ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『JR』ウィリアム・ギャディス|僕はアメリカ!

−−できることでもやったら駄目なんだ……

−−何で?

−−向こうにいるのは生きた人間だからだ、それが理由さ!

――ウィリアム・ギャディス『JR』

僕はアメリカ

全940ページに1.2kgというその異形ぶりから、2018年末の読書界隈を震撼させた怪物、ウィリアム・ギャディス『JR』は、これまで読んだことがない種類の小説だった。

『JR』を構成する一部を読んだことなら何度もある。トマス・ピンチョンやドン・デリーロが描くポストモダン小説、マヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』のようなほぼ会話のみで構成された小説、金で狂う人間たちの物語、金融市場の闇を暴くノンフィクション、コングロマリット企業とアメリカ政府の癒着を描いたノンフィクション(あるいはマイケル・ムーア)、少年が大人顔負けのやり口で活躍する漫画やドラマ。しかし、これらすべてを詰めこんだ小説は見たことがない。

じつに奇妙で、最後まで読み切った後でも「なぜこれとこれを混ぜた」というとまどいが抜けないが、大規模な魔術になるほど多様で混沌とした材料が必要となるように、「欲望と利益主義を突き詰めていく巨大で混沌とした構造物アメリカ」を文学として召喚するにはこれぐらいの供物が必要なのかもしれない。ギャディスは金融と小説とアメリカの悪魔融合をやってのけた。

JR

JR

 

 

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『蜂工場』イアン・バンクス|荒野と呪術の子供たち

どの人生も象徴をかかえこんでいる。人の行為はどれをとってもひとつの宿命の波紋に属していると、ある程度は言えるだろう。…<蜂工場>はそうした宿命の波紋の一環だ。なぜなら、それは生の一断面であり――むしろそれ以上に――死の一断面だからだ。

――イアン・バンクス『蜂工場』

緻密な呪術世界

子供の頃は、魔法や呪術とともに生きていた。外れたら悪いことが起きるから、白線の上を注意深い綱渡り師のように歩いた。赤信号にとめられずに学校までたどりつくことで命運を占った。行きかう車の黒いナンバープレートは不運の兆しだが、黄色プレート2枚で帳消しにできた。天気は願う力で変わると思っていたし、嫌いな行事で晴れになると、力の弱りを反省して木に登った。

私の幼少期は、人類のプリミティブな時代に重なっていたのだろう。世界は啓示に満ちていたし、互いに秘密の言葉でルールを共有して、世界と自分の臓腑がつながっている感覚があった。『蜂工場』は、こうした「僕が考えた最強の呪術」の極北かもしれない。

蜂工場 (ele-king books)

蜂工場 (ele-king books)

 

 

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『自転車泥棒』呉明益|誰にも話せなかった傷と痛み

 「まあ、ふたりとも、自分の人生のねじをどこかで落としてしまったんだろう。自分のことが、自分でもわからない」

「会話のスイッチが壊れているんだ」

「そう、壊れている」

――呉明益『自転車泥棒』

話せなかった傷と痛み

痛ましい出来事によってうまれた傷との付き合い方は、人によって異なる。ある人は、自分が受けた痛みや傷の物語を語ろうとする。ある人は、物語を語ろうとせず、自分の心の中に痛みと傷を抱えこむ。

語らないからといって、傷や痛みがなかったことになるわけではない。時が痛みを風化させる場合もあるが、傷が膿んで致命傷になる場合だってある。

『自転車泥棒』の父親もそのひとりだ。父親は、家族に自分の物語を語らず、失踪した。これは、傷と痛みを抱え続ける人の物語、語られなかったことによって傷ついた家族の物語である。

