ボヘミアの海岸線

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『ヘンリー四世』ウィリアム・シェイクスピア

 名誉ってなんだ? ことばだ。その名誉ってことばになにがある? その名誉ってやつに? 空気だ。結構な損得勘定じゃないか!

——ウィリアム・シェイクスピア『ヘンリー四世』

ごろつき紳士の饗宴

 燃えよ退廃の燈火、愛すべき百貫でぶ、王子ハリーつきの食用豚、騎士フォールスタッフとハル王子たちの掛け合いのなんと楽しいことか!


 『ヘンリー四世』は、シェイクスピア歴史劇のうち『リチャード三世』と並んで人気の劇だと言われている。古今東西もっとも、当のヘンリー四世は、それほど印象に残らない。心をとらえて離さないのは、ヘンリー四世の後継者、のちのヘンリー五世となるハル王子と、騎士フォールスタッフと愉快なごろつきどもたちだ。

ヘンリー四世 第1部

ヘンリー四世 第1部

ヘンリー四世 第二部 (白水Uブックス (16))

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『クララからの手紙』トーベ・ヤンソン

 成績表なんて気にしないこと。パパとママに言いなさい。両の手を使って美しいものを造るというのは、場合によってははるかに大切な能力なのだと。——トーベ・ヤンソン『クララからの手紙』

気難しくも優し

 他者のために己の心を殺すことは、優しさではない。優しくありたいという願いは嫌われたくないの裏返しで、たとえそれが愛ゆえの、悲哀さえ帯びた切実な願いであったとしても、自分が殺した言葉と感情は砕けた硝子のように足裏を刺し、やがては受けた傷への対価を期待する。あなたのためにがんばった、あなたのためにがまんした、あなたによかれと思って、なのにどうして。言えなかった言葉は心に沼をつくり、その水は時が経つほど澱み、やがて水底に怪物をはらむ。

 トーベ・ヤンソンの作品に出てくる人びとは、沼の怪物とは無縁の人びとだ。彼らは気難しく、ささいなことで気分が変わり、文句でもなんでも言いたいことは遠慮なく言い、自分の心を隠さない。

 それがふしぎと心地よい。彼らは彼らなりに家族や友人を大事に思い、同じだけ自分の心を大事にしている。自分にも他者にも寛容なのだ。だからわたしは、この気ままで身勝手な人たちの物語を読み続けたくなる。

トーベ・ヤンソン・コレクション 3 クララからの手紙

トーベ・ヤンソン・コレクション 3 クララからの手紙

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『恋の骨折り損』ウィリアム・シェイクスピア

姫! どうか戦闘準備を!
ご婦人がたも武装なさい! 敵襲です、平和の夢を
むさぼってはおられません。恋が変装してやってきます。

——ウィリアム・シェイクスピア『恋の骨折り損』

誓いよりやっぱり恋

 恋の前には、どんな誓いも論理も通用しない。王様も貴族も、みなが美しい女と恋の前に身を投げ出す。たとえ、それまでの努力が骨折り損になろうとも。

 3組のカップルによる、ひとめぼれの喜劇である。ナヴァール王国の国王と、彼の親友である3人の貴族は、学問に専念するために3年間は女に会わず、近づけもしないという誓いを立てる。

恋の骨折り損 (白水Uブックス (9))

恋の骨折り損 (白水Uブックス (9))

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『ヴェローナの二紳士』ウィリアム・シェイクスピア

プローテュース ああ、恋の春は変わりやすい四月の空に似ている、
いま、燦々と美しく輝く太陽を 見せているかと思うと、
たちまち一片の雲が現れてすべてを掻き消してしまう。

