海外文学読みにおすすめする西洋絵画
アントニオ・タブッキ『レクイエム』に、登場人物がリスボンの美術館でヒエロニムス・ボッシュ『聖アントニヌスの誘惑』を眺めるシーンがある。はじめて本書を読んだとき、ボッシュも『聖アントニヌスの誘惑』も知らなかったわたしは、これほどまでに登場人物を惹きつけてやまぬ美術とはいかほどのものなのか、想像することも難しかった。
そしてとうとう、本物を見てきた。本物はわたしが想像していたよりずっと小さかったが、取り憑かれたようにみいってしまう平面の魔物だった。なんという脳髄の快楽。そしてわたしは思ったのだった、ヨーロッパの文学を読むなら、それを育んできた大伽藍である西洋絵画のことを知れば、もっと楽しめるのではないかと。
その予感は当たっていて、新しい小説を読んでいるときのように楽しい(わたしにとってこれは最高の褒め言葉である)。この1か月に読んだ本のうち、おもしろかった本を紹介する。
奇想に満ちた聖書とギリシャ神話
「19世紀以前の絵画は見るものではなく、読むものである」との言葉どおり、かつて西洋絵画は宗教や神話のシーンを描くものだった。ルーブル美術館やプラド美術館など、元王家が保有する名作の8割近くが宗教画であることからも、その歴史がわかる。どれも同じ人物と画風で退屈だと思っていたが、それは『ファウスト』『神曲』『ドン・キホーテ』はどれも古くさくて同じだと言うぐらい間違っている。
ギリシャ神話と聖書は、ヨーロッパ文学、そしてヨーロッパ文学から影響を受けた各国文学の土台なので、このふたつを知っているだけで、文学と西洋絵画のおもしろさがずいぶんと変わってくる。
聖人や神話の登場人物はどれもひげのおじさんか裸の美女に見えるが、彼らが持つアトリビュート——その人である目印のようなもの——と物語を知っていれば、ずっとおもしろくなる。ゼウスは王者の武器である雷を携えているし、サロメは言わずと知れた愛しい男、聖ヨハネの首だ。殉教した聖人はなぜか自分を殺した拷問具を持っているので、グロテスクだが妙に笑いを誘う。矢が全身に刺さって虚ろなハリネズミのようになっていれば聖セバスティアヌスだし、目玉を持っていれば目玉をえぐられた聖ルチア、プリンのごとく切られた乳房を盆に載せていれば聖アガタ、釘打ちされた車輪は聖カタリナである。
絵画になる聖人やギリシャ神話は、だいたいびっくりするぐらい派手(半分ぐらいは死に方が派手)で、物語として大変におもしろい。個人的には、煮えたぎる油の釜に放り込まれるも死ぬどころか若返り、へびの毒盃を飲んでも死ななかった聖ゼベダイのヨハネ、斬首された後も首を持って説教しつつ途中でぱったり倒れたパリのディオニュシウス、脱皮した自分の皮を堂々と広げる(皮剥ぎの刑で死んだ)バルトロマイあたりがお気に入り。聖人同士でバトルしてほしい。
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まずは物語として楽しむ。阿刀田さんのシリーズはうってつけだ。『イリアス』『オイディプス』『変身物語』などの本編を読むのももちろん楽しいが、最初にざっと目を通しておいて人物関係を知っておいた方がいいかと思う。なにせ、神話と聖書の登場人物はあまりに膨大だ。
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上記2冊は、人気の高い絵画モチーフとそれにまつわる物語、絵画を読み解く際のアトリビュートについて説明している。ほか、下記のブログもおすすめ。
狂乱のヨーロッパ王家
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ヨーロッパ王家でいちばん興味をそそられるのは、スペイン・ハプスブルグ家の「青い血」である。近親婚を繰り返した結果、普通は裾広がりになる家系図がどんどんと先細りし、ついに消失するさまは、狂っているの一言に尽きる。
スペイン王家の肖像画は、血の病をありありと描いていて、眩暈がする。ハプスブルグのでっぱった顎にくわえ、世代を経るごとに亡霊のようになっていく姿がすさまじい。この暗い情念と血がくすぶるスペイン王家の雰囲気は、スペイン文学や南米文学につうじるものがある。
もともとスペイン文学や南米文学が好きで、かつガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』やウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』、中上健次『枯木灘』などの血の因縁ものが好きなためか、王家の狂った物語と歴史のきしみはすばらしく楽しい。
スペイン・ハプスブルグ家系図*3
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魔術の帝国―ルドルフ二世とその世界〈下〉 (ちくま学芸文庫)
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一方、魔術都市プラハの狂王、ハプスブルグ家のルドルフ2世をはじめとした、ハプスブルグ家の因縁も楽しい。レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』やカフカ、グスタフ・マイリンク『ゴーレム』などは、かつての魔術都市プラハから強烈な影響を受けている。東欧文学や幻想文学好きなら、神聖ローマ帝国やハプスブルグ本家ものを読むと楽しい。
読みたい
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ようやく基本的なことを知りはじめたところなので、もっといろいろ読んでみたい。中世騎士団や秘密結社などのエーコ方面も興味があるし、時間がいくらあっても足りぬ。