ボヘミアの海岸線

海外文学を読んで感想を書く

2011-01-01から1年間の記事一覧

『聴く女』トーベ・ヤンソン

寒さと暗さに守られているほうが互いをやりすごしやすい。いまは立ちどまって春ですねと話しあう。そのうち寄ってよとわたしは言う。もとより本気ではない。――トーベ・ヤンソン「春について」 吐く息は白い 今年の冬は長かったように記憶している。冬が長け…

息も絶え絶えの圧倒的狂気|『眩暈』エリアス・カネッティ

これほどの大金と、これほどの少量の理性とくれば、襲われて奪われるのが関の山。 気狂いとはおのれのことしか考えぬ者の謂である。——エリアス・カネッティ『眩暈』 頭脳なき世界 圧倒的な狂気である。 「眩暈」などという、そんな控えめな言葉では、とうて…

『ボディ・アーティスト』ドン・デリーロ

計画を立てることで、時間を組織化する、自分が再び生きられるようになるまで。——ドン・デリーロ『ボディ・アーティスト』 放心と回復 時々、まっ白い部屋にひとり立ちつくしているような感覚に陥ることがある。心と体がうまくつながっていない状態、自身の…

『イカロスの飛行』レーモン・クノー

イカロス ぼくの時代には、令嬢は青年に恋を打ち明けたりしなかったもんだが。 アデライード 近代小説にはそういうことも書いてありますわ。 イカロス ああ、ぼくは読者というより読まれる方なんで。——レーモン・クノー『イカロスの飛行』 空を目指した ウリ…

『ウェイクフィールド』ナサニエル・ホーソーン|宇宙の遭難者

こうしてウェイクフィールドは、生きている世界から姿を消し、死者の仲間にも入れてもらえぬ境遇となった。 常ならざる者の存在はいつだって、記録と記憶に強烈な爪痕を残していくものだ。例えば、メルヴィルが生み出した奇妙奇天烈な男『バートルビー』。そ…

『ユビュ王』アルフレッド・ジャリ

ユビュ親父 そうかも知れん。だがわしは政府を変えちまったし、今後はすべての税金を二倍にふやし、指定された者はとくに三倍の税金を支払うよう、官報で通告したのじゃ。かかる方法によって、わしは速やかに大金持ちとなり、かくしてありとあらゆる者を皆殺…

『顔のない軍隊』エベリオ・ロセーロ

「気をつけたほうがいいわ、先生。村が誰の支配下にあるのか、いまだに不明なんだから」 「誰の支配下だろうと、別に変わりゃしないさ」——エベリオ・ロセーロ『顔のない軍隊』 この世の煉獄 少々、ぶっそうな想像をしてみよう。例えば、つるつる顔ののっぺら…

『ジプシー歌集』フェデリコ・ガルシア・ロルカ

緑色わたしの好きな緑色。 ジプシーの月の下で 物みな娘を見つめているが、 娘にはそれらを見ることができない。 ――フェデリコ・ガルシア・ロルカ「夢遊病者のロマンセ」 緑の風よ ここ数日、強い風が桜の花びらをまきあげながら坂をかけおりるのを眺めてい…

4月馬鹿な海外文学

もう4月1日もまもなく終わりだけど、日付変更線を心の中でずらしていけば、4月馬鹿はもう少し続く。というわけで、エイプリルフールらしく嘘つき、ほら吹き、ペテンどもの海外文学を集めてみた。勧める阿呆に読む阿呆、1日だけしか4月馬鹿やっちゃいけないな…

『代書人バートルビー』ハーマン・メルヴィル

徐々にわたしは、代書人に関してわたしにふりかかったこれらの災難が、すべて悠久の過去から予定されていた運命で、バートルビーはわたしのごときただの人間風情には測り知れぬ全知の神の不思議な何かの思し召しから、実はわたしのところに割り当てられたの…

『ブルターニュ幻想民話集』アナトール・ル=ブラーズ

プレスタンに住んでいた老人が、ある盤、ドゥーロン川の土手で一人の女と出会いました。お女は土手に腰かけ、川を見つめていました。過疎の村ランムールを去ってラニオンへ行く途中でした。 女は、「ねえ、おじいさん! 私を型に乗せてこの川を渡していただ…

