『恋するアダム』イアン・マキューアン|男と女と機械の三角関係から問う、「人間とはなにか」
…しかし、男や女と機械が完全に一体になった暁には、こういう文学はもはや不必要になります。なぜなら、わたしたちはおたがいを十分すぎるほど理解するようになるからです。…インターネットはそのごく幼稚な前触れにすぎないのです。
ーーイアン・マキューアン『恋するアダム』
「ロボットについて考えることは、人間について考えることだ。両者の差を考えるには、両者について深く知る必要があるからだ」と、あるロボット工学者は言った。
人間の心と揺らぎを緻密に描いてきた技巧派シニカル英国紳士が、人間以外の存在、人工知能とロボットについて語る時、ロボットにはどんな「人間らしさ」と「人間らしくなさ」が与えられるのだろう? 『恋するアダム』を読む前、考えたのはこんなことだった。
ローズ・マコーリー『その他もろもろ』|知能主義ディストピアの愛
「脳みそ! 脳みそ!」ベティはうんざりぎみだ。「ちょっと騒ぎすぎだと思うんだけど。悪くたってかまわないんじゃない?」
もっともな意見であり、チェスター脳務大臣もときに自問しているのではないか。
頭の良し悪しがそんなに問題か?
ーーローズ・マコーリー『その他もろもろ』
幸か不幸か、昨今のディストピア小説ブームはまだまだ好調のようで、古典ディストピアから最新ディストピアまで幅広い小説が、世界的に書店に並んでいる。
『その他もろもろ』は、古典のオルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』やジョージ・オーウェル『1984』より数十年前に書かれた、「忘れられた古典」だ。
『鷲の巣』アンナ・カヴァン|この世界には居場所も役割もない
「いったいどうしちゃったんです? どうしてなにもかもだいなしにしようとするんです? どうしてきのうまでとおなじようにしていてくれないんですか?」
ーーアンナ・カヴァン『鷲の巣』
世界で皆の気分が落ちこんでぴりついている時に、読んだら落ちこむとわかっているカヴァンの小説をなぜ読もうと思ったのか、今となっては定かではない。本棚を整理していた時に、『鷲の巣』表紙の巨大な白い滝と目があったところまでは覚えていて、気がついたら後戻りできないところまで読んでいた。彼女の小説は、人情と正気が皆無の人たちと、巨大で圧倒的なビジョンがそびえたつ異様な世界観で、読み終わるまで抜け出せないところが困る。
続きを読む『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー|愛に満ちた理想の家族という幻影
「度しがたい道徳家なんだなあ、きみは」
――アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』
人間は自分が見たいように世界を見るし、自分が見たいように他者を見る。自分に似たところを見つけたり、自分がなりたい姿を見出せば、他者を好きになるし、自分にあると認めたくないものを他者のうちに見れば、嫌悪して遠ざける。
そうして私たちは自分というフィルター越しに、願望を世界と他者に投影する。そのフィルターが分厚ければ分厚いほど、理想の世界に生きられるが、他者の心からは遠く隔たっていく。
舞台は1930年代イギリス。語り手のジョーン・スカダモアは、自分の生活に満足しているイギリス人女性だ。彼女の人生は完璧である。優しく裕福な夫、独立したすばらしい3人の子供たち、お互いがお互いのことを深く理解しあい、愛し合っている。
ところが、偶然に会った旧友の一言が、彼女の完璧で安定した認識に小さな亀裂を入れる。「あなたの子供は、家をそれほど愛していないのでは?」そんなばかな、これだから不幸な女の妄想は、とジョーンは一笑にふすが、たまたま砂漠しかない異国のレストハウスに足どめされてひとりの時間がたっぷりできたことで、ジョーンは亀裂をのぞき見ながら、自分の人生を思い出していく。
