ボヘミアの海岸線

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『通話』ロベルト・ボラーニョ

 ようやく眠りに落ちると、一人の雪男が砂漠を歩いている夢を見る。雪男は挫折すれすれの道を、おそらく挫折に向かって歩いている。だが、雪男はその事態に目をつぶることを選び、その抜け目のなさが彼の意思に変わっている。
――ロベルト・ボラーニョ『通話』

語らない不穏

 今年の春に南米を旅したときは、チリは周辺諸国に比べて安全な印象を受けたが、本書を読んで、1973年のクーデター以来、やはりいろいろなことがあったのだなと思わずにはいられなかった。『通話』には、チリの言論弾圧や不穏な世情が背景にきっちりと書き込まれている。
 ボラーニョは直接的な描写を行わない。政治的な信条も語らない。「壺を書くためには、まず壺以外の白紙を埋めることだ」とどこかの画家が言った記憶がある。ボラーニョの手腕はそれに似ている。チリの世情をあえて言葉にしないことで、避けた軌跡を追うことで、彼の地の不穏さが浮かび上がってくる。

通話 (EXLIBRIS)

通話 (EXLIBRIS)

[改訳]通話 (ボラーニョ・コレクション)

[改訳]通話 (ボラーニョ・コレクション)


 本書は3部構成。1部の「通話」は主に売れない小説家について、2部の「刑事たち」はチリの不穏さ、3部「アン・ムーアの人生」は人知れず消えていった女性たちの一生を描いている。個人的には、1部と2部が好き。3部はあまりに救いがなかった。

『通話』 
 表題「通話」以外は、売れない小説家が主人公の物語。「センシニ」では、2人の小説家が小説の賞金を狙って小説を書く。「アンリ・シモン・ルプランス」「エンリケ・マルティン」は、3流作家のひそやかな一生の話。貧しいけれど書き続ける作家へのストイックな入れ込みが見て取れる。「エンリケ」「文学の冒険」「通話」は、後ろに弾圧の恐怖がちらついている。影は見えるけど、本体はけっして出てこない。不安が不安のままで終わるのが欧米(日本含む)流。現実となって人知れずに誰かが死ぬのが南米かなと。

『刑事たち』
 1973年のクーデターと弾圧、不穏な世情を描いた物語。「芋虫」は一瞬乱歩かと思ってぎくりとしたけれど、街中でぼんやりしている殺し屋の村の男の話だった(こちらもやはり変か?)。この章でおもしろかったのが、「雪」「ロシア話をもう一つ」で描かれる、ロシアと南米が対比。なるほど両者の気候の激しさと日常に潜む不穏さって、通じるものがあるかもしれない。作品中で引用されたブルガーコフも、そういえば弾圧の中でぶっ飛び小説を書いた人だった。「刑事たち」はプイグを思わせる会話形式で、最後のオチでぽーんと車外に放り出されたような気分になる。本当にありそうな会話で怖い。結局どっちだったのかは分からずじまい。もっとも、何かをしゃべっただけで翌日牢屋にぶっこまれる世界では、誰も本当のことなんてしゃべらないだろうなあ。

『アン・ムーアの人生』
 娼婦やポルノ女優、4人の女性が主人公の物語。このセクションは微妙だった。どの人の人生も、下降路線で息がつまる。1部、2部も基本的には落伍者や失敗者ばかりなのだが、女性が年老いていく辛さはかなり堪える。「アン・ムーアの人生」はそれなりにたくましいが、「クララ」「独房の同志」「ジョアンナ・シルヴェストリ」の女性たちは、どんどんやつれていく様がいたたまれない。

「わたし、どう見えるかしら」とクララが言った。まるで、わたしを張り倒してくれないかしらと言ったように聞こえた。 (「クララ」より)


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Roberto Bolano Llamadas Telefonicas, 1997.