——ウィリアム・シェイクスピア『ヴェローナの二紳士』

恋か友情か

 シェイクスピアが初期に書いた、恋の名言多き恋愛喜劇である。

 この劇では、たえず「恋か友情か」という問いが繰り返される。ヴェローナに住むふたりの青年ヴァレンタインとプローテュースは、友情を誓い合った親友同士だ。ヴァレンタインが見識を広めるために、ミラノ公爵のもとへと旅に出ようとする。ヴァレンタインは一緒に旅しようと誘うが、プローテュースは愛するジュリアのためにヴェローナに残るという。たとえ距離が離れても、親友であることには変わりないと互いへの友情を誓い合って、ふたりは別れる。

 プローテュースはジュリアという恋人を得て幸せに過ごしていた。しかし、ヴァレンタインに会いに行ったとき、彼の恋人であるシルヴィアに激しく恋してしまう。

 親友への友情、地元に残してきた恋人への誓い、友人の恋人への恋情、どれかを選べばどれかを捨てなければならない。距離と時間では、男たちの友情はくずれなかった。しかし、愛によって、それはトランプの家のようにいとも簡単に崩れ落ちた。

ヴェローナの二紳士 (白水Uブックス (8))

ヴェローナの二紳士 (白水Uブックス (8))

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『終わりよければすべてよし』ウィリアム・シェイクスピア

 人間の一生は、善と悪とをより合わせた糸で編んだ網なのだ。われわれの美点は欠点によって鞭打たれることがなければ高慢になるだろうし、われわれの罪悪は美徳によって慰められることがなければ絶望するだろう。——ウィリアム・シェイクスピア『終わりよければすべてよし』

アンチ・ハッピーエンド

 「終わりよければすべてよし」というタイトルは皮肉なのか。そう思わざるをえないほど、終わりもすべても何もよくはない、なんともすっきりしない物語だった。
 
 身分違いの恋をした女性が、試練を乗り越えてみごと意中の男と結婚する——主軸はありふれたシンデレラストーリーだが、細部は幸せなおとぎ話からはかけ離れている。

終わりよければすべてよし (白水Uブックス (25))

終わりよければすべてよし (白水Uブックス (25))

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『ブリキの太鼓』ギュンター・グラス

 なぜってオスカルよ、おまえだけがまことお伽のようで、おまえは過剰なほど渦巻模様にいろどられた角をもつ孤独な獣ではないか。——ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』

誰かの死に加担する

 ブリキの太鼓の音は、機関銃の銃声に似ている。胸を打つのではなく、心臓を射抜くこの音は、ときにいさましく、ときに不穏に、鼓膜の裏をたたく。

ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

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『すばらしい新世界』オルダス・ハックスリー

「しかし、それが安定のために、われわれが払わなくちゃならない犠牲なのだ」——オルダス・ハックスリー『すばらしい新世界』

完璧で幸福な世界

 人に、涙は必要だろうか? 

 “Brave new world”、尊敬すべき自動車王フォードを崇拝し、十字架のかわりにT字架が信仰されるこの「すばらしい新世界」においては、人々は悲しむこともなく、心を痛めず、不満も不安も感じない。

すばらしい新世界 (講談社文庫)

すばらしい新世界 (講談社文庫)

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「クジラスレイヤー ピークォド号炎上」:『白鯨』で『ニンジャスレイヤー』

登場人物

  • エイハブ:白鯨モービィ・ディックに片足を食われたセンチョ「エイハブ」に謎のホゲイソウル「ホゲイ・ピークォド」が憑依。ホゲイが抱えるクジラ殺戮渇望がエイハブの復讐心と重なり合い、恐るべきクジラ殺しのセンチョ「クジラスレイヤー」を誕生せしめた。エイハブとホゲイの共振が深まれば深まるほどにゲボクのモリウチパワーが強まり、理性を完全にホゲイに明け渡せば、船を沈没させるほどの力を放つ。
  • スターバック:イットー・コーカイ=シ。冷静沈着で、エイハブに忠実でありながら、苦言を呈することもいとわない。まことのブシドー。エイハブの右腕とも呼べる存在。
  • スタッブ:ニトー・コーカイ=シ。コッド岬生まれで、呑気アトモスフィアを身にまとうヒョットコ。
  • フラスク:サントー・コーカイ=シ。実際あわれなバター抜き男。
  • タシュテーゴ:スタッブ配下のモリウチ・アタッカー。奥ゆかしいインディアン。
  • ダグー:フラスク配下のモリウチ・アタッカー。黒人で、身長は6フィート5インチ。スゴイタカイ。
  • クイークェグ:スターバック配下のモリウチ・アタッカー。カニバル・クイダオレの生まれだが、彼のピュアソウルを見抜いたイシュメールと、ユウジョウを結んだ。ユウジョウ!
  • イシュメール:語り手=サン。

