『遊戯の終わり』フリオ・コルタサル
大きくカーブした線路が家の裏で直線に変わるそのあたりが、わたしたちの王国だった。——フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』
異界への落下
夏になると南米文学に手がのびるのはここ数年来の習性で、モヒートを飲みながら南米の短編をつまむことを、夜な夜なの楽しみとしている。コルタサルの作品は、路地裏バルのタパスに似ている。南米圏らしい土のにおいを感じさせず、都会的で、どれも短いながらに良品がそろっており、よいつまみとなる。
本書は、コルタサルが残した数多くの短編のうち、初期のものをおさめる。全18作品と、『悪魔の涎・追い求める男』の2倍近くの作品が収録されている。代表的な作品を集めた『悪魔の涎・追い求める男』にくらべれば『遊戯の終わり』はやや物足りなさを感じはするものの、「遊戯の終わり』「殺虫剤」といった、『悪魔の涎・追い求める男』にはないノスタルジックな雰囲気を持つ作品がある。
- 作者: コルタサル,木村榮一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/06/16
- メディア: 文庫
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異界につながる方法はいくつかある。百聞の異界は障子にうつる墨色の影、ポーの異界は古びた貴族の屋敷、タブッキの異界は真夏の路地裏——これらはどれも「この先にはなにかがある」といった雰囲気をただよわせているが、コルタサルの異界には予感がない。予告も気負いもなく、すらりと落下する。コルタサルの世界では、トランプゲームの最中にトランプを1枚めくったら、一緒に世界もめくれてしまう気がする。
おそらく、彼らは真夜中でも目が見えたのだろう。彼らには、昼と夜は不分明なままつながっていたのだ。山椒魚には瞼がない。——「山椒魚」
「河」「夜、あおむけにされて」「水底譚」は、湿気に満ちた幻想短編だ。コルタサルは執筆について「悪夢を払いのけるための悪魔払いの儀式」と言ったそうだが、コルタサルはおぼれる夢をよく見たのではないかと思う。
そうなんだよ、マウリシオ、叫び声をあげたんだ。おかげで目が覚めて、我に返ったようなわけだ。水差しの水をごくごく飲んでいてふと気がついたんだが、今見たばかりのあの顔をどうしても思い出せない。驚いたね。もう一度、目を閉じて、あの河岸に、夢の岸辺に戻りたいと思ったが、それは無理な相談だ。それに、あの水死体だって流されてしまっているに違いない。——「水底譚」
「誰も悪くはない」では、「セーターをうまく着られない」というただそれだけの日常がなぜか徹底的に崩壊する。セーターを着る時に思い出さないようにしたい作品の筆頭だ。
「バッカスの巫女たち」も同じ日常崩壊ものだが、こちらはコンサート会場にいる人全員が狂うため、その分ばかばかしさも増している。崩壊のトリガーとなる「赤い服の女」の登場シーンはなぜかギリシャ神話を思わせるもので、その唐突さが奇妙な味のユーモアを生み出している。スタージョン好きは、きっと気に入る作品だと思う。作品自体が酔っぱらっているので、やはりこちらも酔っぱらうべきだ。
「キクラデス島の偶像」はフエンテス「チャック・モール」を彷彿とさせる偶像ものだ。キクラデス島は
ギリシャだが、南米圏の偶像はとにかく恐ろしいのでみやげには買わないでおこうと思う。
「山椒魚」は、山椒魚に意識が乗り移る作品で、ルゴーネス「イスール」やキローガ「転生」などとともに「アルゼンチン動物怪奇譚」に数えたい。
「殺虫剤」「遊戯の終わり」は、小さい頃に感じる人生の苦さをノスタルジックに描いた作品で、コルタサルの他作品とは少し異なる雰囲気がある。
特に「遊戯の終わり」はたいそう素敵だ。3人のこどもが線路ぎわで毎日「彫像ごっこ」などをして、列車の乗客にむかって無言のやりとりをかわすのだが、列車の窓から手紙が投げられるようになってから、距離感が崩れ始める。線路にかくもノスタルジーと憧れを感じるのは自分でも不思議なのだが(「Stand by Me」の影響だろうか?)、世界がきらめいて見える瞬間を美しく回想しており、お気に入りの作品となった。
オクタビオ・パスは、コルタサルについて「スペイン語の散文を変革した作家の一人で、散文に軽やかさ、優美さ、伸びやかさ、それに多少の卑俗さをもたらした」と評している。衝撃をうける、というタイプの作家ではないが、ふとした折に手に取りたくなる。シエスタの前に読むさいは、お気をつけを。
収録作品(おすすめには*)
- 「続いている公園」*
- 「誰も悪くはない」
- 「河」*
- 「殺虫剤」
- 「いまいましいドア」
- 「バッカスの巫女たち」**
- 「キクラデス島の偶像」*
- 「黄色い花」
- 「夕食会」
- 「楽隊」
- 「旧友」
- 「動機」
- 「牡牛」
- 「水底譚」
- 「昼食のあと」
- 「山椒魚」*
- 「夜、あおむけにされて」**
- 「遊戯の終わり」**
フリオ・コルタサルの作品レビュー:
Julio Cortazar"Final Del Juego"1956.
recommend:
- フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』…ぐるぐるまわってあっというまに土の中。
- カルロス・フエンテス『アウラ・純な魂』…ゴシック・ホラー短編。「チャック・モール」「アウラ」がよい。
- ルゴーネス『塩の像』…アルゼンチンの大家。「火の雨」は圧倒的。
- オラシオ・キローガ『野性の蜜』…南米の短編名人と呼ばれる。死にまつわる作品が多い。
- 『一角獣・多角獣』…奇妙な味わい。「誰も悪くはない」「バッカスの巫女たち」が好きな人はきっと好き。
- エドガー・アラン・ポー『黒猫・アッシャー家の崩壊』…すべての源流。