ボヘミアの海岸線 - 海外文学の感想

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

最低な世界は最低だ|『野蛮なアリスさん』ファン・ジョンウン

まだ落ちてて、今も落ちてるのだ。すごく暗くて長い穴の中を落ちながら、アリス少年が思うんだ、ぼくずいぶん前にうさぎ一匹追っかけて穴に落ちたんだけど……そんなに落ちても底に着かないな……ぼく、ただ落ちている…落ちて、落ちて、落ちて……ずっと、ずっと……もううさぎも見えないのにずっと……って考えながら落ちていくんだ。

−−ファン・ジョンウン 『野蛮なアリスさん』 

落下し続ける

 ハン・ガン『菜食主義者』が野蛮な世界を拒否し続けて沈黙する人の物語なら、ファン・ジョンウン『野蛮なアリスさん』は野蛮な世界を生きつつ「野蛮だ!」と絶叫する人の物語だ。

少年たちは生きながら落下する。いつ底に着くのだろうと思いながら、落下し続ける。その声は、消された貧民街コモリからこだまする。

野蛮なアリスさん

野蛮なアリスさん

 

 

語り手の少年アリシアは、韓国ソウルのコモリという町で生まれ育った。コモリは、村の入口に3つの墓が唐突にできていた、という不吉な伝承を持つ町で、下水処理場の悪臭が空気を満たすスラム街だ。コモリのどんづまりで、アリシアと弟、父と母が、3つのコンテナで暮らしている。

アリシアと弟の上には、幾層もの暴力が積み重なっている。

殴りまくってくる「クサレオメコ」化した母の拳、母の暴力をとめず夢想にひたる父の無関心、汚水と糞尿にまみれた劣悪な環境、コモリをつぶして再開発して富裕層向けマンションにしようとする政府の暴力。物理的な暴力、精神的な暴力、装置としての暴力、ボッティチェリとダンテが描いた地獄めいた巨大な暴力の層が、少年たちの背骨にのしかかる。

そんなとき彼女は一滴の雨だれみたいに透明で、単純だ。殴りたくて殴ってるのだ。殴るから殴りたくなり、殴りたくなってもっともっと殴る。がまんできないというより、がまんしたくないだけだ。殴っちゃいけないというきまりを自分の中に積み上げていくのがめんどうくさく、ばかばかしく、あれもこれもイヤなので、殴ることに没頭する。

アリシアは、自分の生活がひどいもので、苦痛に満ちていると知っている。だから、苦痛だと、最低で最悪だと、自分たちの苦痛を無視する世界は糞だと語り続ける。

 

 糞の世界を描く小説はあまたあるが、これほど率直に、糞を糞だと言い切る小説はめずらしい。アリシアの言葉は率直で、まっすぐに突き刺さってくる。

膨張して膨張して、星と星の間隔が途方もなく広がってしまった銀河の中で、アリシアは点の一個にもならないはずだ。ほこりの一個にも及ばないアリシアの苦痛なんて、何ものでもないはずだ。

そんな銀河はクソだ。

アリシアの苦痛が何ものでもない銀河なんて、アリシアにとって何ものでもない。

そんなことは何でもないと言うものがいたらサイテーだ。

もしも銀河が現れてそう言ったら、サイテーにサイアクな銀河だ。

そう、人の痛みに「なんでもない」ものなどない。だが世の中には、「もっとつらい人がいるからましなほうだ」と相対比較して矮小化させたり、「自分はこれぐらいのことなどなんでもなかった」と生存バイアスを振りかざしたり、「心が弱い」「甘えている」と自己責任にしたり、「そんな野蛮な言葉遣いはどうか」と論点をすり替えたりする、銀河ピープルがすぐに殴りかかってくる。そんな銀河にアリシアは「サイテーでサイアクだ」と言い返すから力強い。

だが、言葉にするだけでは、状況は変わってはくれない。時間もあまりない。あまりにもひどい状況にいると、人は怒りを溜めに溜めて、やがて鬼になっていくからだ。この恐ろしい構造、切羽詰まった構造を、ジョンウンは描き出す。

怒りという鬼がいちど生まれてしまった空間では、鬼から逃げるか、鬼を見ないふりをするか、鬼になるか、鬼につぶされるかしかない。鬼は世代を越えて生き延びる。おそらく誰もクサレオメコにはなりたくはないし、つぶされたくもない。でも鬼がそれを許さない。

クサレオメコがアリシアの弟を殴るとき、アリシアはアリシアの体にしみついたクサレオメコをすべて動員してウォリアーになる。クサレオメコウォリアーは、突進する。突進につぐ突進。  

アリシアたちとともに落下し続ける読書は、たいへんに憂鬱で息がつまるが、アリシアの言葉の率直さにほんの少し救われる。人の痛みはどんな規模であれ、「なんでもない」などと言われてはならないし、「そこまでひどくないから」と自分の痛みを過小評価する必要なんてない。

まだ落ちてて、今も落ちてるのだ。すごく暗くて長い穴の中を落ちながら、アリス少年が思うんだ、ぼくずいぶん前にうさぎ一匹追っかけて穴に落ちたんだけど……そんなに落ちても底に着かないな……ぼく、ただ落ちている…落ちて、落ちて、落ちて……ずっと、ずっと……もううさぎも見えないのにずっと……って考えながら落ちていくんだ。いつか底に着くだろう、そろそろ終わるだろうって思うんだけど終わらなくて、終わんないなあーって、一生けんめい考えながら落ちていったんだよ。

……

それからどうなるの?

何が?

アリス野郎はどうなるの。

 

Recommend

コモリと同じく、都市再開発によってつぶされた町に住む人々が登場する。『野蛮なアリスさん』では背景になっていた都市開発の全貌がよりはっきりと描かれ、そのグロテスクぶりにめまいがする。これらの物語の中では、都市開発とその受益者たちがもっとも野蛮でグロテスクだ。

 

糞尿、蝿、どろどろの黒い液体に飲まれる、匂い小説の極北。会話の成立しなさは『野蛮なアリスさん』とは比較にならないほどひどい。

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暴力が生活をなぎ倒すイラクの短編集。アリシアの弟と同じ運命をたどる少年が出てくる。本当につらい。

斧(アチャス)を持ち出す家族と、アチャスを生き延びる少年の物語。10年前、私はこの物語に吹っ飛ばされた。 

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 アリシアの両親はともに毒親である。暴力を振るう側も、暴力を看過する側も、ともに毒である。「毒親(Toxic parents)」という言葉を生み出したスーザン・フォワードが書いた「毒親」の原点。