白鯨 上 (岩波文庫)

白鯨 上 (岩波文庫)

ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上 (1)

ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上 (1)

  • 作者: ブラッドレー・ボンド,フィリップ・N・モーゼズ,わらいなく,本兌有,杉ライカ
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/エンターブレイン
  • 発売日: 2012/09/29
  • メディア: 単行本
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 時刻はまさにウシミツ・アワー。海獣が跋扈する闇の時刻であった。捕鯨船ピークォド号は、クジラが放つ独特のアトモスフィアを追い、スゴイヒロイ・オーシャンをひた進んでいた。

 「マスト・ヘッドの見張り、配置につけ! 全員集合!」号令がかかる。

 「何か見えるか?」エイハブは空をあおいで、問いかける。

 「見えません、センチョ、何も見えません!」

 「トガンスル(上段横帆)!——スタンスル(補助帆)! 上も下も、右も左も、みんな張れ!」

 言うが早いかエイハブはメイン・ロイヤル・マスト・ヘッドに上り、空漠たる水平線に目をやる。そして、カモメのような叫び声を発したーー「潮吹きだ!——潮吹きだ! フジヤマのようなこぶが見えるぞ! モービィ・ディックだ!」
 
 「アイエエエエ! クジラ!? クジラナンデ!?」ノリクミ・セーラーたちのあいだに動揺が走る! 一方、カチグミ・コーカイ=シとモリウチ・アタッカーたちは、エイハブの命令を待つまでもなくすでに動き出している。

 「ボートを下ろせ! スタンバイ! スタンバイ!」「ヨロコンデー!」

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『男の事情 女の事情』ジョン・マクガハン

 「これを忘れたんでね」とバーテンの無言の質問に答えて言った。その小さな素振りひとつひとつを演じることが、痛みを和らげてくれるかのようだった。——ジョン・マクガハン「僕の恋と傘」

誰にも事情はある

 アイルランドの苦みに刺されたい時期は、冬の底をたたいたころにやってくる。

 部屋にこもり、あたたかい料理と黒ビールで寒さから逃亡したい衝動とは裏腹に、心は寒空にごろりと放置してしらじらと観察してみたくなる。おそらく人はこれを憂鬱と呼び、なぜわざわざ気分が落ちることをするのかと問うのだろうが、憂鬱は憂鬱のままに青くさせておけ、というのが最近の心情だ。

男の事情女の事情

男の事情女の事情

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『バベットの晩餐会』イサク・ディネーセン|奇跡の晩餐会

 至福千年のときを彼らは一時間だけ与えられたのだ。——イサク・ディネーセン『バベットの晩餐会』

料理の芸術

 デンマークといえば、わたしの友人宅に居候していた饒舌なデンマーク人のことを思い出す。彼は友人が秘蔵していた日本酒をわがもの顔で空けては「デンマークの料理はまずいです。石のようなパンとじゃがいもしかない。本当にまずいです」と酔いどれていたものだった。入れた瞬間にすべての食材が同じ味になるソースがある、とも聞いた気がする。味の素のようなものだろうか。

 そんなわけで「デンマーク作家が書いた食事の物語」を手に取ったとき、ひさしぶりに彼の赤ら顔を思い出した。バベットが晩餐会でつくったのは、幸か不幸か、デンマーク料理ではなかったけれど。

