ではルーシーの思いは表現しきれない。著者はラベルづけによるパターン化を拒否して、あいまいな感情を言葉で切り分けず、ごろりと投げ出してそのままに描き出そうとする。

 

ああいう5人が何ともはや不健康な家族だったことかとも思った。しかし、この家族が根っこの部分で相互の心臓に絡みついていたこともわかった。私の夫は「だけど、自分の家が好きじゃなかったんだろう」といった。それで私はこわいと思う気持ちをつのらせた。 

私の周りにも、実家が嫌いだったり、家族と合わない人たちがいる。「独立した大人なんだからつらい関係なんて切ってしまえばいいじゃない」と知らない人は言う。「そうだね」と本人も同意する。だが、彼らは結婚式には嫌いなはずの両親を呼んだり、親が病気になったら取り乱したり、認められたら涙を流したりする。

そして、心臓にからみついた家族の存在、自分の感情に驚くのだ。家族への感情は「好きじゃなかった」で終わらせられるような、単純なものではない。

 

本書は受け入れがたい自分との和解、恥によってうまれる怒りからの解放を描いた小説だと思う。おそらくそれは「自己肯定」と呼ばれるものなのだろうが、著者はわかりやすいラベリングをせず、繊細な感情を幾層にも積み重ねて描く。

ルーシーは、自分の感情にも、他者の感情にも、誠実であろうとしている。他者の感情を断定したり、超越者の視点を使ったりせず、「自分はこう思った」と書くにとどめる。他者のことはわからない、自分の感情も割り切れない、だがそれでいい、と言っているように思える。この姿勢は孤独の肯定だ。孤独を肯定した時、ルーシーは否定したがっていた自分の過去をも肯定する。

 

人生はリセットできない。過去は変えられない。私は私から逃れられない。自分に割り振られた踊り場で踊るしかない。私は私として生きて死んでいく。

本書は、この事実におののき絶望する人を慰める。過去は変えられなくても、過去の受けとめ方は変わりうる。灰色の記憶が、極彩色に一変することだってできる。

彼女の名前はルーシー・バートン。それ以外にはなれないし、それでいいのである。

 

「人生は進む。進まなくなるまで進む。」

Recommend

 

実家が嫌いだが割り切れない感情を抱く小説といえば、ベルンハルトである。『消去』は家族を容赦なく罵倒するが、それでも家族を捨てきれない。笑える要素もある。『凍』のほうはユーモアが影をひそめ、よりつらさが増している。

 

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

アメリカでも貧乏な地域と見なされる「ラストベルト」で生まれ育ったヒルビリー(田舎者)の自伝。著者は大学を出て弁護士となり地元を抜け出したため、ルーシーと重なるところがある。地元に住む白人たちの様子がわかるので、本書の副読本としておすすめ。

第五回 日本翻訳大賞の最終選考5作品を読んだ

 第五回 日本翻訳大賞に、ウィリアム・ギャディス『JR』(木原義彦訳)とジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』(木下眞穂訳)が選ばれた。2作品の受賞、おめでとうございます。

JR

JR

 
ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)

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  • 日本翻訳大賞とはなにか
  • なぜ最終候補5作品を読もうと思ったのか
  • 日本翻訳大賞の最終選考5作品のレビュー
    •  大賞受賞作品:ウィリアム・ギャディス『JR』
    •  大賞受賞作品:ジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』
    • リチャード・フラナガン『奥のほそ道』
    • 呉明益『自転車泥棒』
    • ハン・ガン『すべての白いものたちの』
  •  まとめ

日本翻訳大賞とはなにか

日本翻訳大賞とは、「直近の年に翻訳された作品のうち最も称賛したい作品に贈られる賞」である。第5回は2017年12月~2018年12月に翻訳された作品たちから選ばれた。(参考:日本翻訳大賞とは | 日本翻訳大賞公式HP

なぜ最終候補5作品を読もうと思ったのか

なぜ最終候補5作品をすべて読もうと思ったのか。きっかけはウィリアム・ギャディス『JR』読書会だ。

今年の2月末、狂乱のウィリアム・ギャディス『JR』読書会に参加した。最終選考5作品のうち最難関と思われる『JR』を読み終わったので、がんばれば最終選考5作品すべてを読めるのではないか? と啓示が降りてきた。

5月にトマス・ピンチョン『重力の虹』読書会が控えているので、ちょっと厳しいかもしれないと思ったけれど、狂気の読書会と狂気の読書会の間だからいける、との根拠皆無の確信が私を後押しした。

 

日本翻訳大賞の最終選考5作品のレビュー

結果として、すべて異なる国、異なる雰囲気の違う作品を読めてたいへんに楽しかった。どれから読んだらいいかいっぱいあって迷う人のためにさっくりレビューを書いてみた。

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『JR』ウィリアム・ギャディス|僕はアメリカ!