自転車泥棒

自転車泥棒

 
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ブログの名前を変えた

ブログの名前を「キリキリソテーにうってつけの日」から「ボヘミアの海岸線」に変えた。

キリキリソテーという名前に愛着はあるが、この名前でブログを書いて11年になるし、長いし(Twitterでつぶやくと長いなといつも思う)、そろそろ変えてみてもよいかなと思った。書く内容はたぶんあまり変わらない。海外文学だけではなく、日本文学やノンフィクション、海外ごはんについても書こうかと思っている。

 

ボヘミアの海岸は、私が住みたいところだ。灯台と海岸と孤島の小説を10年前からこつこつと偏愛していて、 ボヘミアの海岸にある灯台、沖に係留した船上で暮らしたい気持ちは高まるばかりだ。

 

島暮らしの記録

島暮らしの記録

 

 

ハル、孤独の島 [DVD]

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灯台へ (岩波文庫)

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灯台守の話 (白水Uブックス175)

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土星の環―イギリス行脚 (ゼーバルト・コレクション)

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孤島 (ちくま学芸文庫 (ク-30-1))

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予兆の島 (1981年)

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新しい世界の文学〈65〉半島 (1974年)

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シルトの岸辺 (岩波文庫)

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ブラックウォーター灯台船

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冬物語―シェイクスピア全集〈18〉 (ちくま文庫)

冬物語―シェイクスピア全集〈18〉 (ちくま文庫)

 

 

『死体展覧会』ハサン・ブラーシム|ナイフと脳髄が飛んでゆく

「君は震えているな」

――ハサン・ブラーシム『死体展覧会』

暴力と殺戮と幻視

イラク生まれの作家ハサン・ブラーシムは、混濁したイラクの日常を煮詰めて、澄み切った暴力の結晶として描く。暴力の結晶は赤黒い光を放って乱反射して、血と脳髄とナイフが飛び交う幻想を生み出す。

本書の暴力は、握手していた自分の手がいきなり切り落とされるような、唐突に殺戮にぶち当たる種類の恐ろしさだ。歩いていたら銃殺されたり、食事をしていたら自爆用の爆弾を体にくくりつけられたり、登場人物たちは日常を生きているだけで暴力と殺戮にさらされる。

死体展覧会 (エクス・リブリス)

死体展覧会 (エクス・リブリス)

 

 

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『ジーザス・サン』デニス・ジョンソン|麻薬中毒者は祈る

何をしたらいいのか、こいつにはどうやってわかるのか? 俺の目の端に映る美しい女たちは、俺がまっすぐ見ると消えた。外は冬。午後には夜になる。暗い、暗いハッピーアワー。俺にはルールがわからなかった。何をしたらいいのか、俺にはわからなかった。

――デニス・ジョンソン『ジーザス・サン』

麻薬中毒者の祈り

アメリカの「ど阿呆(ファックヘッド)」と呼ばれる人たちの短編集である。

主人公たちはだいたいドラッグ中毒者で、いつも金がなく、まとまった金が入ればすぐに薬を買いこんで使い果たす。女好きで口説いてはセックスにふける。

生活は安定とはほど遠く、空き家に侵入したり、小銭欲しさにいちゃもんをつけたり、事故にあったり、うっかり友人を撃ってしまったりする。誰もがだいたい監獄や病院にぶちこまれた経験がある。

ジーザス・サン (エクス・リブリス)

ジーザス・サン (エクス・リブリス)

 

 

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『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ|人間扱いされない世界

天国に住んでいる人は地獄のことを考える必要がない。けれども僕ら五人は地獄に住んでいたから、天国について考え続けた。ただの一日も考えなかったことはない。毎日の暮らしが耐えがたいものだったからだ。

――チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』

人間扱いされない世界

「人間扱いしてほしい」。誰かにこんな言葉を言わせる世界はまちがっているとしか言いようがないが、残念ながらこの言葉は今も世界中で響きわたる。『こびとが打ち上げた小さなボール』は、人間扱いをされずに酷使される人々の声を描き出す。

こびとが打ち上げた小さなボール

こびとが打ち上げた小さなボール

 
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『野蛮なアリスさん』ファン・ジョンウン|最低な世界は最低だ

