ボヘミアの海岸線 - 海外文学の感想

海外文学/世界文学/ガイブンの書評と感想ブログ。昔の名は「キリキリソテーにうってつけの日」

『ヌメロ・ゼロ』ウンベルト・エーコ

アメリカ人はほんとうに月に行ったのか? スタジオですっかりでっち上げたというのもあり得なくはない。月面着陸のあとの宇宙飛行士の影をよく観察すると、どこか信用しがたい。それに、湾岸戦争はほんとうに起こったのか。それとも、古いレパートリーの断片を見せられただけじゃないのか。おれたちは偽りに囲まれて生きている。
――ウンベルト・エーコ『ヌメロ・ゼロ』

 

ニュースと陰謀の融解

「ジャーナリズム」は「journal+ism」であり、ラテン語の「毎日の記録」「日刊の官報」という意味から派生した。

日々の事実を記録する。昨日に起きた事実と今日に起きた事実の因果関係を語る。10年前の記録を掘り起こして因果関係を調べる。これらの活動はジャーナリズムとみなされる。

では、事実かどうかわからない「曖昧な記録」を残したり、曖昧な記録から因果関係を語ったり、関係ない事実をつないで因果関係があると語ったり、事実がないところから記録をでっちあげることは? もちろんジャーナリズムではないし、あってはならない。だからジャーナリズムを担う者と組織は「情報の信頼性」を声高に叫ぶ。

「情報の信頼性」はジャーナリズムの原則である。そうでなければ、なにが事実でなにがフェイクかなにもわからなくなる。で? 実際のところは?  

ヌメロ・ゼロ (河出文庫 エ 3-1)

ヌメロ・ゼロ (河出文庫 エ 3-1)

 
ヌメロ・ゼロ

ヌメロ・ゼロ

 
 

 

 時代は1992年のミラノ。うだつのあがらない50歳の物書き業コロンナが、 奇妙な依頼を受ける。「ドマーニ(明日)」という「発行される予定がない新聞」の編集執筆を1年担当してほしいという。新聞には匿名のパトロンがついていて、多額の報酬を約束されている。「ドマーニ」のメンバーは全員が微妙な経歴で、コロンナは自分も含めてこのプロジェクトに集められたのは「負け犬」だと悟る。

そして、すべての敗者が夢見ることを、夢見るようになっていた。いつの日か本を書いて、富と栄光を手に入れること。

 彼らの仕事は「誰かにとって都合の悪いニュースを書く」ことだ。「私たちはこんな情報を持っている」と脅すため、あるいは誰かの地位を失墜させるため、特定の意図がこもった「ニュース」を書く。

 もちろん、「情報の信頼性」をうたうジャーナリズムが、表立ってこんなことをしてはいけない。だからドマーニ編集部は、白とぎりぎり言い張れるグレーな方法で、ニュースを作り上げる訓練をしていく。

ドマーニ編集部の「ニュース訓練」は本当にひどいが、どれも現実にあるものばかりだ。「事実を書く」「中立の立場を示す」「信頼性を担保する」というジャーナリズム原則を守っているふりをしつつ、「情報とイメージを操作する」手法は残念ながらいくらでもあるし、ほとんどが現役で使われている。

なぜこんなグレーな情報商売が成り立つのかといえば、「検証するコスト」のほうが「印象操作するコスト」よりもはるかに高く、時間も金もかかるからだ。9割が信じなくても、1割が本気で信じればお釣りがくる。世の中にあふれるフェイクニュースや情報ビジネスは「印象操作・デマをつくるコストの低さ」と「検証反論するコストの高さ」の非対称性によって成り立っている。

 我々がニュースをつくり、ニュースにならせるのだ。…ニュースのないところから、あるいはニュースの読み取れないところから、ニュースを立ちのぼらせる訓練だ。

闇落ちジャーナリズムの手法も、負け犬ジャーナリストたちの描写も、エーコの再現度がすばらしく高いので、いい意味で本当にうんざりさせられる。

 

記事のネタ集めをしている記者のひとりとコロンナは、やがて「例のあの人の陰謀」にたどりつく。因果関係がない事実をつなぎあわせてイメージ操作するのも、事実をつなぎあわせて「陰謀」を見出すのも、やりかたは同じだから、彼らが陰謀にたどりついたのは自然ななりゆきだ。

最初の十数枚はずっと本物のお札を数え、信頼度が高まってきたところで偽札を混ぜてくる詐欺師のように、エーコは「ジャーナリズムの現場あるある」を書くうちに、するりとフィクションを混ぜてきて、ほんとうにうまい。

アメリカ人はほんとうに月に行ったのか? スタジオですっかりでっち上げたというのもあり得なくはない。月面着陸のあとの宇宙飛行士の影をよく観察すると、どこか信用しがたい。それに、湾岸戦争はほんとうに起こったのか。それとも、古いレパートリーの断片を見せられただけじゃないのか。

 

私はもともと陰謀論が好きなので、おもしろく読んだのだが、そもそも陰謀論が人を惹きつけてやまないのはなぜだろうか。まず、「つながらない事実と事実の断片がつながった」という、ミステリの謎解きに近い快感がある。荒唐無稽であればあるほどギャップは激しくなり、驚きと快感が増幅する。

そして、人間は「物語」を求める生き物だ。人は物事を理解する時に、因果関係を見出そうとする。そして、因果関係はできるだけ単純でわかりやすいほうがいい。わかりやすく単純化したうえで、人間は「自分が見たい物語」を見出す。 

「彼のそっけない態度は、自分に恋して照れているから」「自分が人間関係に消極的なのは、両親が離婚したから」と、事実と妄想を組み合わせて物語をつくりながら、私たちは世界と自分を理解する。世界も自分も因果関係も、実際はそんな単純なものではないが、複雑すぎないほうが「わかった」快感を得やすい。物語は甘美な麻薬なのだ。

人間がわかりやすい物語をとおして世界を理解しようとするから、ジャーナリズムは「日々の記録」にくわえて「事実をつなぎあわせて解説する」機能を持つようになった。だから、彼らが「情報のつなぎかた」を意識的あるいは無意識的にまちがえると、誤報と陰謀がうまれる。

 「物語の麻薬的快感」と「自分が見たいように現実を解釈したい」願いが先鋭化したものが「陰謀脳」なのかもしれない。 

 

『ヌメロ・ゼロ』は、20世紀のイタリア政治という遠い時代、遠い国の話ではなく、目の前にある現代の話だった。「ドマーニ」はニュースと陰謀が融解する点である。未熟なニュースは陰謀と見分けがつかず、高度に発達した陰謀はニュースと見分けがつかない。

「一体どういう関係があるんだ?」

「一体どういう関係かはわからないが、しかし、関係はあるはずだ。全部が全部と関係しているんだよ。要は、コーヒー占いをするにしても、カップに残った粉を読めるかどうかだ。もう少し時間をくれ」

 

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