−−できることでもやったら駄目なんだ……

−−何で?

−−向こうにいるのは生きた人間だからだ、それが理由さ!

――ウィリアム・ギャディス『JR』

僕はアメリカ

全940ページに1.2kgというその異形ぶりから、2018年末の読書界隈を震撼させた怪物、ウィリアム・ギャディス『JR』は、これまで読んだことがない種類の小説だった。

『JR』を構成する一部を読んだことなら何度もある。トマス・ピンチョンやドン・デリーロが描くポストモダン小説、マヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』のようなほぼ会話のみで構成された小説、金で狂う人間たちの物語、金融市場の闇を暴くノンフィクション、コングロマリット企業とアメリカ政府の癒着を描いたノンフィクション(あるいはマイケル・ムーア)、少年が大人顔負けのやり口で活躍する漫画やドラマ。しかし、これらすべてを詰めこんだ小説は見たことがない。

じつに奇妙で、最後まで読み切った後でも「なぜこれとこれを混ぜた」というとまどいが抜けないが、大規模な魔術になるほど多様で混沌とした材料が必要となるように、「欲望と利益主義を突き詰めていく巨大で混沌とした構造物アメリカ」を文学として召喚するにはこれぐらいの供物が必要なのかもしれない。ギャディスは金融と小説とアメリカの悪魔融合をやってのけた。

JR

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『ジーザス・サン』デニス・ジョンソン|麻薬中毒者は祈る

何をしたらいいのか、こいつにはどうやってわかるのか? 俺の目の端に映る美しい女たちは、俺がまっすぐ見ると消えた。外は冬。午後には夜になる。暗い、暗いハッピーアワー。俺にはルールがわからなかった。何をしたらいいのか、俺にはわからなかった。

――デニス・ジョンソン『ジーザス・サン』

麻薬中毒者の祈り

アメリカの「ど阿呆(ファックヘッド)」と呼ばれる人たちの短編集である。

主人公たちはだいたいドラッグ中毒者で、いつも金がなく、まとまった金が入ればすぐに薬を買いこんで使い果たす。女好きで口説いてはセックスにふける。

生活は安定とはほど遠く、空き家に侵入したり、小銭欲しさにいちゃもんをつけたり、事故にあったり、うっかり友人を撃ってしまったりする。誰もがだいたい監獄や病院にぶちこまれた経験がある。

ジーザス・サン (エクス・リブリス)

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『火を熾す』ジャック・ロンドン|命の炎が燃え上がる

犬の姿を見て、途方もない考えが浮かんだ。吹雪に閉じ込められた男が、仔牛を殺して死体のなかにもぐり込んで助かったという話を男は覚えていた。自分も犬を殺して、麻痺がひくまでその暖かい体に両手をうずめていればいい。そうすればまた火が熾せる。

――ジャック・ロンドン『火を熾す』

 

命の炎が燃え上がる瞬間

ジャック・ロンドンの「火を熾す」は私が読んだ小説の中でも有数の「極寒」小説で、冬がくるたび折に触れて思い出す。

氷混じりの冬の雨に心が折れそうになると、「火を熾すほどじゃない」とみずからに言い聞かせ、歩く足を速める。マイナス50度に比べれば、0度などハワイのようなものだ。吐く息は凍らないし、凍傷になる心配もないし、生死の境で震えることもない。

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)

  • 作者: ジャック・ロンドン,新井敏記,柴田元幸
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『舞踏会へ向かう三人の農夫』リチャード・パワーズ|写真という爆心地

写真を見るだけで、三人が舞踏会に予定どおり向かっていないことは明らかだった。私もまた、舞踏会に予定どおり向かってはいなかった。我々はみな、目隠しをされ、この歪みきった世紀のどこかにある戦場に連れていかれて、うんざりするまで踊らされるのだ。ぶっ倒れるまで、踊らされるのだ。

リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』  

写真という爆心地

『舞踏会へ向かう三人の農夫』の写真を撮影したドイツ人写真家アウグスト・ザンダーは、最も好きな写真家のひとりである。私にとって『舞踏会へ向かう三人の農夫』はパワーズの小説というよりは「ザンダー本」で、「表紙がザンダーだから」という理由だけでこの本を買った。