この小説では、舞台はほとんど動かない。しかし、ジョーンの人間関係と過去、つまり彼女の世界すべてが地すべりして変わっていく。
ジョーンは夫や子供との会話を思い出しながら「私は家族に愛されて、よく理解しあっている理想の家族」と正当化しようとするのだが、思惑とは裏腹に、認知の歪みがじわじわと明らかになっていく。
自分中心にものを考えるたちじゃない。自分のことなんて、あまり考えたことがない。
「あなたとわたしって、とてもいい組み合わせだったんですわ」「そうだね。あまり喧嘩もしなかったし」
ジョーンは、フラナリー・オコナーの小説に出てくる「善良な人々」、より正確にいえば「自分が善良だと思っている人」だ。
オコナーは登場人物に内省をぜんぜん期待していないので、恩寵光線といった外部からの力によって目の中の丸太を叩き落す。一方でクリスティーは、登場人物に内省させる。気づきたくないこと、見たくないことをじわじわと明らかにする胃痛心理サスペンスによって、丸太の存在に気づかせる。
「だいたいお母さんには、お父さんのことなんか、何一つ、わかっていないんだよ」「もうたくさんよ、トニー。もちろん、お父さまのことはよくわかっていますとも――あなたたちよりずっとよく」「へえ、そうかなあ。ぼく、ときどきお母さんって、誰のこともぜんぜんわかっちゃいないって気がするんだ」
ジョーンは、部屋にいながらにして北半球から南半球へ移動してしまったかのような、呆然とするしかない、人生を根こそぎにする激震を経験する。
なにひとつ事件は起こっていないのに、人間関係も事実も変わってはいないのに、世界を揺るがせるその手腕は、さすがクリスティーだとうなってしまう。
私たちは、誰もが「自分」という名のフィルターからは逃れられない。人間は他者と心を共有できる仕組みを持っていないから、他者の言動を自分なりに判断して意味づけするしかない。
そういう意味では、誰もが異国の砂漠にひとりぼっちで立っている。
もし砂漠に立っていることに気づいて、それでもひとりはさみしいのなら、他者を他者として認め、心の溝をすこしでも埋めるよう、言葉と態度を尽くすしかない。あるいは、なにも見ないことにして、目を開けながら盲目になるか。
どちらにせよ私たちは、ジョーンの孤独をとおして人類の孤独につきあたる。
嫌悪と苛立ちとさみしさと悲しみがない交ぜになって心にしみこんでくる、とてもさみしい小説だった。
見渡す限り遮るものもない沙漠――けれどもわたしはこれまでずっと、小さな箱のような世界で暮らしてきたのだ。
アガサ・クリスティーの作品レビュー
Related books
村上春樹が「最後のとっておき」として訳したアメリカ南部文学の古典。自分が見たい幻影を相手に見る人類の孤独を、やさしさと切実さでもって暴いていく作品。さびしい小説の傑作だと思っている。
目の中に丸太が入っている人間に、一撃を与えて丸太を叩き落す瞬間を描き続ける。その劇的な一瞬があまりにも劇的なので、思わずなんども見入ってしまう。
激しい妄想世界に生きている、孤独な女が、他者を他者として認識する話。ジョーンほど人に悪影響を与えているだけではないが、精神の箱庭ぶりは似ている気がする。
『アイスランドへの旅』ウィリアム・モリス|聖地巡礼の旅
アイスランドはすばらしい、美しい、そして荘厳なところで、私はそこで、じっさい、とても幸せだったのだ。
ヨーロッパに住んでいた頃、時間を見つけてはヨーロッパの国々を周遊していた。どこの国がよかったか、と聞かれると答えに迷うが(文学、美術、食事、遺跡、いろいろな切り口がある)、最も驚いた国はアイスランドだった。
冬至が近づいた真冬に、オーロラが見たいと思いたち、友人に声をかけてふらりとでかけたら、あまりにも異界めいた光景が続いていて、あぜんとした。今でも、真っ黒い溶岩の岩山、真っ青な流氷の群れ、透きとおる氷が散らばった海岸線、青い鉱石の断面図みたいな氷河を思いだす。エッダとサガのうまれた土地はすさまじかった。
本書は、 「モダンデザインの父」と評されるウィリアム・モリスが、アイスランドを6週間にわたって友人とともに旅行した記録である。モリスは大のエッダ・マニアだったようで、エッダとサガを熟読したうえでアイスランドへ旅をした。
