ボヘミアの海岸線

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『夜になるまえに』レイナルド・アレナス

 「覚えておくんだよ、わたしたちは言葉によってしか救われないってこと。書くんだ」

——レイナルド・アレナス『夜になるまえに』

絶叫する生

 夜とは、灯りが消えてものが書けなくなる時間であり、一度行ったらもう永遠に戻れない深淵のことである。キューバの作家レイナルド・アレナスが、エイズで死ぬ前に書き上げた自伝。本が叫んでいる。行間から聞こえてくるのは生の喜び、死への渇望、容赦ない糾弾、性の絶頂、慟哭、怒り、破壊と暴力、正気と狂気の混乱であり、ブラックホールのように濃縮しながら渦巻いて、私を飲みこんだ。

夜になるまえに

夜になるまえに

 川まで行くと、川は抑えられない暴力の魅力に憑かれてとどろいていた。……その川がどこまで行くのか、その逆上した流れがどこまで達するのか、そのときはよく知らなかったが、その轟音といっしょにぼくも行かなくちゃならない、ぼくもその水に飛び込んで消えなくちゃいけない、わずかとはいえ心の安らぎは常に先へと進むそのなかでしか見いだせない、と何かがぼくに言っていた。

 アレナスは学生時代に「お前は男を惑わすパハロ(鳥)」と言われ、その言葉どおりホモセクシュアルになった。本書中にはとにかくホモという言葉があちこちに出てくるが(ホモの分類まである)、どうやらアレナスは生涯で数千人もの男と関係を持ったらしい。アレナスだけではない。キューバ全体が、まるでたがが外れたように欲望のエネルギーを爆発させていた。バスに公園、海にトイレ、とにかくどこもかしこも同性愛者だらけで、みんなお茶を飲むより簡単にセックスをした。

 欲望のエネルギーがすさまじければ、それを弾圧するエネルギーもすさまじい。カストロは、革命を支持しない人間、特に作家と同性愛者を徹底的に弾圧した。アレナスはどちらにもあてはまったから、日々警察に連行される恐怖の中で原稿を書いた。結局、亡命未遂と追跡のいたちごっこを繰り返したあげくにハバナの監獄にぶちこまれ、そこで尊厳も何もあったものではない、文字どおり汗まみれ糞尿まみれの生活を送る。


 眩暈をもよおしながら考える――正気と狂気の境はどこにあるのかと。こんな地獄の釜の底では、自らの心を殺してみずからも狂気の歯車となるか、命を絶って存在を消してしまうか、どちらかしかないように思える。「ぼくたちの政治史は、絶えざる自殺の歴史」とあるように、アレナスの同級生の多くはやがてカストロ体制の指導者になったが、残りの者たちは自殺した。アレナス自身、何度も自殺を試みている(事故や処刑未遂を含めれば、少なくとも10回ぐらいは死んでいなければならないはず)。

 それでも、アレナスは書いた。書いて書いて書きまくった。原稿を没収されても、同じ作品を何年もかけて3回書き直した。アレナスが正気だったのか狂気だったのかは分からない。ただ、命が持つ限りひたすら書き、叫び続ける力に圧倒された。

 そのころぼくはいろんな国を巡り歩いた。ベネズエラ、スウェーデン、デンマーク、スペイン、フランス、ポルトガル。どの国でもぼくは叫び声が出るにまかせた。それはぼくの宝だった。それしか持っていなかった。

 「書くことは職業ではなく、呪いみたいなものなのだ」



 魔術的な祖母の話(「夜、祖母」)、いかれた同居人たちとのぶっ飛んだ日常を書いた「ホテル・モンセラーテ」、自由の象徴としての海に対する愛着をつづる「海」が好きだった。修道院を解体して売りさばき、空っぽの修道院でパーティーを繰り広げるところなんて特にいい。
 あと、同時代の南米作家らをぼこぼこに批判しているところも、海外文学読みとしては興味深かった。ガボの政治傾向は有名だが、フエンテスやコルタサルといった著名な作家についても、アレナスは容赦なく批判する。同じキューバ人のカルペンティエルなんて、やつは御用作家で『光の世紀』以後はくそみたいなものしか書かない、とか。

 たいがいの自伝はつまらないし、終わりに近づくにつれて勢いを失っていくものだが、本書は別格だった。おそらくラストはこの一文しかありえなかったのだろうが、それでもここまで見事に突っ切ってしまうのはすごい。なんというか、アレナスはつくづく本物なのだなと思った。

 叫び続けて爆発する、赤色巨星のような人生がもたらす衝撃。


レイナルド・アレナスの作品レビュー

『夜明け前のセレスティーノ』


Recommend

国分拓『ヤノマミ』…アマゾンの森で、生と死のエネルギーが爆発。
アンヘル・エステバン、ステファニー・パニチェリ『絆と権力』…カストロとガルシア=マルケスの友情。



Reynaldo Arenas Antes Que Anochezca,1992.