まだ落ちてて、今も落ちてるのだ。すごく暗くて長い穴の中を落ちながら、アリス少年が思うんだ、ぼくずいぶん前にうさぎ一匹追っかけて穴に落ちたんだけど……そんなに落ちても底に着かないな……ぼく、ただ落ちている…落ちて、落ちて、落ちて……ずっと、ずっと……もううさぎも見えないのにずっと……って考えながら落ちていくんだ。

――ファン・ジョンウン『野蛮なアリスさん』

落下し続ける

 ハン・ガン『菜食主義者』が野蛮な世界を拒否し続けて沈黙する人の物語なら、ファン・ジョンウン『野蛮なアリスさん』は野蛮な世界を生きつつ「野蛮だ!」と絶叫する人の物語だ。

少年たちは生きながら落下する。いつ底に着くのだろうと思いながら、落下し続ける。その声は、消された貧民街コモリからこだまする。

野蛮なアリスさん

野蛮なアリスさん

 
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『菜食主義者』ハン・ガン|境界の向こうに行った人

ふとこの世で生きたことがない、という気がして、彼女は面食らった。事実だった。彼女は生きたことがなかった。記憶できる幼い頃から、ただ耐えてきただけだった。

――ハン・ガン『菜食主義者』

境界の向こうに行った人

人間という業の深い生物にうまれ、不幸にも鈍感さを持ち合わせていない場合、生きる方法はいくつかに限られる。目の中に丸太を入れて見たくないものを見ないふりをするか、目を見開いて悪態とユーモアで世界と距離を保ちつつ生き延びるか、目を見開き続けて折れるまで傷つき続けるか、人間であることを放棄するか。

心に麻酔をかければ生きやすくはなるが、あるがままの心からは遠のいていく。麻痺することを拒み、恐ろしいものを見続ける人たちがいる。『菜食主義者』は、そういう人たちの物語である。

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

 
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『すべての、白いものたちの』ハン・ガン|白をたぐりよせて葦原へ

顔に、体に、激しく打ち付ける雪に逆らって彼女は歩きつづけた。わからなかった、いったい何なのだろう、この冷たく、私にまっこうから向かってくるものは? それでいながら弱々しく消え去ってゆく、そして圧倒的に美しいこれは?

――ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

白をたぐりよせて葦原へ

モノクロームのネガフィルムで白黒写真を撮っていたころ、シャッターを開けっぱなしにして撮影することが時折あった。シャッターを開けたままフィルムに露光し続ければ、人は残像となって消失し、影と色は光に飲まれて、世界が白飛びする。

雪原、濃霧、塩湖、白い砂漠、見渡す限りの白い風景がこの世から少しずれて見えるように、かすかに影が残るだけの白く飛んだ写真は、この世というよりはあの世に近く見えた。白は、この世とあの世をつなぐ色なのかもしれない。

すべての、白いものたちの

すべての、白いものたちの

 

 

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『はるかな星』ロベルト・ボラーニョ|彼は怪物の詩人

誰にも見られずに落ちていく星はあるのだろうか。 

――ロベルト・ボラーニョ『はるかな星』

怪物の詩人

 「誰にも見られずに落ちていく星はあるのだろうか」。フォークナーの詩から始まる『はるかな星』は、チリの詩人たちにまつわる物語だ。チリは「石をどければ5人の詩人が這い出てくる」と言われるほど詩が盛んで、ボラーニョも自身を小説家ではなく詩人と見なしていた。

それにしても、ボラーニョが生み出した怪物詩人は常軌を逸している。怪物的な詩を生み出すのではなく、怪物そのものである。

怪物の名はカルロス・ビーダー、著者の同級生であり、独裁政権の軍人であり、殺人鬼であり、南極大陸を飛び、空中に詩を書く詩人だった男。

はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)

はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)

 

 