『オスカー・ワオの短くも凄まじい人生』ジュノ・ディアス

髪を切って、メガネを外して、運動しなさい。エロ本を捨てなさい。あれは最悪よ。ママも嫌がってるし、あんなもの見てたら彼女なんてできない。——ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短くも凄まじい人生』 君はヒーロー 百貫デブで重度のオタク、年齢=彼女…

『夜になるまえに』レイナルド・アレナス

「覚えておくんだよ、わたしたちは言葉によってしか救われないってこと。書くんだ」——レイナルド・アレナス『夜になるまえに』 絶叫する生 夜とは、灯りが消えてものが書けなくなる時間であり、一度行ったらもう永遠に戻れない深淵のことである。キューバの…

『塩の像』レオポルド・ルゴーネス

というのも、これは疑いもなく、世にも稀な光景だからである。白熱した銅の雨! 炎に包まれる街! ——レオポルド・ルゴーネス『塩の像』 黙示録の光 先日の飲み会で、「バベルの図書館」の話が出たので、「バベルの図書館」シリーズについて書こうと思う。「…

『ハルムスの世界』ダニイル・ハルムス

作家「私は作家だ」 読者「私の考えでは、あんたはくそったれだ」 (作家は何分間か立ちつくし、この新しい考えに衝撃を受けて、死人のようにパタンと倒れる。作家は運び出される) ——ダニイル・ハルムス『ハルムスの世界』 ねえ、あなた狂ってますよ しまっ…

『脱獄計画』アドルフォ ビオイ・カサレス

今からわたしは、科学者であることをやめて、科学のテーマの一つになる。今からはもはや苦痛を感じず、ブラームスの第四交響曲第一楽章の最初のモチーフに(永遠に)耳を澄ますことになるのだ。——アドルフォ ビオイ・カサレス『脱獄計画』 島という牢獄 共感…

『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ

波音は、たいていは控えめに心を和らげるリズムを奏で、夫人が子どもたちとすわっていると、「守ってあげるよ、支えてあげるよ」と自然の歌う古い子守唄のようにも響くのだが、また別の時、たとえば夫人が何かの仕事からふとわれにかえった時などは、そんな…

『移民たち』W.G.ゼーバルト

――彼らはこうやって還ってくるのだ、死者たちは。——W.G.ゼーバルト『移民たち』 死者の記憶 低くささやくような声で、4人の移民たちの人生が語られる。ドクター・ヘンリー・セルウィン、パウル・ベライター、アンブロース・アーデルヴァルト、マックス・アウ…

『新ナポレオン奇譚』G.K.チェスタトン

「ひげ剃りですか、旦那?」芸術家は店の中から尋ねた。 「戦いです」とウェインは、戸口に立ったまま答えた。 「何ですって?」と鋭く相手は言った。 「戦いです」とウェインは、熱をこめて言った。——G.K.チェスタトン『新ナポレオン奇譚』 狂った世界の肯…

『響きと怒り』ウィリアム・フォークナー

[臓腑のような独白] William Cuthbert Faulkner The Sound and Fury,1929. 響きと怒り (上) (岩波文庫)作者: フォークナー,Faulkner,平石貴樹,新納卓也出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2007/01/16メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 24回この商品を含む…

『魔の山』トーマス・マン

私たちの時を測る針は、時計の秒針のようにせわしなく動いていくが、それが冷淡に休みなく頂点を通過していくとき、そこに流れすぎていく時間の意味は誰にもわからないのである。——トーマス・マン『魔の山』 浮世離れ 冬なので寒い本を読もう企画。私はこの…

『緑の家』マリオ・バルガス・リョサ

「密林はたしかに美しい。むこうのことはすっかり忘れてしまったが、あの色だけは今でもはっきりと憶えているよ、ハープを緑色に塗ってあるのは、そのせいなんだよ」——マリオ・バルガス・リョサ『緑の家』 ざわめく密林 バルガス・リョサは2010年にノーベル文…

『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』アモス・オズ

狂信主義はイスラームより、キリスト教より、ユダヤ教より古い。どんな国や政府よりも古いし、どんな政治形態、どんなイデオロギーや信念よりも古くからこの世にあります。悲しいかな、狂信主義は人間の本性につねに備わっている成分、いわば悪い遺伝子なの…

『アラン島』J.M.シング

石積みのてっぺんから見渡すとほとんどすべての方角に海原が見え、北と南には海の彼方に連なる山並みが見える。見下ろせば東の方に集落があり、家々のまわりで立ち働いている赤い人影が見える。ときどき、会話や島の古い歌のきれはしが風に吹きあげられて、…