キリキリソテーにうってつけの日

海外文学/世界文学の感想ブログ。

『冬の犬』アリステア・マクラウド

[流氷のような]
Alistair MacLeod, Island,2000.

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

 私たちは、将来のいつかまたその時が来るまで生き長らえることになった。

 犬はもはや、将来のいつかそのときのために命を救われることはなかった。(「冬の犬」より)

 
 昔よりも、寒い季節が好きになった。おそらく冬好きの人間がそばにいたせいだろう。うまいスープを飲んで、暖かい部屋でのんびりと本を読む。冬の楽しみ方が少しだけ上手になったように思う。

 さて、日本よりもずっとずっと寒い極北の地、カナダの現代作家による短編集を読んだ。舞台はカナダ東端にある厳冬の島、ケープ・ブレトン。冬には流氷が接岸する。
 この本は、白と深緑、そして赤のイメージがある。しんしんと積もる深い雪、凛と伸びる針葉樹、そして人の吐く息と流れる血。どれも「本物」なのである。「人が人として生きる」というテーマを、これほど混じり気なしに描ける現代作家はそういないだろう。「脈々と受け継ぐ血縁」と「時代の流れ」が、縒り糸のように絡み合って模様を作る。できあがった模様を、そのまま流氷に閉じ込めたら、たぶんこんな短編集になるんだろう。
 以下、各編の一言感想。気に入った作品には*。


すべてのものに季節がある
 サンタクロースがいなくなった日。子供から大人への転換点は、代々受け継がれていく。「誰でもみんな、去ってゆくんだ。でも嘆くことはない。よいことを残していくんだからな」。

二度目の春
 「子牛クラブ」とは、良い牛を交配するための仕組み。極北の地における牧畜の様子が面白い。牛の息と草のにおいが立ち込めるような。

冬の犬
 かつて命を救ってくれた犬。そして自分が命を助けられなかった犬。流氷の上で起きた秘密の事件の物語。氷づけになったアザラシの描写に心を奪われた。アザラシと目が合う瞬間、アザラシが、流氷の割れ目に浮かんでは沈む瞬間の描写が、映画のように美しい。

完璧なる調和
 ゲール語の歌を歌う78歳の男の物語。男は、ただの1週間で妻と子供と弟を失った。苦しい歴史を持つ民族の音楽ほど美しいという話をどこかで聞いたことがある。男は、都会で行われるコンサートのために、ただ数行の詩を削ることを拒んだ。コンサートのプロデューサーが、いかにも現代的で軽薄な人物で、重厚さを称える老人ときれいな対比を成している。原題は「the Tuning of Perfection」。これはすばらしい。

島が太陽を運んでくるように
 とある男が、灰色の大きな犬にかみ殺された。以来、男の一族は犬の亡霊のことをしきりに口にするようになった。「いつか、自分も狂うかもしれない」と、若者はおびえる。わたしも自身に流れる「血」におびえた経験があるから、彼らの気持ちはなんとなく分かる気がする。

幻影
 脈々と受け継がれる親子4代「盲目の血」の歴史。古代の叙事詩や『百年の孤独』を思わせる。人間の原初の物語は、「血の物語」なのだなあとしみじみ思う。目に見えない「幻影」を見る力を持つ人が、生まれては死に、生まれては死に。


 灯台守の孤独な老女が語る秘密。「灯台」というモチーフが好きすぎる。たぶん、光を送るという原初的かつ奥手な手法と、孤独のイメージが重なっているからだろう。ただ1夜限りの恋人を思い起こす。最後のシーンはすばらしい。彼は現実だったのか夢だったのか。

リアランス
 クリアランスとは、18世紀に起きたハイランド人のスコットランド追放のこと。かつて住んでいた土地を追われる人々。彼らはスコットランドから逃れてカナダへ来た。しかし彼らの子孫もまた、自分が住んでいた土地を追われていく。


 代々受け継がれてきた生活と、現代社会との衝突が苦い。しかし雪のような言葉たちは、その苦ささえも飲み込んでしんしんと降り積もる。この静かで悲しく苦い感情を、何と呼べばいいものか?


おまけ
 最近のエントリ「バイオリンは歌う、しかしフィドルは踊る」で、カナディアン・ケルトバンドのLeahyを紹介している。ケルトの音楽もまた、移住の時に受け継がれたのだなあと。


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