ボヘミアの海岸線

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『カイン』バイロン

[疑わしきは神]
George Gordon Byron CAIN,1821.

カイン (岩波文庫)

カイン (岩波文庫)

カイン:
私たちを造ったものさえ、不幸であるにちがいないんだ! いろんな不幸なものを造ったんだもの! 「破壊」を生んだということは確かにたのしい仕事であろうはずがない。
それだのに私の父は、神様というものは万能だと申します。そうすると、なぜ悪があるのでしょう――神様は善だというのに。

 神への疑惑の物語。「旧約聖書」で描かれる、「カインによるアベル殺し」という人類初の殺人をモチーフにしている。

 世の中が「進歩」しているとしたら、なぜ戦争はなくならないのか? 技術の発展とは、知識の蓄えとは何のためにあるのか?
 おそらく古来から問われ続け、答えが提示され続けているにも関わらず、未だに解かれない永遠の問いだろう。宗教は、この世界の不条理をさまざまな方法で解釈してきた。キリスト教の前身であるユダヤ教の神は、「罪は人間にあり」と説いた。知恵の実を食べたがゆえに人間の命は縮まり、楽園から追放されたのだと。
 しかし、カインは神に疑惑を抱く。神が善だとしたら、なぜ「罪」を造ったのか? なぜアダムとイブの近くに知恵の木を置いたのか? 「わざとではないか」「神は人を呪おうとしているのではないか」――カインの神への疑惑である。

 
 もともと、ユダヤ教の唯一神 ヤハウェは犠牲を求める「契約の神」だ。ユダヤ教とキリスト教は複雑に絡み合っているが、神の性質は異なる。キリスト教の神は「人間への愛」のために子供キリストを使わしたが、ヤハウェはそうではない。契約を遂行すれば恵みを、契約が遂行されなければ災厄をもたらす。バイロンは、ヤハウェの無慈悲さを糾弾する。
 カインが抱く「神への疑惑」は、かつて私も考えたことがあるのでなじみが深かった。とはいえ、いくつかひっかかる部分がある。
 まず、自分が神を疑っていることが、神の意思なのかどうかを疑わない点。疑惑が深いわりに、そこらへんを疑わないのはどうなのか。
 そして、2部でいきなり「2001年 宇宙の旅」よろしく、宇宙空間に飛び出して地球と星を眺めながら、恐竜の絶滅まで話を持ってきていること。変に現代科学と混ぜ合わせたせいか、ちぐはぐな印象を受ける。
 最後に「1時間」だの何だのと、これまた現代的な尺度がさらりと劇中にもぐりこんでいること。原初の人間として「死」の存在を知らないという設定なのに、とてつもなく現代的な性格を持っているがゆえ、「彼らの口を借りて言わせた」感が否めない。殺人の場面も、嫉妬による殺人ではなく、ただの過失として描かれる。
 「神への疑惑」は非常に好きなテーマなのだが、どうにも細部が気になってあまり楽しみきれなかった。宇宙と神の相性はつくづく悪いらしい。混ぜるな危険、ということだろうか。


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