ボヘミアの海岸線

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『大いなる不満』セス・フリード|人間は不合理

それがゆえに、諸君のような若き科学者の多くは、ドーソンの研究に人生を捧げるようになっていく。その主題を扱う長く感傷的な博士論文によって大学図書館はどこも溢れかえらんばかりになっており、多くの論文は取り乱したラブレターのように書かれる傾向にある。
−−セス・フリード『微小生物集-若き科学者のための新種生物案内』

人間は不合理

21世紀になってからというもの、ますます人類は「われわれは不合理で非合理な生き物である」というアイデンティティを強めているように思える。

行動心理学や未来予測などの研究をすればするほど「人間ってぜんぜん合理的じゃないよね」という結果が出てくるし、アメリカはリーマン・ショックやトランプ政権など不合理不条理冗談のような世界をリアルタイムで経験している。

だから、セス・フリードのような若手アメリカ人作家が、ばかばかしいほどの人間の不合理っぷり、それによってもたらされる悲劇を明るく描いているのは、妙な納得を覚える。

大いなる不満 (新潮クレスト・ブックス)

大いなる不満 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 本書を手に取ったのは「なぜか毎年繰り返される、死者続出のピクニック」という『フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺』のあらすじに惹かれたからだ。まともに考えれば、死者続出なら未来永劫ピクニックは中止すべきだが、なぜか毎年ピクニックは繰り返される。どれだけ人が死んでも、子供たちはピクニックを心待ちにしているし、親たちも楽しみだと思おうとしているし、ピクニックに参加しなければ「正常な世界」から逸脱してしまうという恐れがあるし、ピクニックの主催者たちを猛烈に批判する人たちこそがピクニックに熱烈に参加したがる。

わくわくピクニック大惨事に見られる「人々の不合理で狂った熱情」は他の作品にも通底している。

『ロウカ発見』では、数千年前のミイラを発見した研究チームが、すっかりミイラに惚れこんで感情のタガが外れ、研究チーム内での色恋沙汰にまで発展。

『微小生物集-若き科学者のための新種生物案内』では、微生物に恋をする研究者が後を絶たず、論文がなぜかとち狂ったラブレターのようになる、という珍事が頻発する。

 

セス・フリードの短編はどれも「語り手がまじめに叙述する世界がわりとおかしい」スタイルだ。

彼らにとって世界は「普通」なのだが、私たち読者からすればなにかが徹底的におかしい。しかし登場人物たちはいたってくそまじめなので、事態もくそまじめに進行して、ばかばかしい結末をむかえる。

私たちからすればセス・フリードの描く世界は「おかしい」が、私たちをのぞく「誰か」からすれば私たちだって相当におかしい。

知り合いの前では「おとなしくていい人」が炎上では誰かを猛烈に攻撃したりするし、感動させるコンテンツでは涙する人が現実の虐殺には見てみぬふりをするし、他者の意見をさも自分の意見のように語るし、会ったことも危害を加えられたこともない集団を親の仇のように心から憎んだりもする。

私たちは非合理で不条理で、感情の爆発にたやすく飲まれる。なにも起こらないように見える世界だって、いつ不穏に手を伸ばして足首をつかんでくるかわからない。

 我らは揃って街をさまよい、考え込む。心の内では不確かな恐怖が膨らみ、足元にある地面からいきなり手が突き出てきはしないか、無数の翼がはためく音が聞こえてはこないか、はたまた、墨色をした蝶が、上を向いたわれわれの顔にそっと舞い降りはしないか、と思う。

こうした人間と世界の絶え間ない「心不全」ぶりを、セス・フリードは軽やかかつコンパクトに提示してくる。

「奇想」と呼ぶにはあまりに常識的すぎるし、著者はどこまでも正気の人間と思われるので「とち狂ったぶっ飛び世界観」を期待すると物足りなく感じるだろう。『大いなる不満』は、極めてまっとうな感覚を持つ人が「狂った私たちの世界」を冷静に眺めてユーモアで笑い飛ばそうとしている小説であり、私は「そうだねセス、私たちはわりとやばい」とうなずきながら読んだ。

収録作品

気に入った作品には*印。

  • 『ロウカ発見』**
  • 『フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺』***
  • 『ハーレムでの生活』*
  • 『格子縞の僕たち』
  • 『征服者の惨めさ』*
  • 『大いなる不満』
  • 『包囲戦』*
  • 『フランス人』
  • 『諦めて死ね』
  • 『筆写僧の嘆き』*
  • 『微小生物集-若き科学者のための新種生物案内』 ***

Recommend:歪んだ世界の短編

セス・フリードのような常識派とは反対の「心底いかれてやがるぜ!」派。残雪を読んだ後はだいたい船酔いのような気分になって、具合が悪くなる。『暗夜』はまだかわいいほうだが、『黄泥街』はとにかくひどい。

「奇想文学」はいろいろなものを読んだが、シュルツ『肉桂色の店』は唯一無二の作品だ。過剰なグロテスクと過剰な表現美が悪魔のように融合しており、読後に目眩を覚える。

こちらはかなりかわいい「奇想」。人間はしょっちゅう虫になったりならなかったり、虫でありながら人間であったりする。人間にとって虫は小さく踏み潰すような存在だが、宇宙にとっては人間も虫もたいして大きさは変わらない。この感覚は、セス・フリードにも通じるものがある。

元祖「奇想文学」。どの短編もわりと最初の一文からアッパーフックを決めてくるスタイル。

 

セス・フリードのインタビュー・講演レポート

 感想を書き終わってからこれらのインタビューや講演内容を見て、やはりセス・フリードはめちゃくちゃ常識人だと確信した。

 読書日記 著者のことば セス・フリードさん