『最初の悪い男』ミランダ・ジュライ|自己防衛の孤独から抜け出して、他者へ
効果は、一応はあった。ただし"アブラカタブラ"と唱えたらウサギが消えました、じゃん! というような効き方ではなかった。"アブラカタブラ"を何十億回、何万年もかかって唱えつづけているうちにウサギが老衰で死に、それでもまだ唱えつづけているうちにウサギは腐って分解されて土に還りました、じゃん! という感じだった。
ーーミランダ・ジュライ『最初の悪い男』
人恋しさとさびしさを埋めるには他者の助けがいるが、他者は自分とは違う人間であり、望むとおりに愛してそばにいてくれるとは限らない。期待して心をあずければ、望みが叶わなかった時の痛みは激しいものになる。
他者と真剣に関われば、激しい喜びと激しい痛みが制御不能でやってくる。関わらなければ、傷つくリスクを抑えられる。さて、どちらを選ぼうか?
『パリに終わりはこない』エンリーケ・ビラ=マタス|自意識・イン・パリ
<<私くらいの年齢になれば、何とかして外見だけでもヘミングウェイに似ているとまわりの人に認めてもらいたくなりますよ>>
ーーエンリーケビラ=マタス『パリに終わりはこない』
自意識・イン・パリ
私たち人類は、「褒められたい」「認められたい」と願う生き物で、得意なことや好きなこと、執着することで欲求を満たそうとする。たとえば、本や文章が好きな人なら「文章を多くの人に読んでほしい」「文章がうまいと褒められたい」「作家として認められたい」と願うだろう。
ビラ=マタスは、「書くことに執着する者の自意識」をこじあけてくる。
- 作者: エンリーケビラ=マタス,Enrique Vila‐Matas,木村榮一
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2017/08/25
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る
続きを読む
『移動祝祭日』ヘミングウェイ|どこまでもついてくる祝祭
「もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ」
ーーアーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』
どこまでもついてくる祝祭
世の中には2種類の人間がいる。パリにどうしようもなく惹かれる人間と、そうでない人間だ。私は後者だが、周りにはだいたいいつも数人の「パリ人間」たちがいた。彼らはパリに足を踏み入れる前からパリを第二の故郷と見なし、パリを何度も訪れ、フランス語を学び、フランス語を使う仕事をして、何人かはパリに移住した。
本書を読んで、ヘミングウェイも「パリ人間」であり、彼らにとってパリは“A Mobable Feast”ーーどこまでもついてくる祝祭、移動祝祭日であることを知った。パリでワインを飲み、散歩をし、交流をして、「パリに帰りたい」と語る友人たちとヘミングウェイの言動がそっくりなものだから。
- 作者: アーネストヘミングウェイ,Ernest Hemingway,高見浩
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/01/28
- メディア: 文庫
- 購入: 6人 クリック: 27回
- この商品を含むブログ (51件) を見る
続きを読む
『ボリバル侯爵』レオ・ペルッツ|予告された自滅の記録
「…あの謎めいた意思をなんと呼べばいいんだ。俺たちすべてをこれほどまでに弄び、惨めにしているあれを。運命か、偶然か、それとも星辰の永遠の法則か?」
予告された自滅の記録
戦いにおいて最も効率がよい勝利方法は「敵が自滅する」ことだ。古今東西の軍隊が、情報操作、対立構造、不信や恐怖の蔓延など、「自滅させる方法」を編み出してきた。
しかし、『ボリバル侯爵』に登場するナポレオン軍ナッサウ連隊は、「自滅させられた」のではなく、自分たちの手で自分たちを壊滅させた。自分たちにしかけられる作戦内容を完璧に把握していたにもかかわらずだ。
「ナッサウ連隊の壊滅は、自軍の将校たちが明確に意識して、ほとんど計画的にもたらしたものである」と本書の序文には書いてある。
明確に意識して、ほとんど計画的に自滅する?いったいなぜそんな馬鹿なことが?
