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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『砂の都』マルセル・ブリヨン

[砂に埋もれた記憶]
Marcel Brion La Ville de sable,1976.

砂の都

砂の都

 わたし自身、母岩から砂を払いのけられた真新しい人間ではないのか。それとも、砂の奥底に潜んでいた墓のなかから、風が外へ出してくれた、ごく昔の人間ではないのか。


 砂の中から現れ、また砂の中に消えた、幻のような都の記憶。マルセル・ブリヨンは考古学や歴史学に明るい人物だったらしい。なるほど、この物語に懐かしい異国情緒を感じるのはそのためかもしれない。彼が描く砂漠の手触りはどこかやさしく、浪漫を含んでいる。


 舞台は近代、中央アジアの砂漠。マニ教の洞窟を調べるためにやってきた考古学者が、砂嵐に巻き込まれて洞窟へと逃げ込む。嵐は長く、いく日経ってもやまない。やがて風は過ぎ去って、膨大な砂を押し流した。考古学者は、砂の中から現れた古代の都市を目の当たりにする。
 この長い砂嵐のシーンが、物語のひとつの軸となっている。だんだん時間の概念がかき消え、夢想が頭をめぐる間、世界はゆるりとその姿を変える。主人公が洞窟を出て、幻の都市に向かって石段を降りていくシーンは、『不思議の国のアリス』のほら穴、あるいは『雪国』のトンネルのように、異界への移動を予想させる。


 さて、主人公である考古学者だが、「幻の都市」を前にしてほとんど考古学者らしいことをしていないのが興味深い。学問的好奇心はどこへやら、しごくあたりまえに都市の端にもぐりこみ、水を浴びてバザールで食べものを買い、いつの間にか言葉を覚えて友人や嫁といった人間関係を築いていく。『エペペ』の主人公(こちらも学者だ)が、ファンタジックな異国の現地ルールにいつまで経ってもなじめず、自分の知識を総動員してもがきまくったのとは対照的だ。

 彼は、息を吸うように自然に「都市の一部」となる。絨毯屋は次々に黄色、緋色、褐色が豊かな絨毯を広げてみせて、金銀細工師はメノウの指輪を見せて「持っておいきなさい」と言う。街角では、講釈師や<しるしの母>といった、どこか達観した人々が謎めいた言葉を吐いている。そんな日常が淡々と続く。
 時という名の砂は静かに降り積もるが、読み手はその静かさゆえに気づかない。どれほど時が経っているのか、この都市はどこから来ているのか……。読み手も考古学者も、すんなりと都市の日常を受け入れる。「その存在を疑わない」、この態度は神秘にはやさしいが学問的ではない。だからこの本は、どこまでも「幻想小説」なのだと思う。


 「あのセリフが印象に残った」「あの場面がよかった」といった、明確な印象を残す物語ではない。だが、「幻を見た」という茫漠とした記憶は残る。
 砂時計のような物語だと思った。読者は最初のページをめくった時に、現実と幻想をひっくり返す。幻想の都市は現実となるが、時が経つにつれてまた砂の中に埋もれていく。そして最後の一粒が落ちた時、物語は終わり、夢もまた終わりを告げて、ゆらりとかき消える。

 われわれの人生は、片時に流れる砂より大きいのだろうか、または優れているのだろうか。諸世紀の重要性は、砂時計を一度ひっくり返す以上のものだろうか。


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