ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

『男の事情 女の事情』ジョン・マクガハン

 「これを忘れたんでね」とバーテンの無言の質問に答えて言った。その小さな素振りひとつひとつを演じることが、痛みを和らげてくれるかのようだった。——ジョン・マクガハン「僕の恋と傘」

誰にも事情はある

 アイルランドの苦みに刺されたい時期は、冬の底をたたいたころにやってくる。

 部屋にこもり、あたたかい料理と黒ビールで寒さから逃亡したい衝動とは裏腹に、心は寒空にごろりと放置してしらじらと観察してみたくなる。おそらく人はこれを憂鬱と呼び、なぜわざわざ気分が落ちることをするのかと問うのだろうが、憂鬱は憂鬱のままに青くさせておけ、というのが最近の心情だ。

男の事情女の事情

男の事情女の事情

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『バベットの晩餐会』イサク・ディネーセン|奇跡の晩餐会

 至福千年のときを彼らは一時間だけ与えられたのだ。——イサク・ディネーセン『バベットの晩餐会』

料理の芸術

 デンマークといえば、わたしの友人宅に居候していた饒舌なデンマーク人のことを思い出す。彼は友人が秘蔵していた日本酒をわがもの顔で空けては「デンマークの料理はまずいです。石のようなパンとじゃがいもしかない。本当にまずいです」と酔いどれていたものだった。入れた瞬間にすべての食材が同じ味になるソースがある、とも聞いた気がする。味の素のようなものだろうか。

 そんなわけで「デンマーク作家が書いた食事の物語」を手に取ったとき、ひさしぶりに彼の赤ら顔を思い出した。バベットが晩餐会でつくったのは、幸か不幸か、デンマーク料理ではなかったけれど。

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

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『滅亡』ノサック

 わたしたちは「目覚めるのだ。これはただの悪夢ではないか」とだれかが呼びかけてくれるのを期待していたのだ。しかしわたしたちはその願いを口に出すことはできなかった。悪霊がわたしたちの口を窒息しそうになるほど塞いでいたからだ。——ノサック『滅亡』

わたしはおそれる

f:id:owl_man:20130128200454j:plain:w200:right W.G.ゼーバルトは、ハンブルグ大空襲をあつかったエッセイ『空襲と文学』の中で、戦後ドイツの文学者がいかに「進歩」という名のもとに自国の記憶から目をそむけ、記録を残さなかったかを指摘し、ドイツ国民がかかった病を「集団的記憶喪失」と呼んだ。

 ドイツの作家陣を舌鋒鋭く批判するゼーバルトが認めた、数少ない作品のうちの一作、それがノサック「滅亡」である。

短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫)

短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫)

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『土星の環 イギリス行脚』W.G.ゼーバルト

 私たちの編みだした機械は、私たちの身体に似て、そして私たちの憧憬に似て、ゆっくりと火照りの冷めていく心臓を持っている。——W.G.ゼーバルト『土星の環 イギリス行脚』

崩落する記憶

 「イギリス行脚」といいながら、実のところ彼はどこを旅していたのだろうか?

 本書においては、すべての境界線は水ににじんだインクのようにぼやけている。「半自伝的な作品」という位置づけのとおり、語り手の「私」はドイツ生まれの作家だが、その姿はピントの合っていない肖像のようでつかみどころがない。

 作家は、灰色の海岸線とモノクロームの荒地をゆるり歩きながら移動する。その足取りはイギリスの荒野(ヒース)から、いつのまにかドイツの荒野(ハイデ)へと地すべりしていく。

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『空襲と文学』W.G.ゼーバルト

 「ただ瞼に残っているのは、石の荒野に真っ黒にそびえていたケルン大聖堂の姿と、瓦礫の山の上で見つけた、一本のちぎれた指ばかりだった」——W.G.ゼーバルト『空襲と文学』

歴史の天使

 明晰かつ誠実に、誰もが隠したがる闇を切りひらく。白い炎と対峙しているような読みごこちだった。壮絶である。

 『空襲と文学』は、ゼーバルトがスイスのチューリヒで行った連続講演を書物としてまとめたものだ。薄暗い闇を蛇行する水のような小説スタイルとはうってかわり、ゼーバルトは峻烈きわまる筆致で「記憶の消滅」に抗う者としての心を開陳する。

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『無声映画のシーン』フリオ・リャマサーレス

 今では雪になっている母に。

——フリオ・リャマサーレス『無声映画のシーン』

架空の写真

 わたしにとってリャマサーレスは“追憶の作家”である。かつてリャマサーレスは、すべてを食らい尽くす時間と記憶の漂白を、廃村に降る『黄色い雨』に例えた。

 記憶は、おそらくネックレスからほどけ落ちた真珠の一粒のようなもので、連続していた出来事はすりきれて前後の文脈や連続性を失い、やがて任意の一点だけが残る。

 だが、残った一粒から、ネックレスのかつての姿と首にかけていた人を想像することはできる。リャマサーレスはある精神科医の言葉をかりてこう述べている。

 「創造力とは発酵熟成した記憶にほかならない」

無声映画のシーン

無声映画のシーン

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池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか?