本書ではずっと「これがあの物語の土地か」「これがあの事件の起こった場所か」とエッダとサガにまつわる話をし続けていて、マニアが聖地巡礼する姿そのものである。いつの世もマニアやオタクの行動は変わらない。
モリスのアイスランドへの情熱はなみなみならぬものがある。時は19世紀、飛行機や車などがない時代にヨーロッパの最果てに旅行することは、今よりもずっと難しかった。モリス一行は、アイスランドへは船で行き、アイスランドの荒野を、30頭のロバを連れて野営しながら進んだ。川を渡るだけでも一大事で、何時間もかかる。
しかも、彼らが旅するのは、今のように観光ルートが確立されたアイスランドではなく、溶岩や岩山、川、湿地帯などが続く、溶岩でできた果てしない荒野だ。モリスはなにもない荒野にエッダやサガの物語を重ね合わせて、灰色の湿地帯から物語を読み取ろうとする。荒野で楽しくなれるオタクの情熱はすさまじい。
単調な荒野ばかりが続くので、読み進めることがなかなかつらく心が何度も折れかけたが、モリスのエッダ・マニアぶり、アイスランドの人たちとごはんをおいしそうに食べる姿、友人たちと悪ふざけをする姿がかわいく、予想に反してモリスを愛でる読書となった。いつの時代もどの国でも、愛好家は愛好家だ。
アイスランドの記憶
冬至の日に思い出すのは、アイスランドで過ごした冬のこと。午後1時に日没を迎え、ほとんど夜の中で1週間を過ごした。北欧神話では、夏を挟まずに3回冬が続くと世界の終わりがやってくると信じられていた。巨大な氷の欠片が転がる海岸は異世界だった。 pic.twitter.com/V57dcV0Q3E
— ふくろう (@0wl_man) December 22, 2018
Recommend
エッダを訳した書物。原文は解説がないとだいぶ読みにくいが、古代の詩を味わうにはやはり原文がよい。
いくつかあるエッダとサガをまとめて解説しているため、わかりやすい。
『壊れやすいもの』などの作者である作家ニール・ゲイマンが現代語でわかりやすく北欧神話を語り直した。若者でも読めるように、との心遣いがあるため、とてもわかりやすくてよい。
現代アイスランド漫画。モリスが歩いた荒野と明るい観光地をどちらも楽しめる。
バイキングが跋扈していた戦国北欧マンガ。ここに描かれるフィヨルドの島々がリアルでよい。
『ミステリウム』エリック・マコーマック|奇病で村全滅ミステリのふりをしたなにか
「動機。あなたはほんとうに動機や原因や結果みたいなものを信じているの? 本や劇以外で、未解決の事柄がきちんと片付くと信じているの?」
ーーエリック・マコーマック『ミステリウム』
マコーマックは、物語を組み上げると同時に内側から解体しにかかる作家だと思う。
するすると物語が組み上がっていくように見えて、ずっと足元がひそかに掘り崩されている。やがて足元が崩れて、読者は予想しなかったところへ放り出される。
マコーマックに感染した物語は、王道の物語のふりをした「なにか」になる。
- 作者: エリック・マコーマック,増田まもる
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2011/01/25
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「ミステリー小説」にマコーマックが感染した小説が『ミステリウム』だ。
物語は、いかにもミステリーらしい展開で幕を開ける。
スコットランドを思わせる「北部」の寒村キャリックで、住民がしゃべり続けた果てに死ぬ奇病が発生する。原因はわからない。治すすべはない。致死率100%の未知の病である。
奇病が発生する直前に、不穏な兆候はいくつもあった。「水文学者」なる外部の男マーティン・カークがやってきて、キャリックについて調べ回っていた。よそ者がきてから、町の公共物が破壊される事件が続いて、そして住民たちが死に始める。
