『オリクスとクレイク』マーガレット・アトウッド|人類の絶滅神話を語る、世界最後の男
“エクスティンクタソン(絶滅マラソン)。モニターはマッドアダム。アダムは生ける動物に名前をつけた。マッドアダムは死んだ動物に名前をつける。プレーしますか?”
――マーガレット・アトウッド『オリクスとクレイク』
人類の絶滅神話を語る、世界最後の男
罪深い人類が絶滅した世界はエデンだろうか? それとも地獄だろうか?
装丁に使われているボッシュの絵画「快楽の園」には、左に「エデンの園」、中央に「エデンから追放された者たちが性的快楽を求める現世」、右に「地獄」が描かれている。
胃痛エンタメの大御所、マーガレット・アトウッドは、このすべてをとてつもなくえぐい形で「マッドアダム三部作」に書きこんだ。
- 作者: マーガレット・アトウッド,Margaret Atwood,畔柳和代
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/12/17
- メディア: 単行本
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本書は、マッドアダム三部作(『オリクスとクレイク』『洪水の年』『マッドアダム』)の第一作である。『侍女の物語』で女性にとってのディストピアを描いたアトウッドは、人類すべてにとってのディストピアをうみだした。
語り手の名前はスノーマン。人類が滅亡した後の世界でひとり生き残った旧人類だ。だが、厳密にはひとりではない。スノーマンの他に、人間の原罪をすべて取り払ったような「理想の人類」がいる。彼らは怒りや嫉妬がなく、草食で食べ物に困らず、歌が好きでいつも楽しげに笑っている。
スノーマンは身体能力で劣っているし死にそうだが、理想の人類たちに敬われている。なぜならスノーマンは物知りで「世界の成り立ち」「新人類を作った人たち=神」を知っているからだ。
そうして「人類絶滅」の神話がつむがれる。いったいなぜ人類は絶滅したのか。なぜ新人類がうまれたのか。なぜスノーマンが生き残ったのか。
スノーマンがかつてジミーという名前の青年で人類がまだ生きていた頃のこと、オリクスとクレイクのことが明らかになっていく。
終末前の世界は、特権階級と平民に分断された階級社会だった。特権階級とは、国を支配する医療系の巨大企業コープセコーと理系の研究者たちである。
コープセコーは資本主義の邪悪を煮詰めたような企業で、じつにまがまがしい。人類はコープセコーが儲けるために存在する。人間は階級にわけられて値つけされ、それぞれの形でコープセコーの利益となり、やがて途方もない悪行が明らかになる。もはやブラック企業とかそういう次元ではない。悪、これは資本主義を突き詰めた悪だ。
つまりこれが自分の今後の人生だ。招待されたが、実際にはたどり着かない番地で開かれているパーティのように思われた。自分の人生において、誰かは楽しんでいるのだろう。ただし、この瞬間その人物は自分ではなかった。
このディストピア世界は、私たちが生きる世界とは違っているが、まったく違うわけではない。むしろあらゆるところに既視感を覚えて愕然とさせられる。
そう、アトウッドが描くディストピアはいつでも現実の延長線上にある。
『侍女の物語』にまつわるインタビューで「私が想像したものはひとつもない」と答えているように、アトウッドは現実の権力情勢、経済、社会、宗教、科学技術を組み合わせ、「現実と地続きになった想像力」で世界を組み上げる。現代の資本主義を突き詰めて倫理のタガが外されたら、きっとコープセコーみたいになるだろう。登場人物たちも、誰もが「実在しそうな人たち」だから、たいへん心をえぐられる。
生きづらさ最高潮の世界にうんざりさせられているところに、ぬるりと不穏がすべりこんでくる。不穏は後半になるにつれて増幅し、そしてあの時がやってくる。
ポスト・アポカリプスものは すでに世の中にたくさんあるが、人類が絶滅した経緯を「神話」として語り継ぐ人がいるところが特徴だと思う。
「マッドアダム三部作」は、聖書を強烈に意識している作品だ。シリーズ名が「マッドアダム」と最初の人類の名前をもじっているし、続編『洪水の年』では、キリスト教の説話と単語をもちいて世界の滅亡が語られる。そして、聖書でもなんどか人類が絶滅していることを思い出す。
3作目『マッドアダム』を読んでいる途中ではあるが、「マッドアダム三部作」はよくある終末系エンターテインメントには収まらない作品だと期待している(もちろんエンターテインメントとしてもおもしろい)。なぜならアトウッドだからだ。アトウッドの世界構築、細部の作りこみ、胃痛エンタメ展開に、私は信頼を寄せている。多くの人が語ってきた人類滅亡を、アトウッドがどう描くのかが楽しみだ。
何かの一線が越えられ、何かの範囲が越えられてしまったという気持ちにどうしてなるのだろう? どこまでやったらやりすぎで、どこまで行ったら行きすぎか?
マッドアダム三部作、第2作め
マーガレット・アトウッドの著作レビュー
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日本で有名な終末フィクションといえば『20世紀少年』だろう。20世紀少年では国を牛耳るのは政党である。ナチスやオウム真理教をモチーフにしていたからだと思われるが、「マッドアダム三部作」では巨大企業が権力をにぎっているため、より現代に近いと思う。
人類が絶滅するまであと少しのアメリカ・ロード小説。おぞましい暴力と純粋な子供のコントラストが極北すぎて脳の混乱が起きる、すさまじい小説。
マッドアダム三部作をじゅうぶんに楽しみたいなら、聖書の知識が必要だ。聖書は確かに楽しいのだが、とにかくいろいろな説話が多いので、あまりなじみがない人は、聖書そのものに手を出す前に、概要を知ることをおすすめしたい。