ボヘミアの海岸線

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『オスカー・ワオの短くも凄まじい人生』ジュノ・ディアス

 髪を切って、メガネを外して、運動しなさい。エロ本を捨てなさい。あれは最悪よ。ママも嫌がってるし、あんなもの見てたら彼女なんてできない。——ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短くも凄まじい人生』

君はヒーロー

 百貫デブで重度のオタク、年齢=彼女いない歴の非モテ青年は、脱童貞によって救われるのか?

 「南米の独裁政権×北米のオタク文化」という珍妙な組み合わせで、心優しい非モテ青年オスカー・ワオの短い人生を語った小説。異文化を掛け合わせて紹介する方法は、創作科出身の作家によく見られるものだが、さすがにこの組み合わせは見たことがなかった。だが、帯がうたう「圧倒的な新しさ」は言い過ぎだと思う。むしろ、本書は強い既視感を覚える作品だった。日本には、「オタク文化」にまつわる物語はあふれているものだから。

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)


 デブでいじめられっ子、おどおどしたしゃべり方で愛するSFやゲームの話題をえんえんしゃべりまくるオスカーは、女性に話しかけるセリフが「もし一緒にゲームに参加してくれたらカリスマポイントを18あげるんだけど!」と、なかなかの重症ぶりである。なるほど、この行動特性はいわゆるクラシックな日本のオタク像と通じるものがある。

 だけど、すこし違うのは、オスカーがドミニカ共和国というラテンの血を引いた、れっきとした女好きであったことだ。彼は二次元には向かわず、常に三次元の女に片っぱしから惚れまくってはふられ続ける。女をくどけない男なんて男じゃないというマチスモの国において、オスカーは日本よりずっと生きにくかったに違いない(日本は根本的にたおやめぶりの国だと思う)。しかし、そのぶんオスカーには行動力があった。ちゃんと仕事をしているし、女性に話しかける根性だってある。地球の裏側と日本では、同じ「オタク」でも文化背景や傾向が違っていておもしろい。


 そして、トルヒーヨ。ラテンアメリカでも屈指の独裁者ラファエル・トルヒーヨは、30年近くドミニカ共和国を私物化し、奪い、捕らえ、犯し、殺し続けた。オスカーが生まれたのはトルヒーヨが暗殺された後の話だが、オスカーの一族史をふまえながら、トルヒーヨの独裁にまつわる悲劇が語られる。

 なぜ、作者は「一族の年代史」という形をとってまで、トルヒーヨの物語を取りこんだのだろう。本作には、途中でバルガス・リョサが名指しで出てくる。本書のトルヒーヨは『チボの狂宴』でリョサが描いたトルヒーヨへの批判らしいが、オタクの物語でトルヒーヨを語る必要があったのかはよくわからない。独裁もモテないことも「フク=災厄」ではあったが、ふたつの物語はあまりうまく交わり切らなかったように思える。


 「モテないオタクの幸せ」とはなんなのだろう。読んでいる最中、ずっとそんなことを考えていた。好きな女に好かれること、人並みに世間から扱われること、それとも童貞を捨てることだろうか?

 童貞ヒーローたるオスカーにとって、セックスがひとつのゴールであったことは確かだが、みごと脱童貞を果たしたとしてオタク青年は救われるのだろうか。セックスは、男女関係においては通過点に過ぎない。だけどこのオチから先が想像できなかったのも確かで、だからこの本は南米の「マジックリアリズム」ではなく、アメリカの「ヒーローもの」なのだと思った。

 あいかわらず創作学科出自の作品は好みではないし、設定勝ちで押しきった感じは否めないが、オスカーの悲哀だけでも読む価値はある。心優しい、愛すべきオタク青年オスカー。デブだけど、運動嫌いだけど、しゃべる内容は理解できないけれど、君はヒーローだった。

 人生どこで間違ったのだろうと思うのだった。本やSFのせいにしたかったが、彼にはできなかった――それらがあまりに好き過ぎたのだ。

Recommend

バルガス・リョサ『チボの狂宴』…ペルーの作家が描くトルヒーヨ。
ラテンアメリカ文学雑記帳――anexo…杉山晃先生によるジュノ・ディアスの解説。


Junot Diaz The Brief Wondrous Life of Oscar Wao,2007.