死に飲まれつつある閉鎖空間キャリックに、若い新聞記者ジェイムズ・マックスが滞在を許可される。語り手は、死につつある証言者たちにインタビューすることで、疫病と事件の手がかりを追い求める。この疫病の正体はなにか、犯罪の動機はどこにあるのか、なぜキャリックが狙われたのか。
物語にはミステリーらしい要素すべてがそろっている。さびれた炭鉱町、吹きすさぶヒースと荒野、怪しいよそ者、町に伝わる「ミステリウム」の祭り、町に伝わる秘められた歴史、よそ者、唯一の生き残り、死ぬ運命にある証言者たち。すべてが完璧だ。
あとは真実を暴くだけ。しかし、語り手と読者の期待をよそに、住民たちは 「真実を語ることができるのは、君があまりよく知らないときだけだ」と口をそろえて煙に巻く。
「しかし私は北部が好きになった。なかなかうまくいえないのだが、北部のほうが南部よりも複雑なのだ。こちらではなにひとつ単刀直入ではない。人は隠し事をする。ごく些細なことでさえ。しかもその理由ははっきりしないーーひょっとしたら転生の秘密好みにすぎないのかもしれない。北部ではほんとうの謎がさらに謎めいたものになるのだ」
この小説は、謎と、謎に引き寄せられる人間たちのための物語だと思う。
理解できないことや謎を提示されると、人は2つのことを要求する。まず「なぜ」を知りたがる。そして「因果」を見いだしたがる。「なぜ」と「因果」がわかることで、人は興奮して快感を得る。ミステリーや陰謀論はこの「謎の仕組みを理解したい欲求」に応える。
マコーマックは人間の欲求を完璧に理解していて、抜群におもしろい物語と手がかりを提供してくれる。ミステリというメインディッシュだけではなく、脱線話のサイドディッシュもじつに凝っていておもしろい。そうしてじゅうぶんにもてなした後に本性を現す。
マコーマックは確信犯だ。しかし私も共犯だ。マコーマックだとわかっているのに、のこのこと見物にいって、ひきずりこまて爆破されて、満足しながら帰ってくる。書く阿呆に読む阿呆。どちらも途方もなく救いがたく、ゆえに愛するしかない。
Memo:『ミステリウム』世界の地理
『ミステリウム』では具体的な地名が描かれていないが、基本はイギリスの地理に即していると思われる。
- 北部…本書の舞台。ブリテン島における北部にある、スコットランド。著者の出身地。スコットランドは歴史的に南部(イングランド)と戦いながら併合された歴史があり、現在では穏やかな共存をしつつも、独自の政治と文化を持つ。北部の島はゲール語文化が残っている。
- 南部…ブリテン島の南部にある、イングランド。日本人が「英国」と聞いて思い浮かべるのはだいたいイングランドのこと。イングランドの首都はロンドンで、UKの首都でもある。
- 首都…イングランドの首都ロンドンか、スコットランドの首都エディンバラか迷ったが、文脈と町並みの描写から考えるに、エディンバラのほうだと思われる。
- 植民地…おそらくアメリカ。同じ言語だが話し方が異なる描写がある。
エリック・マコーマックの感想
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スコットランドの島を舞台にした小説。灰色の空、ヒース、荒野、陰鬱な空気と陰惨な事件が満ちている。
『ミステリウム』は『悪童日記』三部作の『二人の証拠』『第三の嘘』を思わせる。これが真実だ、と思った後、物語はひっくり返り続ける。
『ミステリウム』も『コスモス』も一種のアンチ・ミステリである。
『競売』も『ミステリウム』と同じように「素人探偵が謎の組織を追うミステリー」プロットだが、ピンチョン界では証拠が足並みをそろえて探偵のもとへ突撃してくる。この「不自然なまでの都合のよさ」はマコーマック界にもある。そんなばかな、を全編にわたって展開し続けるピンチョン界を楽しめる小説。
途中で登場する突飛な「犯罪学」が、思いっきりソシュールのシニフィアンとシニフィエのパロディで笑った。マコーマックお得意の真顔ギャグ。
『パラダイス・モーテル』エリック・マコーマック|タワー・オブ・ホラ話