なぜザンダーが好きかといえば、被写体と目が合うからだ。かつて私は東京都写真美術館で開催されたザンダー展で、「若い農夫たち」からの視線を感じて振り返ったことがある。そんな経験はめったになかったから驚いた。そして本書を読んで、さらに驚くことになる。パワーズよ、お前もか。

 

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『最初の悪い男』ミランダ・ジュライ|自己防衛の孤独から抜け出して、他者へ

効果は、一応はあった。ただし"アブラカタブラ"と唱えたらウサギが消えました、じゃん! というような効き方ではなかった。"アブラカタブラ"を何十億回、何万年もかかって唱えつづけているうちにウサギが老衰で死に、それでもまだ唱えつづけているうちにウサギは腐って分解されて土に還りました、じゃん! という感じだった。

ーーミランダ・ジュライ『最初の悪い男』

人恋しさとさびしさを埋めるには他者の助けがいるが、他者は自分とは違う人間であり、望むとおりに愛してそばにいてくれるとは限らない。期待して心をあずければ、望みが叶わなかった時の痛みは激しいものになる。 

他者と真剣に関われば、激しい喜びと激しい痛みが制御不能でやってくる。関わらなければ、傷つくリスクを抑えられる。さて、どちらを選ぼうか?

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

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『移動祝祭日』ヘミングウェイ|どこまでもついてくる祝祭

「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ」

ーーアーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』

どこまでもついてくる祝祭

 世の中には2種類の人間がいる。パリにどうしようもなく惹かれる人間と、そうでない人間だ。私は後者だが、周りにはだいたいいつも数人の「パリ人間」たちがいた。彼らはパリに足を踏み入れる前からパリを第二の故郷と見なし、パリを何度も訪れ、フランス語を学び、フランス語を使う仕事をして、何人かはパリに移住した。

本書を読んで、ヘミングウェイも「パリ人間」であり、彼らにとってパリは“A Mobable Feast”ーーどこまでもついてくる祝祭、移動祝祭日であることを知った。パリでワインを飲み、散歩をし、交流をして、「パリに帰りたい」と語る友人たちとヘミングウェイの言動がそっくりなものだから。

移動祝祭日 (新潮文庫)

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『パラダイス』トニ・モリスン|楽園で育つ殺意

彼を怒らせたのは、この街、これらの住民たちの何だろう? 彼らが他の共同体とちがうのは、二つの点だけだ。美しさと孤立。
−−トニ・モリスン『パラダイス』

楽園で育つ殺意

自分がいる共同体に不満を抱く人間、なじめない人間がとりうる選択肢は3つある。

共同体の中で、自分が生きやすいように変化をうながす。共同体を出て、別の共同体に所属する。共同体を出て、新しく自分たちのための共同体を作る。

個人の場合は「共同体を出て別の共同体に所属する」がいちばん楽だが(転職などはまさにそうだ)、ある規模の集団になると、最初か最後の選択肢を選ぶことが多いように思える。

『パラダイス』の登場人物たちは、最後の選択肢を選んだ人たちだ。彼らは黒人で、白人が優位に立つアメリカの町を離れて、自分たちだけの楽園を作ろうとした。

黒人による黒人のための町。皆が幸せで争いがなく、平等で平和なパラダイス。

パラダイスはパラダイスでなければならない。だから異端者は排除しなくてはならない。

パラダイス (ハヤカワepi文庫) (トニ・モリスン・セレクション)

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『大いなる不満』セス・フリード|人間は不合理

それがゆえに、諸君のような若き科学者の多くは、ドーソンの研究に人生を捧げるようになっていく。その主題を扱う長く感傷的な博士論文によって大学図書館はどこも溢れかえらんばかりになっており、多くの論文は取り乱したラブレターのように書かれる傾向にある。
−−セス・フリード『微小生物集-若き科学者のための新種生物案内』

人間は不合理

21世紀になってからというもの、ますます人類は「われわれは不合理で非合理な生き物である」というアイデンティティを強めているように思える。

行動心理学や未来予測などの研究をすればするほど「人間ってぜんぜん合理的じゃないよね」という結果が出てくるし、アメリカはリーマン・ショックやトランプ政権など不合理不条理冗談のような世界をリアルタイムで経験している。

だから、セス・フリードのような若手アメリカ人作家が、ばかばかしいほどの人間の不合理っぷり、それによってもたらされる悲劇を明るく描いているのは、妙な納得を覚える。

大いなる不満 (新潮クレスト・ブックス)

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