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

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『滅亡』ノサック

 わたしたちは「目覚めるのだ。これはただの悪夢ではないか」とだれかが呼びかけてくれるのを期待していたのだ。しかしわたしたちはその願いを口に出すことはできなかった。悪霊がわたしたちの口を窒息しそうになるほど塞いでいたからだ。——ノサック『滅亡』

わたしはおそれる

f:id:owl_man:20130128200454j:plain:w200:right W.G.ゼーバルトは、ハンブルグ大空襲をあつかったエッセイ『空襲と文学』の中で、戦後ドイツの文学者がいかに「進歩」という名のもとに自国の記憶から目をそむけ、記録を残さなかったかを指摘し、ドイツ国民がかかった病を「集団的記憶喪失」と呼んだ。

 ドイツの作家陣を舌鋒鋭く批判するゼーバルトが認めた、数少ない作品のうちの一作、それがノサック「滅亡」である。

短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫)

短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫)

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『土星の環 イギリス行脚』W.G.ゼーバルト

 私たちの編みだした機械は、私たちの身体に似て、そして私たちの憧憬に似て、ゆっくりと火照りの冷めていく心臓を持っている。——W.G.ゼーバルト『土星の環 イギリス行脚』

崩落する記憶

 「イギリス行脚」といいながら、実のところ彼はどこを旅していたのだろうか?

 本書においては、すべての境界線は水ににじんだインクのようにぼやけている。「半自伝的な作品」という位置づけのとおり、語り手の「私」はドイツ生まれの作家だが、その姿はピントの合っていない肖像のようでつかみどころがない。

 作家は、灰色の海岸線とモノクロームの荒地をゆるり歩きながら移動する。その足取りはイギリスの荒野(ヒース)から、いつのまにかドイツの荒野(ハイデ)へと地すべりしていく。

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『空襲と文学』W.G.ゼーバルト

 「ただ瞼に残っているのは、石の荒野に真っ黒にそびえていたケルン大聖堂の姿と、瓦礫の山の上で見つけた、一本のちぎれた指ばかりだった」——W.G.ゼーバルト『空襲と文学』

歴史の天使

 明晰かつ誠実に、誰もが隠したがる闇を切りひらく。白い炎と対峙しているような読みごこちだった。壮絶である。

 『空襲と文学』は、ゼーバルトがスイスのチューリヒで行った連続講演を書物としてまとめたものだ。薄暗い闇を蛇行する水のような小説スタイルとはうってかわり、ゼーバルトは峻烈きわまる筆致で「記憶の消滅」に抗う者としての心を開陳する。

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『無声映画のシーン』フリオ・リャマサーレス

 今では雪になっている母に。

——フリオ・リャマサーレス『無声映画のシーン』

架空の写真

 わたしにとってリャマサーレスは“追憶の作家”である。かつてリャマサーレスは、すべてを食らい尽くす時間と記憶の漂白を、廃村に降る『黄色い雨』に例えた。

 記憶は、おそらくネックレスからほどけ落ちた真珠の一粒のようなもので、連続していた出来事はすりきれて前後の文脈や連続性を失い、やがて任意の一点だけが残る。

 だが、残った一粒から、ネックレスのかつての姿と首にかけていた人を想像することはできる。リャマサーレスはある精神科医の言葉をかりてこう述べている。

 「創造力とは発酵熟成した記憶にほかならない」

無声映画のシーン

無声映画のシーン

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池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか?

 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」は何が読まれているのだろう?
 海外文学死亡かるたのまとめを作っているとき、ふとそんな疑問が頭をよぎった。
 わたしにとって池澤夏樹の世界文学全集は、なんとも不可思議なポジションにある。持っていそうで持っていなそう。あるいは、持っていなそうで持っていそう。じゃあ実際のところはどうなんだということで、なっちゃん全集でどのタイトルを所有しているか、Twitterでアンケートをとってみた。
 皆が買った作品は何か、そしてほとんど買われていない作品は何なのか?

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