『ノートル=ダム・ド・パリ』ユゴー|激情うごめく失恋デスマッチ
…こうなるともう、ノートル=ダム大聖堂の鐘でもなければ、カジモドでもない。夢か、つむじ風か、嵐だ。音にまたがっためまいだ。…こんな並外れた人間がいたおかげで、大聖堂全体には、なにか生の息吹みたいなものが漂っていた。
この鐘の音こそ、彼がきくことのできるただ一つの言葉だったし、宇宙の沈黙を破ってくれるただ一つの音だった。
古い友人が結婚してパリに移り住んだので、祝いにパリを訪れた。祝いの硝子と製氷機(ヨーロッパの製氷機は使い物にならないらしい)とともに、ユゴーの『ノートルダム=ド・パリ』を鞄に放りこんだ。
文庫化して手に取りやすくなってNHK『100分de名著』で紹介されたにもかかわらず、いまだ「みんな知ってるけど読む人はあまりいない」本書は、正気ではなかなか読む気にならず、異国で過ごす非日常で読むぐらいがちょうどいいと思ったからだった。このもくろみは当たっていて、私はパリでおおいに驚き、頭を抱え、怒りと呆れでパリ血糖値が上がり、結末で叫び、愛と呼ぶにはあまりにも醜悪で激烈な感情のヘドロに飲まれることになった。
続きを読む
「海外文学・世界文学ベスト100冊」は、どの1冊から読み始めればいいか
#2019年、編集済み。
「海外文学の名作100冊」を分類する
世界文学・海外文学は広大な海あるいは原野のようだ。それゆえ、初心者にとって地図がとても見づらい。「面白い」「古典」「話題になっている」という定性的な物差しはたくさんあるけれど、それだけで歩くにはあまりにタイトルの数が多すぎる。さらに「面白い」の基準は人それぞれなので、リストは無数にある。ほんのり海外文学に興味はあるけれど、どの羅針盤を使えばいいのかわからない人が「とりあえず海外文学ベストならまちがいないのでは」とベスト荒野に向かい、アチャス&エペペする姿を何度も目撃してきた。
というわけで、ノルウェー・ブック・クラブが2002年に公表した”Top 100 Books of All Time”「世界最高の文学100冊」を「値段」「ページ数(読了までの長さ)」「入手可能さ」という定量的な指標で分類してみた。本リストを選んだのは、おそらく日本で最もブックマークがついている海外文学ベスト100のリストだからだ。わたしの好みど真ん中のものもあれば、外れているものもある(わたしの個人ベストはこちら)。
ノルウェー・ブック・クラブ「世界最高の小説100冊」:世界54カ国の著名な作家100人の投票によって選ばれた。
お金がないけれど時間がある学生は「値段」を見ればいいし、ふだん本をあまり読まないのでいきなり長いものはつらいという人は「かかる時間」を基準にして選べばいい。宵越しの金は持たないからとにかく面白いものを、という快楽主義者は私の独断による一言を眺めつつ題名の格好よさで選んでみてもいいだろう。
ようは、その時の気分にあった本を鼻歌でも歌いながら選べばいい。必要なのは、多様な指標とそれに沿った分類、選択肢を増やすことだ。
表記の基準
- 出身国:言語 |値段 | ページ数 | 入手可能さ | 翻訳の年代|
書籍データはAmazon.co.jpのカタログに準拠。複数社から翻訳が出ているものについては、総合評価が最も高いものを選んでいるが、ものによっては次点を採用した(理由については各コメント参照)。
『メダリオン』ゾフィア・ナウコフスカ|人間が人間にこの運命を用意した
さまざまなところから死亡の知らせが届く。…人びとはあらゆる方法で死んでいく、ありとあらゆるやりかたで、どんなことも口実にして。もう誰も生きていないし、しがみつくもの、守り通すものはないように思えた。死はそれほどに偏在していた。−−ゾフィア・ナウコフスカ『メダリオン』
人間が人間にこの運命を用意した
小中学生だった頃の記憶はおぼろげになりつつあるが、母が第2次世界大戦のドキュメンタリーをよく見ていたことはよく覚えている。夕食の後に「パリは燃えているか」が流れると、子供たちはテレビの前に集まった。
絶滅強制収容所のことを知るほど、当時のわたしは驚きとまどった。人間はこんなことができてしまうのか? ここまで人を殺せる感情ってなんだ? わたしにもそういう一面があるのか? この混乱と問いは続き、「人間の心を奥底までのぞきたい」探究心の源流となった。本書『メダリオン』は、あの時の混乱を思い出させる。
続きを読む
『侍女の物語』マーガレット・アトウッド|「男の所有物」となった女の孤独な戦い
わたしたちは二本の脚を持った子宮にすぎない。聖なる器。歩く聖杯。
−−マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
2017年、Huluがディストピア小説『侍女の物語』をドラマ化して人気を博しているという。トランプ政権になって『1984年』とともに『侍女の物語』が平積み現象が起きてからすぐドラマ化されたことになる。