 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」は何が読まれているのだろう?
 海外文学死亡かるたのまとめを作っているとき、ふとそんな疑問が頭をよぎった。
 わたしにとって池澤夏樹の世界文学全集は、なんとも不可思議なポジションにある。持っていそうで持っていなそう。あるいは、持っていなそうで持っていそう。じゃあ実際のところはどうなんだということで、なっちゃん全集でどのタイトルを所有しているか、Twitterでアンケートをとってみた。
 皆が買った作品は何か、そしてほとんど買われていない作品は何なのか?

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海外文学死亡かるた

 なんだか都ではやっているようなので、神保町古本祭りを記念して。
 ジンをあおりながら適当に作ったものです。なんかいいネタございましたら追加しますので、Twitter(@0wl_man)宛かハッシュタグ(#海外文学死亡かるた)でご連絡ください。

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『夜毎に石の橋の下で』レオ・ペルッツ

 一同が静まったところで高徳のラビは告げた。汝らのうちに、姦通の罪を負って生きる女、呪われた一族、主によって滅ぼされた一族の子がいる。罪人に告ぐ、進み出で己が罪を告白し、主の裁きを受けるがよい。――レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』

プラハの魔法陣

 ナスカの地上絵は、地上から見ればただの直線、意味をなさない溝でしかない。だが、もしナスカ人に首根っこをつかまれて上空数千メートルにまで放り上げられたら、巨大なコンドルや猿の姿に息をのむだろう。

 『夜毎に石の橋の下で』でも同じことが起きた。読み終わった瞬間、眼前に広がったのは巨大なプラハの魔法陣だった。読んでいる最中は地面を歩いていたのに、最後の最後でぽーんと放り上げられる。

夜毎に石の橋の下で

夜毎に石の橋の下で

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『厳重に監視された列車』ボフミル・フラバル

 じいさんは真向からひるまず戦車に向って進んで行き、両手を一杯に延ばし、両の眼でドイツ兵たちに念力を注ぎ込んでいた……「ぐるっとまわって帰っていけ……」すると本当に先頭の戦車が停止し、全軍団がその場に立往生した、じいさんは先頭の戦車に指をふれ、絶えず同じ念力を送りつづけた……「ぐるっとまわって帰っていけ、ぐるっとまわって帰っていけ……」だがしばらくすると、先頭車の中尉が小旗を振って指示を下し、戦車が進み始めたが、じいさんはそれを避けようともせず、戦車はじいさんを轢き、その頭をキャタピラーに挟み込んだまま進んでいった、それからもはやナチス帝国の軍団の歩みを遮るものはなかったのである。——ボフミル・フラバル『厳重に監視された列車』

男になる

 愉快に深刻なことを吐き出す語り口、望み薄のときこそひときわ高くなる哄笑、第二次世界大戦下のチェコスロヴァキアという舞台、なにかしらの不具を抱える主人公。これらの特徴を兼ね備えた本作『厳重に監視された列車』は、まちがいなくボフミル・フラバルの作品だ。しかし、だからこそ思う、フラバル作品の中ではバッド・エンドだと。

厳重に監視された列車 (フラバル・コレクション)

厳重に監視された列車 (フラバル・コレクション)

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『マハーバーラタ ナラ王物語―ダマヤンティー姫の数奇な生涯』

 「ナラ王様が苦難に陥り、不幸になった呪いの張本人、そ奴に、わたくしどもの不幸よりもっと大きな不幸でも起こればよい。邪心のないナラ王様を悪人めがこうしてしまった。ナラ王様のよりもっと大きな不幸に見舞われて、不仕合わせな生涯を送るがよい」
 そして、偉大なナラ王の妃ダマヤンティーは、このように涙ながらに口走りながら、猛獣どもの徘徊する森で夫を尋ね求め、そこここと、狂ったようになにごとか口走り、「ああ、ああ、王様」と繰り返し泣き叫びながら、そこここと駆け廻るのでした。——『マハーバーラタ ナラ王物語』

姫さま!


