ボヘミアの海岸線

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『共食いの島』ニコラ・ヴェルト|生産的でない人を共食いさせた国家

いや、ちがう、同志、われわれはうまくやらねばならないとしても、春までには連中全部がくたばるように行動する必要がある。なにか着せるにしても、死ぬ前に少しばかり森の伐採をさせるのに間に合えば十分だ。

――ニコラ・ヴェルト『共食いの島』

 

生産的でない人を共食いさせた国家

1930年代、スターリン時代ソビエトが主導した「移住計画」の記録である。「移住計画」と聞くとそれほど残虐に聞こえないかもしれないが、20世紀初頭の「移住計画」とは「いらない人間を辺境の地に追いやって、自分たちの世界からなかったことにする」ことだった。ナチスもユダヤ人大量虐殺システムを構築する前は、ユダヤ人をすべてマダガスカル島に移住させる計画をつくっていたことからも、「移住計画」の性質を推し量れる。

ソビエトはナチスよりも先んじて、「移住計画」という名の虐殺を実行した。ナチスは「整然とした虐殺システム」を構築したが、ソビエトのそれは「混沌とした虐殺システム」だった。

共食いの島

共食いの島

 

 

「共食いの島」ことナジノ島は、西シベリアを流れる川の中央にある、小さな無人島だ。川沿いは少数民族がわずかに暮らすだけの僻地で、人が住む土地も食料も施設もなにもない。このなんの変哲もない小さな島が、のちにナジノ島事件と呼ばれる惨劇の舞台となる。

1933年、ナジノ島に6000人以上ものロシア人が着の身着のままで送られてきた。

孤島に取り残された6000人は、やがて互いに殺し合い、食人*1にまで発展した。

6000人が反社会分子だったから、このような残虐な事件が起きたのか? いいや。この惨劇は、無計画と無関心によってうまれた。本書は、膨大な資料の調査で、惨劇の背景を浮かび上がらせる。

 

移住計画にはいちおう「反社会分子を移住により再教育して生産活動ができるようにさせる」との建前があった。政府主導の移住計画だから、食料や設備投資などの予算もついていた。

しかし、権力者にとって魅力的ではない予算は削られる運命にある。予想外の出費、計画の遅れ、生産量の激減などにより、最終的に予算は20%にまで削られた。当然、シベリア側に、受け入れの準備などできなかった。

さらに、移送されてきた人たちの多くは、建前とは異なり「まったく労働に不的確な老人、身障者、知的障害者、盲人」ばかりだったという。生産活動をしようにも、しようがなかった。だが、人はどんどん移送される。食料はない。だが、上層部の計画は死守しなければならない。その結果が、無人島での惨劇だった。

同志自身、連中がどんなふうにここに送られてきたかを見ただろう。河岸に降ろされたとき連中はぼろをまとって裸同然だった。もし国家が再教育する気だったら、われわれの助けを借りずにちゃんと着るものを着せたはずだ!

 

恐ろしいのは、中央の計画が、まったく現実的でない無能なものだったにもかかわらず、実行されてしまったことだ。計画そのものが破綻しているのに、「計画は実行されなければならない」「見直す余裕はない」とツケが地方局に押しつけられ、シベリア地方局はツケを「お荷物」だった移送者たちに回して、自滅させることで解決した。人の命よりも、上層部の無計画を実行することのほうが大事だった。

人が自主性を放棄して無関心な歯車になる仕組みも恐ろしい。強力な権力構造は「命令されているだけだから」「自分がやりたいわけじゃないから」と、システムに組みこまれた人の感覚を麻痺させて無関心にさせる。ナチスも、この構造を利用した。

さらに、政府にとって「使えない人間」が移住対象者だったことも、うんざりさせられる。「生産的でない人間はいらないから、ゴミ箱に放り込めばいい」と中央政府は考えていた。国民を「ゴミ」、地方を「ゴミ箱」扱いするあたりが心底おぞましい。

 

権力者の破綻した計画、自主性を放棄して無関心にさせるシステム、権力者にとって使えない人間、この3つがそろった時、システマティックな虐殺がうまれる

この構造はナチスでも見られたし、現代社会でも無縁ではない。権力者にとって「生産的な人」「生産的でない人」という分類は、今でもいやというほど目にする。

そういう意味で本書は、現代でもまったく色あせない記録だ。もちろん、歴史的な記録としても重要である。ソビエトにとって「移住計画」は重要な政策だったが、大量の飢餓とナジノ島事件が起こってからは、移住計画は縮小して、ソルジェニーツィンが描いた「強制収容所」へとうつっていく。

 

強制移住で数百万人が行方不明になり、ウクライナでは人工的な飢饉で数百万人が餓死し、強制収容所の劣悪な環境でも大量の人が死んでいった。

ナジノ島の向こうに見えるのは、20世紀に開花して21世紀に受け継がれた、途方もない邪悪である。

いや、ちがう、同志、われわれはうまくやらねばならないとしても、春までには連中全部がくたばるように行動する必要がある。なにか着せるにしても、死ぬ前に少しばかり森の伐採をさせるのに間に合えば十分だ。

 「お前らが人民を飢えさせている。だから俺たちはおたがいを食い合っているんだ!」

 

Recommend

日本軍による強制労働によって死んでいった捕虜たちの物語。Death railwayと悪名高い泰緬鉄道の建設は、多くの捕虜の命をすりつぶすことで実現された。95%の闇と5%の鮮烈な光でできた小説。

 

もはやブラック企業とかいう次元ではない、極悪企業に支配された世界のディストピア物語。資本主義の邪悪を極めたらこんな風になるだろう。邪悪はとどまることを知らず、ついには人類も滅亡する。Huluで人気を誇った『侍女の物語』の作者による、じつに現代的で胃が痛くなる小説。

 

チリの独裁者ピノチェトもまた、国民を「失踪」させるジェノサイドを実行した。ピノチェトのおぞましさは、ピノチェト本人もさることながら、アメリカやイギリスをはじめとした西洋諸国が「見て見ぬ」ふりをしたことだ。なぜなら「反共産主義」の同胞だったからだ。強国のイデオロギーと経済的な儲けがあれば、虐殺も見なかったことにされる事例。これもまた、違う形の邪悪だ。

 

ナチスの残虐を描いた書籍はたくさんあるが、中でも『メダリオン』はアウシュビッツ強制収容所があるポーランドで、必ず読まれている小説だ。ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン』で語った「凡庸な悪」を、アーレントより先んじて書いている。毎日人が飛び降りる音を聞いていた、という文章が恐ろしく、頭から離れない。

 

 

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

 

ナジノ島事件と強制移住の後に、シベリアの強制収容所が主流になっていった。囚人の扱いは過酷だが、それでもこの小説にはかすかな希望がある。

悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉

悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉

 

1930年代、スターリンはウクライナを意図的に大飢饉にして、数百万のウクライナ人を殺した。飢餓から逃れてきたウクライナ人が、『共食いの島』にも登場する。

 

*1:報告書には、「習い性となった人肉食い」という意味の「オタニスム」(隔世遺伝+自慰の短縮語)というやばい単語があったという。