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キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『ゴーレム』グスタフ・マイリンク

[さまよう路地裏]
Gustav Meyrink Der Golem,1916.

ゴーレム (白水Uブックス 190)

ゴーレム (白水Uブックス 190)

 「ぼくらは単純に自分の自由意思で行動してると思ってるけど、ひょっとしたらぼくらも目に見えない、ぼくらには把握できない『風』に右に左に追いたてられているだけで、つまりその『風』にぼくらの行動を決定されているのではないだろうかってね」


 チェコプラハのゲットーは、その異様な雰囲気からかつて「魔術都市」と呼ばれていた。薄暗い建物群が密集し、石畳の路地が縦横無尽に走り、その下には迷宮のような地下水路がくもの巣のように広がる。狂王の招聘により大陸中から錬金術師がやってきて、王宮から広がる旧市街のあらゆる場所で呪文をつぶやき、薬草と鉱物を煮こんでは爆発させていた。空気の元素にまで、神秘主義がしみこんだ魔術的な土地である。なるほどこんな土地なら、ゴーレムが出てきてもおかしくはない。


 マイリンクが書く19世紀のプラハには、いわゆるゴーレム――自我を持たない泥人形で、突然暴れ出す怪物――は登場しない。ゴーレムは、実像としてではなく伝承としてあらわれる。ゲットーにはこんな言い伝えがあった。1世紀以上も昔から、高名なラビ・レーヴが作ったゴーレムが33年ごとによみがえる。見慣れない、特徴がない、しかし昔に同じ顔を見たことがあるような男がゴーレムだ。

 「ぼく」は、過去の記憶を持たずに小さな部屋で目覚め、帽子の裏に書いてあった文字列から、自分の名前がペルナートだと知る。ある知人同士の集まりで(当然のように、皆が彼のことをペルナートと呼ぶ)、彼はゴーレム伝説を耳にする。そして、前回目撃されてから、今年で33年目だということも。


 なんとも形容しがたい、重厚で幻想に満ちた物語だった。記憶喪失の男がどんどんゴーレムと同化していくくだりは、頭の中がぼんやりとかすんでくるようである。地下水路を歩いてたどりついた、入口がないシナゴーグユダヤ教の会堂)の部屋の描写、そこがかつてラビがゴーレムを幽閉した部屋だと知った時の驚き、人々に「ゴーレムが出たぞ!」と騒がれる焦り。物語を読み進めながら、どんどんゲットーの隘路に迷い込んでいく。

 「すべての人間が、ふとした瞬間に魂を失ってくずれ落ちてしまうのではないか?」

 記憶喪失の男はこう考える。登場人物たちは、自分という存在そのものがぐらつく不安を抱えている。記憶を失ったペルナート、憎悪のみで生きる青年カルーゼク、淫蕩殺人者のラポンダー、奇跡を渇望する女ミルヤム。彼らは人生のどこかで生をまっぷたつにされた。自分の自由意思とは別の何かに突き動かされ、あるいは翻弄されてゲットーをさまよっている。額の文字を1字消されれば泥に還るゴーレムのように。

 旧約聖書において、アダムは神の手で泥からつくられた。つまり、人という存在そのものがゴーレムとも言える。この考えは、人が神の似姿であることを誇りにし、自由意思を尊重する西洋的な考えと根本的に異なる。同じ聖書から生まれたはずなのに、こうも方向性が違うことに、あらためて驚きを感じてしまう。

 「だけど、ぼくだってゲットー育ちです。ぼくだって地獄のように悪辣な奸智の雰囲気につかってきたんです」

 カバラの神秘思想、両性具有のヘルマディフロートやタロットカード、「最後の灯の塀」の伝説など、魔術都市の路地裏をのぞきこみながらさまようように読了した。カバラ錬金術に詳しかったら、もう少し深く読めたのかもしれない。あと、異様な存在感がある登場人物の1人である、憎悪に身を焦がすカルーゼク青年の登場シーンにはびっくりした。真っ裸にコートをはおるって、それは貧乏なんじゃなくて、ただの変態なのでは。


 19世紀、ヨゼフ2世の命令により、プラハのゲットーは「浄化」されてプラハの一部に組みこまれた。いまはラビ・レーヴが眠るユダヤ人墓地、そしてゴーレムが安置されているというシナゴーグ、そのほか少しばかりの建物が残るのみである。

 「ぼくらの人生がぼくらには理解できないつむじ風以外のなにものでもないとしたら、どういうことになるんでしょうね?」


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