『一角獣・多角獣』シオドア・スタージョン
[奇妙な味わい]
Theodore Sturgeon E Pluribus Unicorn,1953.
- 作者: シオドアスタージョン,Theodore Sturgeon,小笠原豊樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2005/11
- メディア: 単行本
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早川書房「異色作家短編集」シリーズの一作、まさに「異色」という言葉が似合うスタージョンの短編集。マニア垂涎ものの本らしい。新装版としてシリーズが復刊される前までは、『一角獣・多角獣』は古書店の高値取引リストに名を連ねていたという。
スタージョンの作品は変だ。変だが、奇妙な魅力がある。いきなり船から海に突き落とされて、「えっ?」と思う間に救助ロープがおりてくる。やれやれ助かったとロープをにぎった瞬間、ロープがばっさり切られて呆然とする。スタージョン作品の読感はこんな感じだ。好きな人はカルト的に愛するし、苦手な人は「分からん……」と頭を抱えることだろう。ちなみに、私はけっこう好き。以下、一言感想。気に入った作品には*。
「一角獣の泉」:
「恋と愛の違いは、求めるか与えるかである」という言葉を文学にしたらこうなった、というような作品。地主の娘のトンでいる行動がすごいが、最後の一文のテンションもおかしい。トップに本作をもってくるあたりに、編集者の物言わぬ挑戦を感じる。
「熊人形」:*
「お眠り」と怪物が言った。口のなかに血がいっぱい詰まっているので、怪物は耳でしゃべった。
強烈な第一文に、初読時は枕につっぷした。少年が怪物(テディベア)に寄生され、未来を幻視する。ありふれたネタではある。だが、それをただの「ありふれた」で絶対に終わらせないのがスタージョン。熊怖いよ、熊。
「ビアンカの手」:*
残酷で美しい、恐るべき変態小説。白痴で醜いビアンカは、美しい手を持つ。手、手、一貫して手のみを見つめる男が、美しいビアンカの手と結婚する。視点の照準がただ一点、「手」のみにロックされていて、恋の盲目ぶり(こんな言葉ですませていいのか分からないが)を強烈に描き出している。フェチの究極はやはりこの結末にたどり着くのか……。
「孤独の円盤」:*
スタージョンは、びっくりするほど変な作品を書くが、時々恐ろしいほどロマンティックな作品も書く。こんな体験をしたら、恐らく一生忘れられないだろうなあ。そう、どんな孤独にも終わりがある。
「めぐりあい」:
原題は「シジジイじゃない」。「シジジイ」とは、スタージョン作品に繰り返し現れる概念である。ボルヘス、あるいはサイバーパンク的な「理想の妄想」がテーマの作品。好きなんだけど、この作品は本書では読まない方がいい(一部、内容が省略されているため)。『海を失った男』収録の「シジジイじゃない」は完全版なので、まずはこちらから。
「ふわふわちゃん」:
猫好きのための猫小説。一言でいえば、「かわいこちゃんは怖いよ!」。それにしても、文学好きが猫好きなのはなぜだろう。猫怖いよ、猫。
「反対側のセックス」:
「めぐりあい」と同じ、「シジジイ」作品。こちらの方がシジジイ概念が分かりやすく解説されている。性を超えた性への憧れと、それらを取り巻く理論と。奇妙な学説と潔癖な愛を、理論で美しくさばいて格納していくようなイメージ。
「死ね、名演奏家、死ね」:
スタージョンの音楽愛が炸裂する一作。ラッチ・クロフォードという偉大な男がバンドを作った。醜い小男フルークは、自分とはあまりにも違いすぎる男への嫉妬と憎悪に取り憑かれる。おそらく、フルークは誰よりも、バンドの誰よりもラッチのことを考え、ラッチの気配を感じることができた。つくづく、嫉妬は愛と同質なものだと思い知る。
「監房ともだち」:*
監房で一緒になった男クローリーは、実にいけすかないやつだった。しかし、なぜか主人公はクローリーには逆らえない……。最後のシーンがあまりに鮮烈すぎる。歌うように、踊るように破滅へと向かった主人公。しかし、クローリーへの恨みがまったく見えないところに、ある種の恐ろしさと幸福を感じてしまう。
「考え方」:*
文化人類学で習った「ゾンビの作り方」を思い出した作品。思い込みで人を殺すことは可能か? 弟の復讐のために男は考える。考えて、行動する。「現実にも幻想にもそれやしない。おれはただまっすぐ考える」。
改めて見直してみると、スタージョンが使うSF的・ミステリ的なアイデアはクラシカルで、けして目新しいものではない。だけど、どう見てもスタージョンの作品としか思えない仕上がりになるのがすごい。強烈で鮮烈な軌跡を残して墜落する。隕石みたいな短編集だと思った。