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『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判』アリエル・ドルフマン|チリに満ちる悪の惨禍

 チリの誰もが気づいていた。本当に何が起きているのかを知っていた。近くの地下室で遠い砂漠で、果てしなく起きていることを知っていた。果てしなく起きる。これが抑圧の病的ロジックである。止むことなく続くというのがテロルの定義なのだ。 

−−アリエル・ドルフマン『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判』

チリに満ちる悪の惨禍

ボラーニョの文学には「言葉にしてはいけない悪」の気配が満ちている。この悪は名指しこそされないが、ひたひたと空気の中に満ちていて、人々の臓腑にまでたどりつく。

チリの空気に満ちる悪として真っ先に思い浮かぶのは、チリの独裁者ピノチェトだ。『通話』『はるかな星』『アメリカ大陸のナチ文学』では登場しなかったピノチェトが『チリ夜想曲』で登場したので、ピノチェトとはなんなのかを知ろうと思い、この本を手に取った。

ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判―もうひとつの9・11を凝視する

ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判―もうひとつの9・11を凝視する

 
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『チリ夜想曲』ロベルト・ボラーニョ|悪は沈黙する

チリよ、チリ。いったいどうしてお前はそんなに変わることができたのだ?…お前はいったい何をされたのだ? チリ人は狂ってしまったのか? 誰が悪いのだ?

――ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』

沈黙、語りたくなかったもの

ボラーニョの小説はドーナツの穴のようなものだ。穴ではない周辺部のドーナツを描くことで、最後にドーナツの穴が忽然と現れる。

対象そのものを注意深く避けて「描かないことによって対象を浮かび上がらせる」手法は、言論の自由がない状況下あるいは後ろめたいことがある時に用いられる。

『チリ夜想曲』は後者の物語だ。文学的に成功した神父が病床でうなされる「沈黙」、語りたくないものはなんだったのか。

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

 

 

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『凍』トーマス・ベルンハルト|人間の形をした液体窒素

 きみは恐れているのか。違うって。どっちなんだ。人類をか。観念をか。

――トーマス・ベルンハルト『凍』

人間の形をした液体窒素

 『消去』を読んで以来、トーマス・ベルンハルトには、遠い異国に住んでいる親族に寄せるような、淡い親近感を抱いてきた。

世界を嫌悪し、近親者を嫌悪し、かつての友人を嫌悪し、医者と政治家と金持ちと権力と資本主義と企業を毛嫌いし、働くことを拒み、自分の好きなものにだけ取り囲まれて暮らす、人に期待しすぎては幻滅する人嫌い。ベルンハルトとよく似た口調でよく似た話をする人が、ごく身近にいた。デビュー作である本書を読んで、ベルンハルトはますます私の親族なのではないかという思いは強まるばかりだ。

凍

 
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『火を熾す』ジャック・ロンドン|命の炎が燃え上がる

犬の姿を見て、途方もない考えが浮かんだ。吹雪に閉じ込められた男が、仔牛を殺して死体のなかにもぐり込んで助かったという話を男は覚えていた。自分も犬を殺して、麻痺がひくまでその暖かい体に両手をうずめていればいい。そうすればまた火が熾せる。

――ジャック・ロンドン『火を熾す』

 

命の炎が燃え上がる瞬間

ジャック・ロンドンの「火を熾す」は私が読んだ小説の中でも有数の「極寒」小説で、冬がくるたび折に触れて思い出す。

氷混じりの冬の雨に心が折れそうになると、「火を熾すほどじゃない」とみずからに言い聞かせ、歩く足を速める。マイナス50度に比べれば、0度などハワイのようなものだ。吐く息は凍らないし、凍傷になる心配もないし、生死の境で震えることもない。

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)

火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)

  • 作者: ジャック・ロンドン,新井敏記,柴田元幸
  • 出版社/メーカー: スイッチ・パブリッシング
  • 発売日: 2008/10/02
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