ボヘミアの海岸線

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『スローターハウス5』カート・ヴォネガット・ジュニア

[そういうものだ]
Kurt Vonnegut Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade, 1969.

スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)

スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)

「それはきわめて地球人的な質問だね、ピルグリムくん。なぜ、きみが? それをいうなら、なざわれわれが? なぜあらゆるものが? そのわけは、この瞬間がたんにあるからだ。きみは琥珀のなかに捕らえられた虫を見たことがあるかね?」
「ええ」事実ビリーは、三匹のてんとう虫の入った、磨き上げられた琥珀のかたまりを、オフィスで文鎮に使っていた。
「われわれにしたって同じことさ、ピルグリムくん、この瞬間という琥珀に閉じこめられている。なぜというものはないのだ」


 「大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつない」とヴォネガットは宣言した。ならばと彼は、時間旅行とトラルファマドール星人から、大量殺戮を物語ることにしたらしい。
 第二次世界大戦のドレスデン無差別攻撃について、ユーモア交えて語るニヒルな戦争SF小説。時間旅行は一度も体験したことはないが、「もしかしたらこういうものかもしれないなあ」と思うような「酔い方」をした。トラルファマドール星人に誘拐されて、時系列がぶつ切りになった物語の中を、主人公ビリー・ピルグリムは漂流する。悪夢のように寝ては覚めての繰り返し、物語は時につながって、時に私を放り投げる。世界は明滅しながら、それでもいつも人は死んでいく。「そういうものだ」。
 語り口は淡々としている。人が死んでも「そういうものだ」。だけど、直情的にに嘆くよりも、死を悼む心はじわりとにじんで広がってきた。ヴォネガットが「心優しきニヒリスト」という二つ名を送られたのもうなずける。
 主人公たちは、屠殺場にもぐりこんで、爆撃から避難する。屠殺場=大量殺戮のモチーフは単純すぎる気がしなくもないが、20世紀以前にはあれほど大量に無意味に人が死んだ戦争はなかった。人の死も「そういうものだ」と麻痺してしまうような、まさに「スローターハウス」の世界だったのだろう。この小説に、アメリカ的な英雄はいない。気が狂った人ならたくさんいる。


 いろいろと有名な台詞の多い小説だ。この一説は特に有名だろう。池澤夏樹、おそらく村上春樹も(定かではないが)この台詞を引用していた記憶がある。

人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。
そしてこうつけ加えた、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」。

 「タイタンの妖女」「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」「母なる夜」とつながって、ひとつの「ヴォネガット流反戦小説」になる。憂鬱に冷笑する優しさっていうのも、あるんだなあ。


カート・ヴォネガットの著作レビュー
『母なる夜』…ナチスの広報官、ハワード・キャンベルの物語。


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