おかしなことじゃないか? 人が心に秘めて話さないことがそんなにも重要だとは。人が話すことのほとんどすべてがカモフラージュか、ひょっとすると鎧か、さもなければ傷に巻いた包帯にすぎないとは。
――エリック・マコーマック『パラダイス・モーテル』
「ホラ話っぽい事実」と「事実っぽいホラ話」の境界はあいまいで、限りなくホラ話のように見えることが事実だったり、ホラ話のように見えるけれど嘘であることもある。時間が経てば、ホラ話も事実扱いされるし、事実がホラ話扱いされることもあるから、ホラ話と事実を見分けることは、基本的に人類の手に負えない。
さて、小説家は、事実と虚構の境界をぼやかした土壌に作品を組み上げる人たちだが、マコーマックは「極端なホラ話に見える話」をぶちまけて境界を見えなくさせる作家だと思う。
マコーマックの小説では「ありえない」と思うことを誰もがまじめに語っていて、おかしいことがどんどん続く。だからだんだん「そういうものなのか?」と判断力がにぶってくる。
パラダイス・モーテルで、エズラという男性が、祖父の記憶、祖父から聞いた恐るべき話を回想している。
スコットランドのひなびた町から失踪した祖父が、30年ぶりに戻ってきた。祖父は失踪中に船乗りとして世界中を旅していて、ブラジルに滞在中、乗組員から驚くべき話を聞かされたという。
話はこうだ。スコットランドのある島で、マッケンジー一家の妻が失踪した。妻を殺したのは夫の医師で、妻の死体をばらばらにして4人の子供たちの腹を切開して隠した。そんなばかな、と祖父は思う。だが語り手は証拠を見せてくる。
この物語を引き金として「そんなばかな」の嵐が幕を開ける。
エズラはマッケンジーの4人の子供たちがその後、どんな人生を送ったのかを調べようとする。調べ始めてまもなく、ぞくぞくとマッケンジーの子供たちの物語がエズラに向かって突進してくる。なんという都合よさ。それにマッケンジーの子供たちの話はそろって奇想天外でおぞましい。なんという不自然な一貫性。しかしそれでも、語られる物語、登場人物たちがそろいもそろって大真面目に、馬鹿馬鹿しくもグロテスクな逸話をたたみかけてくる。
子供たちの話はどこか干し首めいていて、血がしたたる湿気に満ちているのではなく、乾いている。ぎょっとはするのだが、どこか浮世離れしているせいか、ちらちらと見続けてしまう。しかもよくよく見てみればユーモラスな顔をしていたりするものだから、笑いと親しみすらわいてくる。
登場するエピソードで好きだったのは、<自己喪失者研究所>のマッド・サイエンティスト、目玉がやばい位置についているシャーマン、作家と作家のファン(に見せかけた狂人)の話だ。4人分しかないとわかっていても、もっと話を! と望んでいる自分がいた。
「苦痛の持続が人間にも同じ効果をもたらすとすれば、われわれはとてもうまいごちそうになるだろう」
また、スコットランドクラスタとして特筆したいのが、エズラと祖父が住む町、マッケンジー一族が移り住んだ島が持つ、灰色がかった陰鬱な空気だ。スコットランドの北部諸島は、荒野と灰色の海、灰色の空、ヴァイキングとケルトの民が残した遺跡に満ちている。この荒野から、このような物語がうまれてくるのは似つかわしく思える。
「そんなばかな」を限界まで積み上げて、話が広がりに広がってすっかり手に負えなくなってきたところで、物語は開かれながら折りたたまれていく。虚実の境界がぬるぬると溶けて瓦解していく霧の向こうで、作家が高らかに笑っている幻影を見た。
「それが人生というものだ。小説のふりをしたひと握りの短篇というやつが 」
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スコットランドを舞台にした小説。こちらも荒野と陰惨な事件と陰鬱に満ちていて、スコットランドはこういう物語をうみやすい土壌なのかもしれない。(北欧諸国と似た雰囲気なので、北欧ノワール小説と雰囲気が近いかもしれない)
