ボヘミアの海岸線

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『問いの書』エドモン・ジャベス

[砂漠の言葉]
Edmond Jabes Le Livre des Questions、1963.

問いの書 (叢書 言語の政治)

問いの書 (叢書 言語の政治)

 人は夜のなかにわけ入る
 針に糸を通すように、
 幸福な
 それとも血まみれの入り口を通って、
 このうえなく光り輝く裂け目を通って。
 針と糸たらんとして
 人は夜のなかにわけ入る
 あたかも己れのなかにわけ入るごとく。


 エジプト生まれのユダヤ人による、書物の断片。

 「砂漠の思考」が書かれているという話を聞いて以来、ずっとジャベスを読みたいと思っていた。
 思うに世の中には、心に砂漠を持つ人間と持たない人間がいる。これまでいくつかエントリで書いてきたが、私は砂漠や荒野、月面といったものに不思議と心惹かれてきた。安部公房はこう言っている。「砂漠には、あるいは砂漠的なものには、いつもなにかしら言いしれぬ魅力があるものである」。

 「おまえの運命はいかなるものだ?」
 「書物を開くことだ」
 「おまえは書物のなかにいるのか?」
 「私の場所は閾(しきい)にある」

 私は書物のなかに存在する。書物とは、わが世界、わが祖国、わが家、そしてわが謎である。書物とは、わが呼吸でありわが安息である。

 砂漠は、人に対してどこまでも無慈悲で無関心だ。吹き抜けて飲みこんで、あとには何も残さない。
 これは物語ではない。「サラとユーケル」という2人の恋人たちについて語っているが、本筋らしい本筋はない。だから、当然感想らしい感想は書けない。

 書物のちぎれた断片、それに対する注釈、箴言が頭の中を吹き抜けていくようだった。確かに何かを読んだはずなのに、心に響くものがあったはずなのに、手の中には何も残っていない。なるほど、この本は存在そのものも砂漠に似ている。

 彼方の、肥沃な土地には、ラビの遺灰がある。
 そして、ラビの言葉は町に。

 ある人が死に、その人のことを知っている人が死んだら、その人の存在は「塵は塵に」還る。人は最終的に断片的な言葉でしかその存在を残せない。数百年、あるいは数千年後に誰かが遺跡を発掘したとき、その時点で残っていなかった記録は存在しないことになり、歴史そのものから消え失せる。ジャベスが「言葉」という主題に対してこうも執拗に「問い」を繰り返すのは、それが存在にかかわるものであるにも関わらず、恐ろしいほど儚く不完全であるからかもしれない。

 谺をおろそかにしてはならない。なぜならおまえは谺に生きるからだ。


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