「映像化したら迫力があるだろう」と思っていたから、さっそくトレーラーを見てみた。壁に揺れる絞首の縄、義務をひたすら説く監視役の老女、胃がぎりぎりするような不安と閉塞感、なにより侍女たちが着る服の一面の「赤」が鮮烈でえぐい。 彼女たちがまとう赤は女の色、血の色、妊娠の徴の色、怒りの色、警告の色であり、彼女たちの姿を見るごとに心が落ち着かなくなる。
- 作者: マーガレットアトウッド,Margaret Atwood,斎藤英治
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2001/10/24
- メディア: 文庫
- クリック: 51回
- この商品を含むブログ (41件) を見る
続きを読む
『密林の語り部』バルガス=リョサ|物語の力、語りの力
<<私たちと違って、語り部のいない人々の生活は、どんなにみすぼらしいものだろう>>
物語は救う
炎天下の7月末、室内で1日中ただ座っているべし、連絡を待て、ただ待て、という業務命令を受けたので、リョサリョサ『密林の語り部』を読むことにした。
カバー絵のアンリ・ルソーは私が愛する画家のひとりで、彼はいちども南国やジャングルに足を踏み入れたことがないまま、パリの植物園の写生と雑誌と想像力だけで、どこかにありそうでない密林の世界を描いた。リョサの小説はルソー絵画に似ているかもしれない。彼もまた、どこか明るくロマンティックな密林を描くように思える。
『パラダイス』トニ・モリスン|楽園で育つ殺意
彼を怒らせたのは、この街、これらの住民たちの何だろう? 彼らが他の共同体とちがうのは、二つの点だけだ。美しさと孤立。
−−トニ・モリスン『パラダイス』
楽園で育つ殺意
自分がいる共同体に不満を抱く人間、なじめない人間がとりうる選択肢は3つある。
共同体の中で、自分が生きやすいように変化をうながす。共同体を出て、別の共同体に所属する。共同体を出て、新しく自分たちのための共同体を作る。
個人の場合は「共同体を出て別の共同体に所属する」がいちばん楽だが(転職などはまさにそうだ)、ある規模の集団になると、最初か最後の選択肢を選ぶことが多いように思える。
『パラダイス』の登場人物たちは、最後の選択肢を選んだ人たちだ。彼らは黒人で、白人が優位に立つアメリカの町を離れて、自分たちだけの楽園を作ろうとした。
黒人による黒人のための町。皆が幸せで争いがなく、平等で平和なパラダイス。
パラダイスはパラダイスでなければならない。だから異端者は排除しなくてはならない。
パラダイス (ハヤカワepi文庫) (トニ・モリスン・セレクション)
- 作者: トニモリスン,toni morrison,大社淑子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/06/30
- メディア: 文庫
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
続きを読む
『大いなる不満』セス・フリード|人間は不合理
それがゆえに、諸君のような若き科学者の多くは、ドーソンの研究に人生を捧げるようになっていく。その主題を扱う長く感傷的な博士論文によって大学図書館はどこも溢れかえらんばかりになっており、多くの論文は取り乱したラブレターのように書かれる傾向にある。
−−セス・フリード『微小生物集-若き科学者のための新種生物案内』
人間は不合理
21世紀になってからというもの、ますます人類は「われわれは不合理で非合理な生き物である」というアイデンティティを強めているように思える。
行動心理学や未来予測などの研究をすればするほど「人間ってぜんぜん合理的じゃないよね」という結果が出てくるし、アメリカはリーマン・ショックやトランプ政権など不合理不条理冗談のような世界をリアルタイムで経験している。
だから、セス・フリードのような若手アメリカ人作家が、ばかばかしいほどの人間の不合理っぷり、それによってもたらされる悲劇を明るく描いているのは、妙な納得を覚える。
続きを読む
『囚人のジレンマ』リチャード・パワーズ|人類全体の世話人
「信じられるか、この世界? 愛するしかないよな」
−−リチャード・パワーズ『囚人のジレンマ』
人類全体の世話人
誰かを信じるには、それなりの時間と勇気を必要とする。それに比べて、不信感を抱くのはもっとずっとお手軽だ。疑いを抱くことも、自分を守るもっともらしい理由を見つけることも、利用することも、裏切ることも、少しの罪悪感を犠牲にするだけで事足りる。
裏切られた人間は、報復のために、別の誰かを犠牲にする。自分は傷つけられたから誰かを傷つけてもいい、その権利がある、利口な人間なら裏切るべきだ、と口にしながら。そうして、不信感は世界にあっというまに蔓延していく。
不信感まみれになった世界で、なお「他者を信じよう」「この世界を愛そう」とする人間は、なんと呼ばれるだろうか?