ウルフの『灯台』もまた、スコットランドの島を舞台にしている。スコットランドは最古の灯台がある灯台の国で、国立美術館には灯台の巨大なランプが展示されていて、よく見にいったものだった。
「 信頼できない語り手」が祖国ゼンブラについて語りまくる注釈もどき小説。「怪物じみた小説もどきをこしらえるつもりはない」とナボコフは書いているが、まさにこれは「怪物じみた小説もどき」そのものなのだ。ナボコフの真顔ギャグが炸裂する本。
ボラーニョの真顔ギャグが炸裂する「信頼できない語り手」小説。「平和の象徴である鳩を鷹狩りで撃ち落としまくるヨーロッパ協会」といったホラ話を真顔で語る。その背後には、隠したい悪の体躯が見え隠れする。
嘘が本当になったり本当が嘘になったりする騙りの魔術でいちばん好きな本。長らく絶版なのでそろそろ復刊してほしい。
『居心地の悪い部屋』岸本佐知子編|日常が揺れて異界になる
Hにつねにつきまとっていた、あの奇妙な無効の感じを、どう言葉にすればわかってもらえるだろう。
――岸本佐知子編『居心地の悪い部屋』
言葉は、未知の世界を切り開いて照らす光であり、既知の世界を異界に揺り戻す闇でもある。『居心地の悪い部屋』は、日常に闇をしたたらせる言葉、日常を異界に突き落とす言葉だけを集めた闇アンソロジーだ。
収録された12の短編どれから読んでも、もれなくそわそわして、背後を振り返りたくなる。編者は腕によりをかけて不安になる物語を集めたらしいから、「いやな後味」「具合が悪くなる」はきっと褒め言葉になるだろう。
収録作品はそれぞれ趣が異なるが、いくつかの共通点がある。
まず、暴力や死が練りこまれている話が多い。これはわかりやすい。身体的な安全が脅かされれば、心的安全が揺らいで不安になる。「ヘベはジャリを殺す」「チャメトラ」「あざ」「父、まばたきもせず」「潜水夫」「やあ!やってるかい!」では、殺人や事故や監禁などの暴力と、その結果としての死が背後にうごめいている。
ジャリのまぶたを縫い合わせてしまうと、ヘベはそこから先どうしていいかわからなくなった。
暴力がなくても、想定外のものや事象に対峙すれば不安になる。「あざ」「どう眠った?」「潜水夫」「ささやき」「オリエンテーション」「喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ」は、日常に想定外の異物がぬるりと入りこむ不安、自分の知っているルールや常識とは異なるものに対峙する不安を描いている。
そして、「理由がまったく分からない」状態を描いた作品たち。「ヘベはジャリを殺す」「父、まばたきもせず」「ケーキ」では奇怪な行動や暴力が描かれているが、彼らがなぜそのような行動をするのかがわからない。だから怖い。
わたしは丸々となりたかった、とても丸々と、なぜならわたしは丸々としていなかったから、だからわたしは何か手だてを、計画をたてようと思った。
「ヘベはジャリを殺す」「チャメトラ」「あざ」「分身」「ケーキ」など、幻影や悪夢めいたヴィジョンを描いた作品も多い。
限りなく自分の見知っているものに近いはずなのに、なにかがずれている。自分が知っている日常とよくわからない「それ」との落差が、不安と恐怖をうむ。
その感情は、部屋の床にあらわれた巨大な亀裂をのぞきこむ時みたいなものだ。隙間から落ちないとわかってるから楽しめるものの、うっかりすると落下しかねないので、摂取時にはお気をつけを。
収録作品
気に入った作品には*。
- 「ヘベはジャリを殺す」ブライアン・エヴンソン***
最初の作品にこれを持ってくるところがすごい。タイトルどおりの話なのだが、親密な友情の話でもある。温かい友情の言葉と暴力は、ふつうなら相容れない。なのに一緒になっている。最後までほんとうに怖い。 - 「チャメトラ」ルイス・アルベルト・ウレア***
幻想の風味が強い作品。最後のシーンがすばらしく映像的でありながら映像化できないもので、まさに悪夢のヴィジョンと呼ぶにふさわしい。 - 「あざ」アンナ・カヴァン*
影のある同級生は、秘密を抱えているらしい。世の中でうごめいている暴力のルールに一瞬だけ触れてしまった恐怖をあざやかなヴィジョンとともに描く。 - 「どう眠った?」ポール・グレノン*
