ボヘミアの海岸線

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『ケルトの神話』井村君江

「あなた方ケルト民族が、もっとも恐れるものは何でしょうか?」
巨大なたくましい体をした、ケルトの戦士たちはこう答えました。
「わたしたちは、どんな人間も恐れません。ただわたしたちが恐れるのは、空がわたしたちの上に落ちて来ないか、ということだけです」

——井村君江『ケルトの神話』

渦巻く世界

ケルト文化において、もっとも尊敬される職業は詩人だった*1

 ケルトの民は、文字による記録をほとんど残さなかった。英雄たちの物語や王の系譜、法や教義は詩人たちが暗誦した。詩人は図書館であり、碑文であり、立法であり、修行には10年以上を要したという。詩人の機嫌を損ねては自分の物語を伝えられず、それは歴史における存在の死を意味していたため、王はときにその首を望まれるがままに差し出したと言われている。

ケルトの神話―女神と英雄と妖精と (ちくま文庫)

ケルトの神話―女神と英雄と妖精と (ちくま文庫)

 かつて世界を席巻したローマ帝国は、彼らにとっての手強い“蛮人”であるガリア人を、『ガリア戦記』の中に記録したが、敵対者によるこの記録が、2000年前のケルト人を知る重要な手がかりとなっているのはなんとも皮肉なことである。

 ケルトの民、と書いたが、実のところ、ケルトという民族がいたわけではない。彼らは紀元前1000年前からキリスト誕生前後まで、ローマ帝国とは違う存在として確かに存在したが、「大陸のケルト」はやがてローマ文化やキリスト教と融合し、ヨーロッパ文化の礎となった。一方、イギリスやアイルランドなど、いわゆるヨーロッパの最果ての島に逃れた「島のケルト」は、大陸ほどの影響を受けずに生き残った。イギリス北部に残るハドリアヌスの城壁*2が物語るように、かのハドリアヌスが侵略を諦めるほどの辺境、枯れた土地であったことが、ケルト文化が生き残った理由かもしれない。ケルトの物語や風習は今もなお、ハロウィンやヤドリギの下でのキス、アーサー王物語や妖精物語、木に触ってお祓いをする迷信となって、息づいている。


 そのため、本書でいうところの「ケルトの神話」は、ケルトの中でも「島のケルト」であるアイルランド神話のことを指す。著者がアイルランド神話の専門家ではないこと、研究が執筆当時より進んでいることを踏まえ、「ケルトとは何か」「どういう物語があるのか」ということを知るための、ケルトへの足がかりという位置づけで読む方がいいかもしれない。

 『北欧神話と伝説』でも書いたが、ヨーロッパの最果て、特に自然条件が厳しい土地の神話は、盛者必衰の理と血に満ちており、えもいわれぬすごみがある。北欧神話にくらべると、ケルトの神話(といっても、記録が残されたのはキリスト教が普及してのちであり、たぶんにその影響を受けて入るだろうが)は黄金の霧に飲まれた荒野のようで、この世とあの世の境目があいまいな印象を受ける。

 その最たる例が、妖精の女王が統治する異界、「常若の国(ティル・ナ・ノーグ)」だろう。アイルランドでは、神々は西の海の向こうからやってくる。ケルトの人々にとって、誰も到達したことのない海の向こうは妖精と神の国であった。常若の国で3日を過ごした英雄は、現実に戻ったときに300年が経っていたことを知り絶望する。アーサー王は今際のきわにボートに乗り、黄昏に輝く海の向こうへ消えていった。

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 多くの神話では、われわれの先祖である人間が生まれるまでに別の種族がいた、という物語があるが、ケルトもその例にもれない。5種類の神族、パーホロン、ネメズ、フィルボルグ、トゥアハ・デ・ダナーン、ミレー族が、西の海からアイルランドで栄えては滅びた。5000年を生き、鮭や鹿に姿を変えながら、神代の変遷を見てきたただひとりの観察者フィンタンにより、この物語は語られる。このうち、もっとも豊穣な神話を残しているのがトゥアハ・デ・ダナーンで、彼らは良き神々であったが、ミレー族に敗北したために地下に逃れて妖精となり、常若の国をつくった。良き神々が容赦なく滅びるあたりに、今なお息づくアイルランドの哀愁を感じずにはいられない。

 物語としておもしろく、同じくらい虚無感があったのは、負けず嫌いの女王と英雄が牛をめぐってえんえんと戦争する「クーリーの牛争い」だ。女傑として名高いメイヴ女王が、隣国の王が自分より良い牛を持っていることに腹を立て、クーリーにいるすばらしい牛ドウンの飼い主に牛を譲ってほしいと頼む。しかし、飼い主が断ったため女王は激情し、飼い主に7年越しの戦争をしかける。クーリーのドウンはすさまじい牛で、妖精の血をひいており、しかもかつては人間であった。毎日50頭の子牛をうませ、背中で30人の子供が遊べるほど巨大だったという。女王メイヴから牛を守るために、光の神の子であり、アイルランド神話随一の英雄であるクー・ホリンが、メイヴ女王の軍隊を相手に切ったはったの大乱闘を繰り広げる。英雄の活躍は華々しいのだが、途中で戦争のもととなった牛はあっさり死に、なのに復讐の念にかられたメイヴ女王は目的をすげ替えてクー・ホリンを殺すまでは戦争をやめようとせず、ついにはなんともやりきれない最後を迎える。

 『トリスタンとイゾルデ』、アーサー王伝説の「ランスロットとグィネヴィア」など、王を交えた三角関係物語のもととなった「ディルムッドとグラーニャの恋」「悲しみのディアドラ」もよい。『源氏物語』を読んだ後のような、大きなうねりに飲まれた不思議な興奮と徒労、手の中に風だけが残るようなふしぎな虚しさがある。

 ほか、ほほえましい話としては、すべての英知を持つ「知恵の鮭」(The salmon of knowledge)が生まれ、食べられるまでの話がよかった*3。塩づけかスモークにして私も食べたい。


『ケルズの書』などケルトの装飾写本にかならず現れる渦巻き文様は、絶えず内側から外側へ、渦から渦へねじれて広がり、変化し続けて終わりのない無限、流転する世界をあらわす。これは、世界は唯一の神によって作られた完成品である、というキリスト教の考えとはまったく異なる考え方で、むしろ日本の無常観と近い。

 わたしはケルトに惹かれる一端はここにあるのかもしれない。宇宙のように膨張して流転し、かつ消えかつ結びてひさしくとどまるためしのない世界で、ぱっと生まれては名も残さずに消えていく存在であるわたしは、せっかくなのでもっと本を読もうと思うのだった。

 

recommend

*1:『ガリア戦記』では、ケルト人はドルイド僧、戦士、一般人(奴隷)の階層に分かれていたと書いてあるが、本書ではドルイド僧が法、政治、詩人へ分裂していったと書いている。

*2:ハドリアヌスの城壁:イギリスはイングランドとスコットランドの国境沿いにある、ローマ時代の遺跡。かつて血みどろの争いが繰り広げられたが、現在は大変のんびりとしている世界遺産。 https://www.visithadrianswall.co.uk/

*3:https://en.wikipedia.org/wiki/Salmon_of_knowledge