ボヘミアの海岸線 - 海外文学の感想

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

雄弁なる悪の沈黙|『チリ夜想曲』ロベルト・ボラーニョ

チリよ、チリ。いったいどうしてお前はそんなに変わることができたのだ?…お前はいったい何をされたのだ? チリ人は狂ってしまったのか? 誰が悪いのだ?

――ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』

沈黙、語りたくなかったもの

ボラーニョの小説はドーナツの穴のようなものだ。穴ではない周辺部のドーナツを描くことで、最後にドーナツの穴が忽然と現れる。

対象そのものを注意深く避けて「描かないことによって対象を浮かび上がらせる」手法は、言論の自由がない状況下あるいは後ろめたいことがある時に用いられる。

『チリ夜想曲』は後者の物語だ。文学的に成功した神父が病床でうなされる「沈黙」、語りたくないものはなんだったのか。

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

 

 

 セバスティアン・ウルティア=ラクロワというチリ人の老神父が、高熱にうかされて死の床にいる。

彼は自分の過去を回想する。晴れやかな回想とはほど遠い。神父は憤っている。「老いた若者」が目の前に現れて、自分の汚名を一夜にして言いふらしたからだという。神父は「汚名」がなにかを明かさず、「わたしの沈黙にやましいところは一切ない」と豪語するばかりだ。つまり汚名は沈黙に関係している。しかし神父は沈黙については引き続き沈黙し、過去の記憶を饒舌に語り始める。

 人は責任をとらなければならない。それはわたしが一生言い続けてきたことだ。人は自らの行動に責任を取るべき道徳上の義務がある。自らの言葉についても、沈黙についてさえも。そう、沈黙についてさえも。

老神父は、チリで名をはせた文芸批評家である。彼の師フェアウェルはチリで最高の文芸批評家で、ノーベル文学賞詩人パブロ・ネルーダと親しい仲だった。

「フェアウェルのようになりたい」と語る若い神父にたいして、フェアウェルは「この道を歩むのは容易ではない」と返す。「容易ではない」理由は神父の「沈黙」につながっているのだが、それは後半になるまでわからない。

 

不穏、すべてが不穏だ。ボラーニョ作品は、不穏が地響きのように鳴り響く。序盤では、だいぶ地響きが控え目で、むしろ真顔で繰り出されるギャグのようなエピソードが目立つ。

特に目をひいたのが、神父が「ヨーロッパの教会が美しく保たれている理由を調査せよ」という依頼でヨーロッパ周遊をした時の物語だ。ヨーロッパでは、教会を鳩の糞から守るため、神父が鷹を飼い、鷹狩りで鳩(キリスト教では平和の象徴だ)を打ち落とすという。そんなばかな。こんなエピソードが真顔で語られる。神父は「傑作」という鷹狩りエピソードを語るのだが、これが本当に笑えくて困る。

乾いた笑いが響く中、チリは社会主義政権のアジェンデ政権が発足し、やがて軍事クーデターによるピノチェト政権へ移り変わっていく。政権交代と文芸批評家に関係があるのかといえば、おおいにある。だが神父は、たいして好きではなかった女性作家については批判するものの、自分や仲のいい人たちについては沈黙を守る。

そうする間にも我々の目は、いかにもチリ人らしく、事態を目の当たりにしたくないというように上の空を装いながら、レストランの壁に黒い稲妻みたいに現れたり消えたりする影絵芝居をじっと観察していた。

 

かすかなほのめかしばかりが続き、のらりくらりとした語りにいらついてきたあたりで、ボラーニョは後半、一気にドーナツの穴を閉じにかかる。いくつかの事柄が明らかになる。神父に課された極秘任務(これも真顔のギャグだ)、そして誰もが沈黙を守った出来事が起こる。

何もかもが沈んでいき、すべては時に飲み込まれる、だが最初に飲み込まれるのはチリ人だ。

わたしにはその動きが無限の恐怖、あるいは無限に向けて差し出された恐怖を暗に意味しているように思えたからだ。それは一方で恐怖の行方でもあり、上昇し、上昇し、決して止まることがない、そこから我々の苦しみが生まれ、そこから我々の悲しみが生まれ、そこからダンテの作品のいくつかの解釈が生まれる。

神父とフェアウェル、そのほか自国で成功した文学者たちはいつも「歴史とともにあった」。彼らはいつもチリに帰った。

つまりはそういうことなのだ。老いた若者がいなければ、彼は沈黙を守ったまま死んでいっただろう。他の人たちも見て見ぬふりをするだろう。彼らは偉大で著名な文学者、影響力を持つ権力者であり、彼らが沈黙すれば、チリではなにもなかったことになる

この恐ろしい沈黙の構造を、ボラーニョは浮かび上がらせる。語らないことによって背後にうごめく悪を語る。これほどおぞましく饒舌な沈黙があるだろうか。

すると真実が死体のように、少しずつ浮かび上がってくる。

チリではこうやって文学が作られる。西洋の偉大な文学はこうやって作られる。頭に叩き込んでおけ、とわたしは彼に言う。老いた若者、彼の名残は、口を動かして、耳には聞こえない「否(ノ)」を表明する。

<鬘を取りなさい>とボラーニョは言った。その言葉に抗った神父は、何十年ものあいだ隠したいものを隠していた鬘を、最後の最後に、予想もしなかった嵐で吹き飛ばされたのだった。

チリよ、いったいいつまでそんなふうにいるつもりなのだ? お前は別の何かになってしなったのか? もはや誰も知らない怪物になったのか?  

 

ロベルト・ボラーニョの著作レビュー

 Recommend:地響き三兄弟

ガイブン地響き三兄弟とは、地響きのように低いかすかな声で語り続ける作家たちのことである。名前は私が勝手につけた。長男トーマス・ベルンハルト、次男W.G.ゼーバルト、三男ロベルト・ボラーニョ(生年月日順)。

『アメリカのナチ文学』は、同じ主題を扱いながら、よりはっきりと、老いた若者が断罪した内容が語られている。『チリ夜想曲』を最初に読むと、神父に煙に巻かれるかもしれないので、最初にこちらを読んでいたほうがいいかもしれない。

ボラーニョ、ベルンハルトとともに「地響き三兄弟」として名を馳せるゼーバルト。地響き三兄弟は全員が、同じテーマを語る金太郎飴タイプであり、ゼーバルトは「記憶の喪失」を描く。『空襲と文学』はエッセイで、ドイツが第二次世界大戦の記憶をいかに風化させて、「集団的記憶喪失」に陥ったかについて書いている。

地響き三兄弟の長兄であるベルンハルトは、濁流のごとき独白を垂れ流す。彼は心を消去したい、だが消去しきれない。この天秤に揺れる筆致が恐ろしくうまい。

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友人が出版した書籍。第二次世界大戦中、前線で戦う兵士たちのために「アイドル雑誌=慰問雑誌」が作られた。そこでは著名な作家や女優たちが、兵士たちを鼓舞激励するために登場していた。戦後、慰問雑誌は出版の歴史から葬られ、「動員」に参加した人たちは沈黙した。彼女が書くまで、誰もこの慰問雑誌を取り上げなかった。