眠りを建築で表現する、奇想系。命が脅かされる不安はないので、本書のなかでは平和に読める。語っている内容は異様だが、マウンティングしあうあたりはものすごくリアルで、その落差がおもしろい。 - 「父、まばたきもせず」ブライアン・エヴンソン*
父がなぜこのような行動をするのか、その心が見えない恐ろしさ。乾いた心が、乾いた大地の描写と重なっていて、フアン・ルルフォのような読後感を与える。 - 「分身」リッキー・デュコーネイ
部屋に分身がいた話。掌編とも言える短さなうえ、奇想といえるほどではなかった。 - 「オリエンテーション」ダニエル・オロズコ**
入社オリエンテーションのテンプレート文章にのせて、いかれた企業の暴露話が続く。まったく仕事の話をしていないので笑った。しかし、オリエンテーションをきっちり受けていないと、この会社ではすぐに命が危なくなりそうだ。 - 「潜水夫」ルイス・ロビンソン**
ずうずうしい潜水夫に頼み事をせざるをえなくなったレストランオーナーの男が、潜水夫につられてどんどん逸脱していく「日常地すべり」系。暴力の衝動がおさえられなくなるあたりがリアル。 - 「やあ!やってるかい!」ジョイス・キャロル・オーツ*
一息でつないでいく文章が奇妙だが、「やあ!やってるかい!」と会う人会う人に声を掛ける男もそうとうにいかれている。しかし、世の中を見てみれば、こういう事件はありそうで、それもまた恐ろしい。 - 「ささやき」レイ・ヴクサヴィッチ**
本書のなかではいちばんの王道ホラー。王道だがやはり怖い。最後の1行で、ぎゃーとなった。 - 「ケーキ」ステイシー・レヴィーン**
ケーキを大量に並べるヴィジョン、パラノイア的な思考が、まったく理解できなくていい。 - 「喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ」ケン・カルファス
えんえんとファールを打ち続ける選手の話など、普通ぽく見えて普通のルールからはかけ離れた野球の話が続く。野球をよく知っている人ならもっと楽しめるのかもしれない。
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暴力、死、不可解なルール、幻視、これらすべてを練りこんだイラク生まれの作家による短編集。脳髄が色とりどりの布とともに飛んでいく圧倒的なヴィジョンは、今も脳裏に残っている。
『居心地の悪い部屋』で唯一、2作品が掲載されている作家の短編集。「へべはジャリを殺す」がすごかったのでこちらも読んでみたい。
収録されている「あざ」のひんやり感を極北までつきつめて、永久凍土に突っ込んだような小説。私は不可解かつ圧倒的な幻視をする小説が好きなのかもしれない。
『蜂工場』イアン・バンクス|荒野と呪術の子供たち
どの人生も象徴をかかえこんでいる。人の行為はどれをとってもひとつの宿命の波紋に属していると、ある程度は言えるだろう。…<蜂工場>はそうした宿命の波紋の一環だ。なぜなら、それは生の一断面であり――むしろそれ以上に――死の一断面だからだ。
――イアン・バンクス『蜂工場』
緻密な呪術世界
子供の頃は、魔法や呪術とともに生きていた。外れたら悪いことが起きるから、白線の上を注意深い綱渡り師のように歩いた。赤信号にとめられずに学校までたどりつくことで命運を占った。行きかう車の黒いナンバープレートは不運の兆しだが、黄色プレート2枚で帳消しにできた。天気は願う力で変わると思っていたし、嫌いな行事で晴れになると、力の弱りを反省して木に登った。
私の幼少期は、人類のプリミティブな時代に重なっていたのだろう。世界は啓示に満ちていたし、互いに秘密の言葉でルールを共有して、世界と自分の臓腑がつながっている感覚があった。『蜂工場』は、こうした「僕が考えた最強の呪術」の極北かもしれない。
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『ボルヘスのイギリス文学講義』ボルヘス |円環翁が愛する英文学
