ボヘミアの海岸線

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『彼方なる歌に耳を澄ませよ』アリステア・マクラウド

山々はわれらをわかち、茫漠たる海はわれらを隔てる――それでもなお血は強し、心はハイランド。 ――アリステア・マクラウド『彼方なる歌に耳を澄ませよ』

血は水よりも濃い

スコットランド人に会ったら、まず言われること。イングランドとスコットランドを絶対に言いまちがえてはいけない。料理がまずいのはイングランドであって、スコットランドを一緒にしないでほしい。ハギスとウィスキーとバグパイプは最高だ。そして、イングランドとスコットランドを絶対に言いまちがえてはいけない。

日本人にとって「英国」という国はロンドンやイングランドのイメージとつながりがちだが、ブリテン島の北半分はスコットランドが占めている。スコットランドは英国連邦内にとどまりながらほぼ独立国家であり*1、そのアイデンティティと誇り高さは上記の言葉にも現れている。

海を数千キロも隔てたカナダのケープ・ブレトン島に住むアリステア・マクラウドの祖先は、こういう土地から来た人々だった。6代たってもなお、彼らはゲール語で話し、ゲール語の歌を歌い、バグパイプのCDを鳴らし、フィドルを弾きウィスキーをかっくらいながら踊る。それでもなお血は強し、心はハイランド。これは、血と塩と氷でできた一族の物語である。

彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)

彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)

 

崖はゆっくりと、しかし着実に、陸のなかのほうへ移動し、逆にキャラム・ルーアの墓は崖の橋のほうへ近づいているように見えた。

主人公の男イレ・ヴィグ・ルーアは、カナダ・オンタリオの都市に住む裕福な歯科医だ。彼はスコットランドのハイランド(北にある高地地方)からやってきた赤毛のキャラム・ルーアの6代目にあたる。

キャラム・ルーアの末裔、クロウン・キャラム・ルーアと呼ばれる人たちは一族の歴史を昨日起きたことのように語る。覚えてるか? 初代キャラム・ルーアが出港するとき、置いてきた犬が泳いできたんだよ。情の深い犬だった。覚えているさ、その後に妻がなくなったんだよな。不幸なことだった。

この語りが非常に豊穣で、わたしは100年前も現在もまるでそれほどの差がないような気分になって、初代キャラム・ルーアにも、曾祖父にも、祖母にも、父母にも、不幸だが強い兄たちにも、同じぐらいの親しみを覚えてしまう。語られる人々の半分以上、もしかしたらほとんどが死んでしまっているにもかかわらず、彼らの語りはいつまでも彼らを生かし続ける。

主人公は6人兄弟の中でも裕福で都会的だが、3人の兄たちは炭坑労働者で、主人公はその恵まれた状況を後ろめたく思っているようだ。主人公の双子の妹も裕福だが、彼女は主人公よりもずっと「ハイランド」に惹かれており、双子の男女における対比がおもしろい。彼女は住んだこともないスコットランドの町を「故郷」と無意識に呼び、実際に旅に訪れたときは地元の家に「おかえりなさい」と呼ばれて歓待され、旅先でどうしようもない懐かしさを覚える。旅先で「呼ばれる土地」と「呼ばれない土地」というものはある。血に刻まれた記憶という不可思議なものは、確かに存在する。


赤毛のキャラムの末裔たちはよく歌う。彼らの歌はすべてゲール語だ。幼い時、兄たちとともに船の上で歌うと鯨を呼ぶことがあった、というエピソードがよい。マクラウドの語りは五感をざわめかせる。風の音、崖に咲く草のにおい、腐っていく生き物の様子、手をひりつかせる船の綱の硬さ。

どのエピソードも好きだが、とりわけケープ・ブレトン島の灯台守一家として暮らしていた幼いころの記憶はすばらしい。灯台守の父と母と兄4人、双子の妹と、あとは一面の海あるいは氷だけで暮らしていた。水道のかわりにしていたバケツふたつには毎朝、氷が張っていて、お茶を飲むために表面を叩き割ったり、冬の団らんにはウィスキーとゲール語の歌とフィドルで夜な夜な踊りあかしたり。

男たちのなかには外へ出て用を足す者もいたが、戻ってくると「ジェ・クーラ?」(何が聞こえた?)と訊かれたものだ。「何にも」と訊かれた男は答えた。「カ・クーラ・シーン」(氷の音しか聞こえない)と。

だが、こうした幸せな時間は長くは続かない。この物語はつねに「喪失」の波に揺られ、過去と現在を往来する。


死んでいく者が多い話である。本書の邦題は『彼方なる歌に耳を澄ませよ』となかなかにロマンティックだが、原題は"No Great Mischief" 「たいしたことのない損失」という意味だ。この言葉はキャラム・ルーアたちの先祖に向けられた。

"No great mischief if they fall"
「彼らが倒れても、そうたいした損失ではない」

18世紀、大英帝国のジェームズ・ウルフ将軍が、スコットランド・ハイランダー兵のことをこう言っていたという記録が残っている。当時、スコットランドはイングランドに敗北して併合され、頑強で名高いスコットランド人は徴兵された。同じ英国内でも根強い差別はあった。イングランド人にとって、スコットランド人が死んだところでたいした損失ではなかった。たいした損失ではない、この言葉は繰り返し、現れる。現代のカナダで、クラウン・キャラム・ルーアのひとりが亡くなったときも、同じ言葉が会社の人間の口から出た。


そう、実際のところ、人ひとりが死んだところで世界にとってなんの損失にもならない。社会にとってもならない。会社の空いた穴は、すぐに誰かが埋める。自分だけにしかできない仕事などない。世界はなにも変わらずに回り続ける。

だが、親しい者や家族はそうはいかない。たとえその死がたいした損失ではないと世界中が口にしても、そんなわけがあるかと吠える人たちだっているのだ。「血は水よりも濃い」と何度も口にし、一族の誰かが困っていれば必ず助けることを信条としたキャラム・ルーアの末裔たちは吠えた。情の深い一族だった。

誰でも、愛されるとよりよい人間になる。

世界の"No great mischief"にたいして、すべての会話とエピソードが"No, great mischief for us"と静かに告げている。この情と愛が、三月の吹雪のように胸に吹き付けてくる。

なにか劇的なことがあるわけではないが、私はこの語りと悲哀が好きだ。フォイス・ド・タナム。結びの一文は、崖から海へ投げた手向けの花束のようだった。

 

アリステア・マクラウドの著作レビュー

 

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Alistair MacLeod "No Great Mischief", 1999.

*1:2014年は独立投票で世界中の注目を集めた。