キリキリソテーにうってつけの日

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『緑の家』マリオ・バルガス・リョサ

 「密林はたしかに美しい。むこうのことはすっかり忘れてしまったが、あの色だけは今でもはっきりと憶えているよ、ハープを緑色に塗ってあるのは、そのせいなんだよ」——マリオ・バルガス・リョサ『緑の家』

ざわめく密林

 2010年にノーベル文学賞を受賞したバルガス・リョサリョサは本国ペルーではとにかく人気で、本屋には棚一面にリョサの本がずらり並ぶほど。きっとノーベル文学賞受賞時はお祭り騒ぎだっただろう。

 娼家<緑の家>を舞台に時系列が自由自在に入り乱れる物語と聞いていたから、『夜のみだらな鳥』みたいなものだろうかと思っていた。ところが、同じ南米でも、どろどろ冥府系の『夜のみだらな鳥』とは全然違って、『緑の家』はずっと明るくて祝祭的だった。

緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)


 リョサは、奥地の密林、ピウラの町と<緑の家>、密林近くの町サンタ・マリーア・デ・ニエバ、修道院という舞台を作り上げ、そこに合わせて50人以上もの登場人物を配置した。人々は各地で生活を続け、別の土地に住む人と交流し、やがて点と点がつながって線になって全体が浮かび上がるというしかけ。物語の時間軸は断続的で、数行ごとに舞台も時間軸もしょっちゅう入れ替わる。さらに会話がカッコなしで突然始まるものだから、慣れないうちはちょっと大変かもしれない。物語全体を通して見ると30年近い年月が流れているのだが、それは物語後半にならないと分からないようになっている。
 だが、全体としてはすっきりした構成で、変な矛盾や気持ち悪いしこりを残すことなく読了できる(ここが『夜のみだらな鳥』とは大きく違うところ)。とはいえ、同じ名前を持つ人物が2人登場したり、あだ名で呼ばれていた人物がしれっと本名で登場してきたりとややトリッキーな部分があるので、メモは取っておいた方がいいと思う。


 あと書きを読んで知ったのだが、<緑の家>はピウラの町に実在していて、登場人物にもモデルがいるらしい。なるほどと納得した。本書に出てくる人々は妙に「生っぽい」。「あなたは悪魔です」とヒステリックに叫ぶシスターや、娼家を建てるわりには意外と純情なドン・アンセルモ、実は一番のたぬき爺だったのではと思う船頭ニエベス、無法者の日本人フシーア、醜女なのに3人の夫を持ったラリータ、運命に翻弄されるボニファシア、激怒して<緑の家>に放火するガルシーア神父。みんな適度に善良かつ悪辣でなかなか人間くさい。
 彼らがやってることといえば、略奪に強盗、人種差別に密売、強姦に売春、不倫に殺人、放火とか、他の文学作品だったら罪悪とか背徳とかいって大真面目に取り上げられそうなことだらけである。だが、『緑の家』の世界はざわざわ騒々しすぎて、誰も思いつめたりしない。リョサが彼らを肯定しているからだろうか。物語全体が、それこそ歓楽の不夜城のように、不思議な明るさを放っている。


 このざわめき、すべて汚いものも美しいものも飲みこんでしまう密林らしさが、物語の核なのかもしれない。登場人物に好感を持てるかどうか、ばらばらにぶちまけられた物語をつなげていくことを楽しめるかどうかで、本書の印象はずいぶん変わるように思う。

 見落としたところもたくさんあるから、いずれまた読み返してみたい。ちなみに読了時の最初の感想が「ガルシーア神父がツンデレ!」だったのは、ここだけの秘密である。

 セバーリョス先生は何事もよしとする心境になられたようじゃよ」とガルシーア神父が唸る。「歳をとって、この世には何ひとつ悪は存在しないということを発見されたそうじゃからな」
 「そう皮肉っぽい言い方をされると困るが」とセバーリョス医師が笑いながら言う。「まあ、そんなところだね」

Recommend

ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』…チリ。冥府の末路は袋小路。
スティーブ・エリクソン『黒い時計の旅』…2つの20世紀が交錯する。
ジャネット・ウィンターソン『さくらんぼの性は』…時間の欠片をぶちまける。



Jorge Mario Pedro Vargas Llosa La Casa Verde,1966.