キリキリソテーにうってつけの日|海外文学録

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『トールキンのベーオウルフ物語』J.R.R.トールキン

わたしは心を決めました。貴国の方々の切なる願いを完全に成し遂げてみせよう、さもなければ、敵の手にしかとつかまれ、殺されようともかまわないと。騎士にふさわしき勲功を上げるか、この蜜酒の広間がわたしの最期の日を待ち受けるかどちらかなのです!

ーーJ.R.R.トールキントールキンのベーオウルフ物語』 

英雄の悲哀と孤独

年の暮れ、丸焼きの鶏をヴァイキングのように食べていた時に、古英語の話が出た。

古英語といえば英文学最古の英雄叙事詩『ベーオウルフ』である。数年前に岩波版で挫折して以来しばらく忘れていたが、調べてみたら『指輪物語』の作者トールキンによる注釈版が出版されていた。ファンタジーの大御所がファンタジーの源流を解説してくれるとはありがたい。

トールキンのベーオウルフ物語<注釈版>

トールキンのベーオウルフ物語<注釈版>

 

 

『ベーオウルフ』は、英文学最古の英雄叙事詩で、「英雄ベーオウルフvs.極悪巨人グレンデル」と「英雄ベーオウルフvs.火竜」、2つの英雄譚が語られる。

古代の英雄叙事詩は「英雄、魔物、筋肉、剣、宝、宴、死」でできていて、ベーオウルフももれなくすべてが出てくる。グレンデル編も火竜編もファンタジー物語そのものの展開で、ファンタジーの源流が1000年経った今でも継承されていることがわかる。

 

前半グレンデル戦の舞台はデネ国(デンマーク)。デネの賢王フロースガールがすばらしく美しい黄金の館「ヘオロット」を築いて宴会を催した。すると、呪われた極悪巨人グレンデルがヘオロットを襲撃し、王の家臣たちを虐殺して食らうようになった。王と生き残った家臣たちはグレンデルの襲撃を阻止しようとするが、グレンデルが破格に強いため、なすすべなく虐殺が続く。

デネ国お通夜ムードのところへ、隣国イェータランド(スウェーデン南部)のベーオウルフという若者がやってきて「グレンデルを退治しにきた」と語る。グレンデルは戦士を一撃で八つ裂きにして跡形もなく食らう怪物だが、ベーオウルフもまた30人力の馬鹿力を持つ。こうして、人外vs.人外のデスマッチが始まる。

前半では、グレンデルの圧倒的な純粋悪ぶりが目を引いた。グレンデルは圧倒的な力で持って虐殺を続けるが、理由はいっさい語られない。恨みや妬みといった人間的な感情や理屈はなく、ただ純粋に悪意にまみれている。世の物語にはしばしば「純粋悪」が登場し 、その理解不能ぶりと圧倒的な力によって人々を惹きつける。グレンデルは純粋悪の祖先のひとりと呼べそうだ。

光の中ですばらしく美しい黄金のヘオロットと、夜ごと血と肉塊がばらかまれるヘオロットのコントラストも印象的だった。声で物語が伝承されていた時代だからか、物語を読むだけで光と死のコントラストをはっきりと想像できる。

後半の「火竜退治」は、ベーオウルフが王者となって50年が経過した時の物語だ。火竜編は、火竜が守る「宝物」と火竜が吐く「火」のイメージが鮮烈だった。どちらも光り輝くものだが、一方は喜びに、一方は死にまみれている。2つの「光」が最後に融合するシーンが映像的で美しい。

 

『ベーオウルフ』は死と悲哀と孤独に満ちている。ベーオウルフは人々に好かれる王だったが、肝心のときはいつも孤独に戦っている。そして、どんな偉業を成し遂げた英雄でも、死から逃れられない。自分の死に方も選べない。「死」は天国や神の館に招かれる「栄誉」ではなく、老いと同じで避けがたくつらいこととして描かれる。

ベーオウルフをつくった詩人はキリスト教を信じていただろうが、死後の天国を信じていたようには見えない。英雄をめぐる孤独と悲哀は、楽観的でご都合主義な英雄叙事詩とは一線を画す。

現代を生きていると、うっかり自分が死ぬ事実を忘れかけるから、はっきりと「死を思え」と語りかけられると目が覚める。原初の物語は、人間の根っこについて率直な声で語りかけてくるから、やはり定期的に読みたくなる。

 名高き戦士よ、傲慢は決して許してはならない! そなたの武勇はしばらく花開くだろうが、やがて病気や剣が、あるいは取り巻く炎が、あるいは押し寄せる波が、刃の一撃、飛び来る槍が、あるいは恐ろしい老いが、そなたの力を奪うだろう。あるいは、そなたの目の輝きは弱まり、消えてゆくだろう。誇り高き騎士よ、死がそなたを打ち倒すときは、すぐにでもやってくるのだ。

 

Recommend:北欧世界の伝説

北欧神話の世界では、戦士は死ねば王の館に招かれる。『ベーオウルフ』は北欧神話の考え方とキリスト教の考え方が融合していて、「死の名誉」と「死のあっけなさ」がともに描かれていて興味深い。

ドイツの全滅叙事詩。人の死と英雄の死があまりにも意味がなく、呆然とする。インパクトとしては『ベーオウルフ』よりこちらのほうがすさまじかった。

ヴィンランド・サガ(1) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(1) (アフタヌーンKC)

 

 ヴァイキングと北欧沿岸の荒涼とした雰囲気がよく伝わる。ちゃんとヴィンランドにつけるといいですね。

 

Memo:トールキン版『ベーオウルフ』の読み方

トールキンは『ベーオウルフ』に多大な影響を受けていて、『ベーオウルフ』を現代英語に訳出し、オックスフォード大学で『ベーオウルフ』の講義を受け持ち、『ベーオウルフ』を下敷きにした「セリーチ・スペル」という物語まで書いている。立派なベーオウルフ・マニアである。本書は、トールキンが残した膨大な注釈や原稿を、息子がまとめてトールキン没後に出版したものだ。 

そのため、本書の構成はすこし変わっている。『ベーオウルフ』本編は100ページほどで、訳注と注釈が本編の5倍以上ある。注釈の半分以上は古英語の文法や読解だ。古英語を学ぶ人でなければ、注釈はほとんど読む必要がないが、合間にある背景や物語、登場人物の解説はおもしろい。

読み方としては、最初に本編を読み、全体像を把握してから、注釈を見ながらもういちど読むと、頭に入りやすいかもしれない。初読時から注釈を読もうとすると、あまりにも話が進まなすぎて途中で挫折しかねない(私はしかけた)。

Memo:古英語と現代英語

トールキンは古英語についてかなりのページをさいて説明しているが、古英語は現代英語とは似ても似つかぬ単語で、はっきり言ってほとんどなにもわからない。下記は、最初の3行(上段が古英語、下段が現代英語)だ。こんなに違うものだとは。

Hwæt. We Gardena in geardagum, 

LO, praise of the prowess of people-kings

 

þeodcyninga, þrym gefrunon, 

of spear-armed Danes, in days long sped,


hu ða æþelingas ellen fremedon. 

we have heard, and what honor the athelings won!