作品のなかに幻想性だけを見ようとする人は、この世界の本質に対する無知をさらけだしている。世界はいつも幻想的だから。<BR>――ボルヘス『ボルヘスのイギリス文学講義』
ボルヘスが愛する英文学
周りを見ている限り、ボルヘスとの付き合い方は4つある。なにがおもしろいんだと放り出すか、10年ごとに読みかえすか、「ボルヘスを殺せ」と叫ぶか、「○○(任意の地名をいれる)のボルヘス」を量産するか。私は10年参りをするタイプの読者で、今回ひさしぶりにボルヘスの円環に戻ってきた。
『トールキンのベーオウルフ物語』J.R.R.トールキン|英雄の悲哀と孤独
わたしは心を決めました。貴国の方々の切なる願いを完全に成し遂げてみせよう、さもなければ、敵の手にしかとつかまれ、殺されようともかまわないと。騎士にふさわしき勲功を上げるか、この蜜酒の広間がわたしの最期の日を待ち受けるかどちらかなのです!
――J.R.R.トールキン『トールキンのベーオウルフ物語』
英雄の悲哀と孤独
年の暮れ、丸焼きの鶏をヴァイキングのように食べていた時に、古英語の話が出た。
古英語といえば英文学最古の英雄叙事詩『ベーオウルフ』である。数年前に岩波版で挫折して以来しばらく忘れていたが、調べてみたら『指輪物語』の作者トールキンによる注釈版が出版されていた。ファンタジーの大御所がファンタジーの源流を解説してくれるとはありがたい。
『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ
「しかし、霧はすべての記憶を覆い隠します。よい記憶だけでなく、悪い記憶もです。そうではありませんか、ご婦人」
「悪い記憶も取り戻します。仮に、それで泣いたり、怒りで身が震えたりしてもです。人生を分かち合うとはそういうことではないでしょうか」
カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』
埋められた記憶
人間はなぜこうも傷つきやすい生き物なのだろうか。生物としてはもはや非合理といえるほどあっけなく、われわれ人類はささいなことで傷つき、痛みを抱えて苦悶する。
一方で、人間はなぜこうも忘れやすい生き物なのだろうか、とも考える。あの日の燃える喜びも空の青さを呪う激痛も、そのままに抱え続けられる人は多くない。しかしだからこそ人間は、傷つきやすいというこの致命的な長所を抱えながらも生き延びられたのだ、とも思う。
忘却は喪失でもあり、恩寵でもある。
- 作者: カズオイシグロ,Kazuo Ishiguro,土屋政雄
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2015/05/01
- メディア: 単行本
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『カンタベリー物語』ジェフリー・チョーサー
「この盗っ人やろう、わたしを殺しやがったな。わたしの地所をとろうと思ったんだろう。でも死ぬ前に、おまえと接吻したいものだ」——ジェフリー・チョーサー『カンタベリー物語』
中世英国バラエティ番組
いつの時代どの土地であっても、ゆかいな物語は人々の心を引き寄せるもの、そして見知らぬ人どうしの心をかよわせる潤滑油となる。
時は中世イングランド、カンタベリー大聖堂へお参りする30人の巡礼者たちが、旅の退屈をまぎらわせるためにそれぞれ自分が知る中でもっともゆかいな話を披露する。おもしろい話をした人にはごちそうを、つまらない話をした人は全員の旅費を負担するーー中世イングランド版バラエティ番組とでもいったところだ。
- 作者: チョーサー,金子賢治
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 1973/01
- メディア: 文庫
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