お人好し、理想主義者、ネギをしょったカモ、愚か者、狂人。そして、ホブソン一族の父。
- 作者: リチャードパワーズ,柴田元幸/前山佳朱彦
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2007/05/24
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 63回
- この商品を含むブログ (61件) を見る
『あなたを選んでくれるもの』ミランダ・ジュライ|人間はいやらしい、だが、それでいい
もし自分と似たような人たちとだけ交流すれば、このいやらしさも消えて、また元どおりの気分になれるのだろう。でもそれも何かちがう気がした。結局わたしは、いやらしくたって仕方がないしそれでいいんだ、と思うことに決めた。だってわたしは本当にちょっといやらしいんだから。ただしそう感じるだけではぜんぜん足りないという気もした。他に気づくべきことは山のようにある。−−ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』
人間はいやらしい、だがそれでいい
ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』を読んだ時、この人はなんて自分や他人のいやらしいところ、細かい行動や感情の機微をすくいとるのがうまいんだろう、と驚いた記憶がある。
人間は誰しも自分の汚いところや弱いところ、いやらしいところは見たがらない。語らないか、もっともらしい理由をつけるか、記憶を改竄するか、きれいさっぱり忘れてしまうか。
小説家も例外ではない。小説を読む醍醐味のひとつは、作者がなにを暴きなにを隠そうとしているか、を読み説いていくことだと思っている。その観点でいえば、ミランダ・ジュライは素直な作家だ。みずから「自分はいやらしい」と言ってしまっているのだから。
『ハザール辞典』ミロラド・パヴィチ
ハザール族とは、大昔に世界の舞台から姿を消した古い民族である。その諺のひとつに言うーー霊魂にも骸骨がある、それは思い出でできていると。
ーーミロラド・パヴィチ『ハザール辞典』
幻の王国、奇想、召喚魔法
セルビアの作家ミロラド・パヴィチは、中世に生きていたらまちがいなく錬金術師か魔術師になろうとしていただろう。彼の作品は「召喚魔法」である。実在した幻の国、架空の物語、悪魔、転生する人間たちの物語という点と点とつなぎあわせ、巨大な「世界」を召喚しようとする。
ハザール事典 女性版 (夢の狩人たちの物語) (創元ライブラリ)
- 作者: ミロラド・パヴィチ,工藤幸雄
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2015/11/28
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (4件) を見る
ハザール事典 男性版 (夢の狩人たちの物語) (創元ライブラリ)
- 作者: ミロラド・パヴィチ,工藤幸雄
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2015/11/28
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (4件) を見る
『アメリカ大陸のナチ文学』ロベルト・ボラーニョ|継承されたナチズム
その教訓は明白だ。民主主義の息の根を止めなければならない。なぜナチはあれほど長生きなのか。たとえばヘスだが、自殺しなければ、百歳まで生きただろう。何が彼らをあれほど生きながらえさせるのか。何が彼らを不死に近い存在にしてしまうのか。流された血? 聖書の飛行? 跳躍した意識?
ーーロベルト・ボラーニョ『アメリカ大陸のナチ文学』
繼承されたナチズム
ギリシャのアテネに滞在中、厳戒態勢に遭遇したことがある。町の中央にあるシンタグマ広場に向かおうとしたが何度試しても鉄道が駅を通過してしまう。駅員に理由を尋ねても「Go home. Go home」と地球外生命体のように繰り返すばかりなのでTwitterで検索してみたところ、極右政党「黄金の夜明け」の信望者が対立者と衝突を起こし、爆発事件を起こし、広場が路上も地下鉄も完全封鎖されていることを知った。
「黄金の夜明け」はネオナチ政党とも呼ばれ、強烈なナショナリズムと排他主義を掲げ、経済状態が極めて厳しいギリシャで議席を伸ばしている。
21世紀になっても、ナチ思想は生き延びている。ギリシャでも、アメリカ大陸でも。