 『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』といえば、世界史の授業で覚えた摩訶不思議な呪文のひとつだったことを思い出す。両作品はインドに生まれた長編叙事詩で、フィンランドの『カレワラ』、ギリシャの『イリアス』と並んで世界三大叙事詩のひとつに数えられる。
 『ナラ王物語』は『マハーバーラタ』におさめられた、おびただしい数の挿話のひとつである。現代の感覚でいえばちょっとした中編小説ほどもある物語なのだが、『マハーバーラタ』の中では大河の一滴にすぎない。なにせ、『マハーバーラタ』は18編10万詩節よりなる大作で、『イリアス』『オデュッセイア』を合わせたものの7倍もの長さを誇る(はじめは本編『マハーバーラタ』を読もうと思ったのだが、あまりの長さに打ちのめされた)。

マハーバーラタ ナラ王物語―ダマヤンティー姫の数奇な生涯 (岩波文庫)

マハーバーラタ ナラ王物語―ダマヤンティー姫の数奇な生涯 (岩波文庫)

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『少年十字軍』マルセル・シュウォッブ

 いつも同じ黄金の面をわれらに向けるあの月も、おそらく暗く残忍な別の面をもつのであろう。……けれども予はもはやこの世の表面など見たくない。暗いものに目を向けたいのだ。

――マルセル・シュウォッブ「黄金仮面の王」

極彩色の幻影

 思い出したのはクリムト、尾形光琳の黄金だった。
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 絢爛という表現がふさわしいシュウォッブの世界には、鉱物のきらめき、赤と薔薇色の腕を狂わせて踊る炎、血にぬれた黄金仮面といった極彩色の幻影が乱反射している。かつての偉大な王の宝物殿に眠る古代地図や宝石が言葉を吐いたら、このような奇妙に煌めく物語を語り出すのかもしれない。

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『ナペルス枢機卿』グスタフ・マイリンク

 私たちがなしとげる行為には、それがいかなるものにもあれ、魔術的な、二重の意味があるのだ、と。私たちには、魔術的でないことは、何ひとつできない――。

——グスタフ・マイリンク『ナペルス枢機卿』

おぞましき、この現世

 真夏の日照りが続くさなかにマイリンクを読むと、あまりの明度の違いに目がくらむ。マイリンクの小説世界には、太陽の気配や生命の明るさといった陽の気配がいっさい感じられない。あるのはただ闇、虚無ではなく、見えないなにかが満ちてうごめいている、密度の濃い暗黒だ。

 マイリンクの見る世界は悪夢のようである。彼は、世界がふたつの不平等なあちらとこちらに分かれており、わたしたちが日常と呼ぶ「こちら」の世界は、たえず「あちら」の世界に浸食されているという世界観にもとづいて、小説世界を構築した。空は、布にくるまれたあちらの世界がおおっており、そのすきまからはたえず黒い水銀の暗黒がもれ出てくるように、彼には見えていたのではあるまいか。

ナペルス枢機卿 (バベルの図書館 12)

ナペルス枢機卿 (バベルの図書館 12)

  • 作者: グスタフ・マイリンク,ホルヘ・ルイス・ボルヘス,種村季弘
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 1989/04/21
  • メディア: 単行本
  • クリック: 9回
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『ウンベルト・サバ詩集』ウンベルト・サバ|坂の上のパイプ

 このことを措いてほかには
 なにひとつ愛せず、わたしには
 なにひとつできない。
 痛みに満ちた人生で、
 これだけが逃げ道だ。

――ウンベルト・サバ「詩人 カンツォネッタ」

坂の上のパイプ

 数年ぶりにもういちどサバの詩集を読みかえしたとき、ふせんをつけたページには「悲しみ」という言葉が多いことに気がついた。須賀敦子の訳だからだろうか。それとも、先に読んだ彼女のエッセイ「トリエステの坂道」にひきよせられたか。サバの住んだ町トリエステを訪ねるこの名文は、亡き夫ペッピーノを回想するところから始まる。早々と逝ってしまった夫を思いおこす須賀敦子の言葉は、いつも静かな悲しみに満ちている。

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『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』ヨシフ・ブロツキ―

 総じて、愛というのは光速で現れ、そして別離は常に音速でやってくる。
——ヨシフ・ブロツキ―『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』

追憶の水路

 迷子になりたい、行方不明になってしまいたいという思いがいつからめばえたのか、もう今となっては思い出せない。自分をとりまくものから逃げ出したいわけではなく、かといって、なにか目的があるわけでもない。

 あえていうならそれは、空白へのあこがれ、迷宮への熱情であったかもしれない。いつ、どこで、誰が、なにを、どうした、といった新聞記事に必要な情報をすべてそぎおとし、時空間のすきまへ魚のように沈んでいけば、自分がもうすこし自分になじむ気がした。

ヴェネツィア 水の迷宮の夢

ヴェネツィア 水の迷宮の夢

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